ENo.2332 セロ＝テスタメント

　痙攣していた巨大猪はいよいよ動かなくなる。
「ふぅ……何でこんなモンスターが、こんなとこにいるんだよ……戦略級の生物兵器じゃあるまいし……」
　人を一飲みにできそうな巨大な口、馬上槍より威力のありそうな巨大な牙。本来は無いはずの異様な角。
　力なく倒れた巨大猪を、顔側からヤンキー座りで見上げてセロがぼやく。
　言葉少なく未だに呆然としていたエリナがふいに何かを見つけて近寄った。
「これ……」
　ショートソードが刺さっていたあたりに何かが付着している。
「えっと、石？」
　つまんで手に取ると、ほんのりとした赤みを帯び、淡く明滅する怪しい石だった。
「宝石、なのかな？」
「あ、装飾屋さんの……」
　顔を上げたエリナとマリーエルの視線が重なった。
「あ、あはははは……毎度どうも」
「どうしてこんな所に？」
「色々ありまして……」
　どうしたものかと視線を泳がせたエリナと、追求する視線を向けるマリーエル。
　勝利の高揚を不審が覆いはじめた中、二人の間にセロが顔を割り込ませた。
　ぽんぽんとマリーエルの頭を軽くたたく。
「綺麗だが、ルビーではないな。金になりそうなものならいいが。真珠のような光沢に、微かに内部から光が漏れている、か」
「真珠はこんなに透き通ってないし、強いて言うならカット入れる前のルビーってところだけどね。玉石って言うべきかしら」
　装飾屋の娘らしい台詞に、ふむと鼻をならすセロ。
　非難げな視線を向けてくるマリーエルを余所に、エリナの掌に乗った赤い石を手に取る。
「ルビーにしては、めらめら光ってますね」
　セロにつられてヨシュアが覗き込む。赤い石が爛々と輝いていた。
　突如、マリーエルの手にしていた懐中時計から、強烈な光が放たれた。
「うわぁっ」
　指の隙間から溢れるように光が飛び出し、周囲を緑の光で染め上げる。
「懐中時計がっ……なんだ！？」
　セロの握っていた赤い石が強く明滅し、その手を弾いて懐中時計の宝石、緑神の涙に向けて飛び込んだ。
　パーンと何かの弾けるような甲高い音を響かせ、紅い宝玉は緑神の涙の中へと吸い込まれる。
　一瞬の出来事の後には、何事もなかったかのような静けさが残った。
「取り込んだ？」
「すごい……」
　そして数瞬後、薄紅色の光が緑神の涙から溢れ、光の矢印が浮かび上がった。
「……指し示す方角が、変りました」
　呟きを絞り出すようにしてマリーエルが口を開く。
「つまりは、この懐中時計は、今みたいな石を求めて印を浮かべてるってことか？」
　セロがそう言ってマリーエルへと視線を投げると、一同がそれに釣られるようにマリーエルを見た。
　しばし言い淀む。
　セロを見返す。首を少しかしげてけだるそうに笑い返される。どんな話にころんでも良さそうだった。楽しんでる様子だ。
　クレアを見る。瞳の奥に熱い炎が見える。野心満々だ。もしかしたらまだ狙っているのかも知れない。
　アデルを見る。真剣だった。これでもかというほど真剣にこちらを見つめてくる。強い意志を秘めている気がする。
　エリナを見る。にこにこと笑っている。直感的に良い人だと思った。お友達になれそうだった。
　最後にヨシュアを見る。
　何故か応援してくれているのが分かる。ファイトーとでも言われているようだった。
　クスリと笑みが漏れた。
「……言い伝えには、宝玉の導きに従って進むと、世界を覆すほどの巨大な財宝が手に入る、と」
「大きく出たな」
「ちょっと財宝って……」
「世界を、覆すほど、ですか……」
「スケールでけぇ……」
　一同が静まるのを待って言葉を続ける。
「私は没落した家を立て直す為にも、富と名声を求めています。これで分かりました。この緑神の涙は財宝への道しるべ。当家の伝承は嘘じゃなかったんです」
　思わず握り拳を硬く握って演説するように宣言するマリーエル。
　貴族の血だろうか、力強く語る瞳には説得力がある。
「こうやって宝玉を集めていけば、最終的に目的地に到着するんじゃないかと思います」
「でもそんな、財宝って言われても今時ねぇ」
　クレアが唸りながら懐中時計をまじまじと見る。
