ENo.1865 アリシア・L・ヴェルトーネ

少女が訪れたのは、街と呼ぶのも憚られるような、街としての体裁を辛うじて保っているような、そんな場所でした。
無機質な色の空の下、それを写し取ったかのように寒々とした光景。
彼女はそんな景色の中を一人、当ても無く歩いて行きます。
まさに世界の掃き溜めといった、そんな街の中で、汚れも綻びもない上品な衣服の彼女はどこまでも異質な存在です。
道端や路地の陰から、奇異の目で彼女の様子を覗う視線がひしひしと感じられましたが、それらを無視して歩き続けます。

やがて彼女がたどり着いたのは、一軒の酒場でした。
扉をくぐると薄暗い店の中では、時間も暇も持て余したかのようなごろつきたちが、なけなしの身銭を持ち寄り屯しています。
そんな彼らには目もくれず、真っ直ぐカウンターへと向かいます。

「何の用だい、お嬢ちゃん。ここはガキの遊び場じゃねぇんだ。」

素行の良さそうとはお世辞にも言い難い、いかにもチンピラ上がりといった風体のバーテンダーの男は面倒くさそうに鼻であしらいます。
彼女は懐から何かを取り出しカウンターに置き、それを差し出します。

「何か、飲み物を頂けますか？できればお酒ではないものを。」

「ほう、これは。
　……畏まりました、直ぐにご用意させて頂きます。」

彼女が差し出したのは、一枚の金貨でした。
楓の葉のレリーフが彫られたそれは、この世界の通貨ではありませんでしたが
それが大層価値のあるものだということは、高額硬貨に馴染みの深くない彼にも理解できるようです。
あっという間にポットに入ったお茶とカップと、そこに入れる砂糖や、お茶請けのクッキーが用意されました。

のんびりとお茶を飲んでいた彼女でしたが、そういえば、と前置きして話を切り出します。

「姉を探しているのですが、……この街で見かけませんでしたか？」

そう訊ねながら差し出されたのは、古いロケットペンダントでした。
開けると中にはぼろぼろに汚れた少女の写真が入っていました。
それをまじまじと、目を細めて眺めていたバーテンダーの男でしたが、ややばつの悪そうな顔でそれを彼女に返します。

「いやあ、知らないねぇ。
　この街は、こう見えて人の出入りが多いもんでして……。
　ふらっと立ち寄るだけですぐに出て行っちまう奴も多いし、流石にそんな奴らの顔は一々覚えてないもんでして……。
　まあ、しばらく居着いてるような連中の顔は分かるんですがね。
　力になれず、申し訳ない。」

「いえ、お気になさらずに。」

「それにしても、似てないねぇ。
　その子は本当にお姉さんなのかい？」

バーテンダーの男が何の気無しに発した一言で、場の空気が一変します。
いえ、実際には少女がじろりと彼の目を見つめ返しただけなのですが、
彼女の視線には、毎日ごろつきやならず者たちを相手に商売する彼をもたじろがせる何かがありました。
二人の間に、何とも言えない気まずい沈黙が流れかけましたが、

「わざわざありがとうございました。
　お茶、ごちそうさまです。」

彼女はさっきまでの愛想の良い笑顔でそう言い残すと
半分以上残ったままのお茶とクッキーをそのままに、その場を後にしました。

「……なんだったんだ、ありゃあ。」

カウンターにぽつりと残されたバーテンダーの男は少女の姿が扉の向こうに完全に見えなくなるのを見届けてから、そう独りごちました。

彼女の立ち去った酒場、その片隅で、ごろつきたちがひそひそと何か話しています。

「あんな場違いな服着てよ、なんだったんだ、ありゃあ。」

「それによ、あの金にがめついバーテンがよ、俺ぁアイツのあんな態度、初めて見たぜ。」

「どっかいいとこの嬢ちゃんじゃねぇのか？取っ捕まえて売り飛ばしゃあ高く売れそうだけどよ……。」

「そんな度胸がありゃあ、今頃こんな所でこんなまっずい酒呑んでねぇよ。」

「げへへ、違いねぇ。」

　+ + +

酒場を後にした少女は、その後も話の通じそうな相手を見つけては、
尋ね人の心当たりが無いかを訊ねていたのですが、その返事はどれもつれないものでした。

そんなことをしているうちに、彼女は街の反対側の門まで来てしまったようです。
踵を返し、また街の中へと戻ろうとした彼女でしたが―――

ぼすっ

路地から飛び出してきた少女にぶつかられ、いえ、抱きつかれたと言った方が正しいでしょうか。
突然の出来事に、持っていたハードケースの金具に手を掛けましたが、
相手は何も手にしていないことが分かったので、とりあえず手を下ろします。

「何か、御用ですか？」

「綺麗な髪！綺麗な肌！綺麗なおめめ！それに可愛いお洋服！
素敵！あなた素敵よ！可愛いわ！」

韻律の狂った支離滅裂な言葉、どうやら話が通じていないようです。
彼女はその少女への質問を諦め、彼女らを遠巻きに見ている者へと語りかけます。

「ところで……、あの酒場からずっと付いて来ているようですけど。
　あなたたちも何か御用ですか？」

その言葉に、物陰から二人組の男が現れます。

「悪ぃけど嬢ちゃん、大人しく攫われてはくれんかね？
　大人しくしてりゃあ手荒なマネはしねぇ、傷物にしちまったら値打ちが下がっちまうしな。」

どうやらさっきの酒場でのごろつきたちの話を真に受けて、後をつけてきたならず者のようです。
手には粗末な作りの短剣を持っています。
彼らの手の得物を見て、彼女は再び手を掛けたハードケースから何かを抜きました。

「げへへへ、オモチャでも入って……、なんじゃあそりゃあ！」

彼女が手にしていたのは、その華奢な身体には不釣合いな、鈍色の装飾銃。

「あなたたちに、別に恨みはないのですが……。
　邪魔になりそうなので、処理させていだだきます。」