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No.385 Mimirs Stauseeレナーテ&マリア


Mimirs Stausee(ミーミルの溜池)へようこそ。
このコミュニティの活動内容はただ一つ。
「参加者が専門分野の知識をだらだらと語る」
それだけです。語り合うのではなく、一方的に喋るだけで結構です。
勿論、語らなくても構いません。レス不要。ROM歓迎。

ただ、専門分野の知識と言っても専門的すぎる内容だと他の誰も理解できなくなるので、適度に加減してくださいね。
雑学的な事でもいいですが、できれば「実際に何かの役に立っている」知識であると好ましいです。

どのように語ればいいかわからない場合は、コミュ主(のキャラ)が色々喋るのでそれを参考にして下さい。
私は主に徴税、水道、行政、茶道について語ります。



※禁止事項
・公序良俗に反するような発言
・他の参加者に著しく不快の念を抱かせるような発言
・その他、常識的に駄目だろうと思われるような発言



コミュニティメッセージ


レナーテ(385)からのメッセージ:
レナーテ「……またしても訂正だ。
前回、ジクロラミンの発生について書いた部分の後に、次の一文が欠けていた。

『ジクロラミンはモノクロラミンより殺菌力と臭気が強い。
そして、さらに一定以上の塩素が加えられると、今度は結合残留塩素が減少を始める。
その過程で、 NHCl2+Cl2⇔NCl3+HCl と言う反応が起きるのだが、これは後述する』

連日の訂正とは、我ながら情けない。
どうにも、いかんな――――こんな事では」

マリア「ネタを文章にするだけでも、結構時間がかかりますしね。
特にも今は年度末。私も割とギリギリで……推敲の時間が欲しいです>ミィさん」

レナーテ「良い補足、感謝する。
複数の呼び名が残っているのは、歴史的背景を感じさせてくれて嫌いではないが……。面倒な事も多いな。
『次亜塩素酸ナトリウム』として契約したのに請求書には『次亜塩素酸ソーダ』と書いてある場合など、監査や会計から文句をつけられる。修正までは要求されないが>エリィ殿」

レナーテ「あれはな――死にたくなるぞ。服はまだらになるし、塩素臭は抜けんし。
作業服だったのがせめてもの救いだったが>ウーシェ殿」

マリア「私が使っているのは、発光分光分析の方ですね。
私も、水道に関わるまでは水質検査にプラズマを使っているなんて知りませんでした」

マリア「さて、今回と次回は利休の死から三千家の成立までのお話です。
お茶を習っている人にとっては基本的な内容なので退屈かもしれませんが……」

マリア「お茶を習っている、と自己紹介すると、茶道に触れた事の無い人から
『表と裏は仲悪いんでしょ』とか『喧嘩別れしたのか?』と聞かれる時があります。
勿論、そんな事はありません。そもそも三千家が成立した時、千家は内輪の喧嘩をしていられるような状況ではありませんでした」

マリア「千家が三つに分かれたのは、三代目宗旦とその息子達の時代です。
三男の江岑宗左(こうしんそうさ)が千家の家督と茶室「不審庵」を継ぎ、四男の仙叟宗室(せんそうそうしつ)が宗旦の隠居所と茶室「今日庵」を継ぎ、次男の一翁宗守(いちおうそうしゅ)は武者小路に「官休庵」を建てました。
今日庵が表千家の裏にあったため仙叟宗室から続く流れは裏千家と呼ばれ、官休庵が武者小路にあった事から一翁宗守からの流れは武者小路千家と呼ばれるようになります。
え、長男はどうしたのかって?それは次回にでも」

マリア「まずは、利休から宗旦に至る流れについて説明します。
利休は……まあ、知らない人は居ないでしょう。
そして、その利休の後妻の連れ子にして娘婿が、表千家二代目となる少庵です。
先妻の子である道安とは同年生まれでした」

マリア「少庵と道安は二人とも茶道において優れた才能を示したため、利休は処遇に頭を悩ませたようです。
結局、利休は少庵を京都に送り、大徳寺門前に屋敷を構え住まわせました。
最終的に千家は堺千家(本家)と京都の千家(分家)に分かれるのですが、残念ながら堺千家は道安の代で断絶してしまいました」