「いや、アークライト家と言えば、遙か昔、不死の秘術で世界から富を集めた魔法使いの末裔だ。貴族位を得たのも、不死の秘薬を当時の王に献上したからだとか。ただの　おとぎ話かと思っていたが……」
「溜め込んだ財宝を隠してる？」
　ヨシュアがハッとセロを見る。
「噂にしちゃぁできすぎてるだろ？」
　肩をすくめるようにしてヨシュアを見返すセロ。
　静まりかえる一同。
　それぞれに思いを巡らせている中、エリナが何かに気づいたように指さした。
「あれは、鳥居でしょうか？」
　なぎ倒された木々の間に祭壇と、柱のようなものが見える。
　朽ち果て、原型は無かったが、神代より伝わる社の形をしている。
「……なるほどな。きっとこれを祭ってたんだろぅな。大方、こいつが荒らしたんだろうが」
　すっかり動かなくなった巨大猪を見る。
「あれほどまで巨大化した理由が最近の異変のせいか、それともさっきの紅い宝玉のせいかは分からないが、後者だとしたら、危険な宝玉だ」
「それでも、きっと、集めて見せます」
　セロに告げる隣で視線がクレアとあった。
「渡しませんよ」
「もういいわよ。それよか、あたしも一口噛ませなさいよ」
「ちょっと！クレアさん」
　エリナが袖を引っ張りたしなめる。しかしこんな時のわくわくするような瞳のクレアが引き下がらないこともエリナは良く知っていた。
「今はスカーレット・バタフライよ！」
　高らかに宣言するクレアのとなりでポツリとマーリーエルが口を開く。
「信用できません」
「……嫌われたものね」
「信用出来ますか」
「嫌がっても私、勝手についてくわよ」
　肩を竦めるクレア。
　その横からにゅっと手を伸ばしたアデルが、突如マリーエルの手から懐中時計を奪った。
「ちょっと！」
　途端に光の矢印が消えてしまう。
　それを見て愕然とアデルは佇んだ。
「あ……ボクじゃ動かないんだ……」
「マリーエルだけしか動かせないのか。大した作りだな」
「血印でもかけてるんでしょうか」
　顎に手をあて感心したように言うセロに、ヨシュアが応える。
「よく知ってたな。そんな単語」
「記者のはしくれですから」
「このクラスのオーパーツを今の魔法で調べても、壊れちゃうかしらね。素直にマリーちゃんに使ってもらったら？」
　ちょん、とアデルの手から懐中時計をつまんでマリーエルへと返すクレア。
「マリーエルとお呼び下さい」
　受け取ったマリーエルはつっけんどんに言い返すと、大切そうにいそいそと懐中時計を仕舞った。
「でも……ボクは……」
　それでもじっと懐中時計を見つめるアデルの頭を、くしゃくしゃっとクレアがなでる。
「一緒についていけばいいじゃない。あんたほどの腕そうそう居ないわよ。その年で凄いわ」
「……あっ、そうかっ！おばさん頭良いねっ！」
　アデルが瞳をキラキラさせてクレアを見上げると、何故か引きつったクレアの鬼のような視線が待っていた。
　あれっと首をかしげるアデル。
「言うにことかいておばっ……！」
「うわぁっ」
　ダッシュで逃げ出すアデルを大股でクレアが追いかける。
「よく見てろよ、ヨシュア。女は怒らせたら怖いんだ」
　こそこそ話会う男性陣の隣に立ってエリナがクスクスと笑っている。
　すっかり意気投合した一同を見回して、深い、それはもう深い溜息をついたマリーエル。
「分かりましたっ。いいです、こうなったらみんなで行きましょう！」
　肝の据わった大きな声で叫んだ。
「おぉっ」
　ヨシュアがガッツポーズをする。
「やったぁ」
　クレアが手を叩いて喜んだ。
　その思い思いの反応を見ながら、マリーエルは高らかに宣言する。
「そのかわり、ボスは私です！」
『はいボス』
　一同が唱和する。
「クライアントはいつだって大切にするぜ？」
「ま、仕方ないわね」
「あれ？そういえば、私巻き込まれてる？」
「よろしくお願いします、ボスっ！」
「ぼすー。ボスって何？」
「よーぅし、こうなりゃお宝見るまで徹底的にいくぞぉっ！」
　ヨシュアの取る音頭に何故かマリーエルが置いてけぼりになりそうになりながら、全員が手を突き上げた。
「財宝は俺たちの物だぁっ！」
『オー!!』
　爽快な気分を加速させるかのように、森の中をさっそうと風が駆け抜けてく。
　それがこの世界を又にかける冒険活劇のはじまりだった。