マリア「利休の切腹後、千家の財産は没収されました。
少庵は蒲生氏郷に匿われ、会津若松で日々を過ごす事になります。
一方その頃、宗旦は大徳寺の喝食として禅の修行を積んでいました。
本来、宗旦は禅僧となる筈だったのです」

マリア「利休の切腹から三年後、少庵は赦され千家は再興されます。その翌年、秀吉は没収した利休の茶道具を『宗旦に与える』と言う名目で少庵に下賜し、宗旦を還俗させました。
――実は宗旦、禅僧としての才能も豊かだったようで、大徳寺百十一世住持の春屋宗園は宗旦を絶賛しています。
還俗していなければ、高僧として名を残していたでしょうに……。
そしてそれから五年ほど後、宗旦は家督を譲られます」

マリア「千家を継いだものの、宗旦は世俗の権力と距離を取り続け、ひたすら侘茶の継承に努めます。
何人もの大名から仕官の誘いを受けましたが、最後まで断り続けました。
……いや、実は一度根負けして仕官の話がまとまった事があるのですが、その時も勤務地にたどり着く前に病気だと言って家に帰ってしまっています。よっぽど嫌だったんですね……。
幼い頃に利休が処刑されて財産没収一家離散の憂き目を見た事で、権力に近付く事の危険性を十分すぎる程に理解したのでしょう。
しかし、どこにも仕官しないと言う事はつまり定期収入がないわけで、家を売ったり茶道具を売ったりしながら何とか食いつなぐ極貧生活を送る事になります」

マリア「なお、『宗旦は仕官しなかったのではなく、できなかったのだ』と言う説を唱える人もいます。
その根拠として
・赦免されたとは言え、罪人として処刑された利休の孫を大っぴらに召抱えようとする大名は居なかった筈
・当時は小堀遠州の大名茶や金森宗和の優美な茶が主流であり、侘茶はすたれていた
と言う点が挙げられているのですが……」

マリア「しかし、私にはそうは思えません。
だって、利休の孫どころか息子である少庵は、千家復興のすぐ後に家康に召抱えられているのですから!
また、当時は華やかな茶が主流であり、宗旦もそれを取り入れざるを得なかったのは事実ですが、宗旦の広い交友関係を見る限り『侘茶がすたれていた』とまでは言えないでしょう。

……あれ、おかしいですね。ここまで話してまだ江岑すら出てきていませんよ。
次回で終わるかどうか不安になってきましたが、とりあえず今回はここまでとしましょう」

ミィ(222)からのメッセージ:
ミィ「自治体も苦労してるんですねぃ…読んでて頭が痛くなってきましたが、こりゃあ表に出しても理解は得られにくそうです」

ウーシェ(1514)からのメッセージ:
ウーシェ「清涼飲料のソーダについて語ろうかと思ったが教科書通りになってしまうな。
ここは、少し時間をかけても専門知識の文章を用意せねば」




コミュニティ参加者


 ENo.3 メルカヒルム2.3026
 ENo.38 罧原 雛菊sen.
 ENo.70 ビーグ=ストーコドコイビートル
 ENo.113 璃珀Breamt
 ENo.145 秋久 豊句外
 ENo.187 ファイリィス・イスティフラdajf
 ENo.222 御名神 未依リクレ
 ENo.229 エリーゼ・ド・ルーベラホワイトロリータ
 ENo.301 ラティルス・ヴィルデノウ草林
 ENo.380 天篠ぷららぷらら
 ENo.385 レナーテ&マリアレナーテ
 ENo.805 セレーン=アデラくろはっぽいの。
 ENo.813 アルテア・S・レイフロスト*おおっと*
 ENo.910 ダーク=ブラッドペインダーク
 ENo.1514 ウルスラ・ペーシュDさん
 ENo.1554 調kame
 ENo.1868 ラフラムらふ
 ENo.2020 イニャス・マドラルブリック
参加者 計 18