ENo.937 綾辻優衣

呼吸を整える。
――完全に慣れた訳ではない。
だが、
少しずつ合うようにはなってきた。
だが――
(――ですが、
未だに……
違和感が残りますね。
……)
せめて、義手、
手にあたるものがあればいいと思う。
それは精巧であればあるほど、
己の手のように動けば動くほど、
いいと彼女は思う。
とはいっても、
そんなものがここにあるはずもない。
町でも探してみたが、
発見は出来なかった。
諦めにも似た感情が湧いたその瞬間、
彼女は一つ手わ思いついた。
(……試す価値はありますか。)
ここへ来てから、
気と肉体の力だけではなく、
彼女にとって術技も簡単なものなら、
長い術式と用意もなく使用に耐えうる領域に来ている。
召喚術――
ゴーレムやゾンビの作成、
御使いや悪魔の呼び出しのように。
無論、
呪いや祝福といったものもある。
だが――
失くしたものは戻らない。
ひょっとしたら出来るのかもしれない。
だが、
今の彼女の力量では到底無理。
可能であるにしろ、
大分先の事になるのは違いない。
だから、
左手を復元する事などは出来ない。
されど――
彼女は召喚する事が出来る。
此処にないものを構成する力がある。
ならば、
彼女は左手を戻すのではなく、
左手を“創り出す”事は可能である。
無論技量によって精度は違うが――
(……気を通せば、
多少無茶をしても問題ないレベルにはなるでしょう。
出来ればものを掴むレベルに――
……)
精神を集中し、
イメージする。
失われて数日たったとはいえ、
己の身体を常に把握しているが故に、
正確なイメージにおいては問題ない。
後はその通りのものを作り上げるだけ。
形さえ整っていれば、
後の事は己の熟練と共にどうにでもなる。
そして――
術の構成、発動――
光が溢れ、
次の瞬間には、
彼女の失われた手は再生されていた。
気の通いについても問題ない。
だが――
「……流石に自由には動きませんか。」
その手の動きはぎこちなく、
殆ど動かないといってもよい。
特に戦闘では。
実用には耐えない。
(――いざとなれば切り離す事も考えましょう。
少なくとも、
己の調整には便利。
それだけでいい。)
ため息一つついて先を急ぐ。
此処に至るまで、
失ってきたものは多い。
だが、
たかが己の身体一部でこれほど苦労するのかと思うと、
彼女の顔に苦笑いが浮かぶ。
もっと大切な者を捨てて失った時は――
ここまで苦労はしなかったのだから。
――だから――
(……つくづく自分は業が深い。
罪深い人間ですね――
自分が一番大切。
そう思われてもしかない程に。
神よ、だから私には何も語りかけてくれないのですか？
ですが、
それでも――
私は私の信じる道を行く事で、
私の方法で、
あなたの傍へと参りたい。
そして――
あなたの声をいつかきっと――)

＊　＊　＊　＊　＊　＊　＊

「綾辻優衣様――ですね。」
「――はい。その通りです。
　ですが、物騒ですね。
　――そうされる筋合いも、
　理由も――
　在り過ぎるほど心当たりがあるのですが――」
「いえ、別に貴女に危害を加えるつもりはありませんよ。」
「――？
　そちらを向いても？」
「ええ、構いませんよ。
　暴れたり、
　騒いだりしないのでしたら。
　――というよりも、
　どうしてでしょうかね。
　――この状況でも私の方の分が悪いと感じるのは。」
彼女が振り向くと、
そこにいたのはフードを目深にかぶった人物。
男か女かは分からない。
だが、
その手には銃が握られている。
「――それにしても、
　異端者である私に用とはまた変わった話ですね。
　忌み嫌われはすれども、
　好かれる理由などありませんよ、
　私には――
　……
　貴方のように私の事を知ってる人にとってはですが。」
「ええ。承知の上です。
　とはいっても、
　異端者と知って近づくのですから、
　これくらいの保険はさせてもらったわけですが……
　……
　普通に接触しておいた方が良かったでしょうか？」
「いえ、
　――むしろそんな手段を取る方が信頼出来ます。
　……
　それで何用でしょう。」
「……助けてほしいのです。」
「……
　助け？
　私が助けれる事などありませんよ。
　救いの御手を差し伸べようにも、
　私の力はあまりにも弱い――」
「いえ、それでもあなたなら。
　――無理なのは分かっています。
　ですが、
　せめてあっていただけませんか？」
銃をしまい、フードを外す。
そこに現れたのは強い意志のを宿した瞳をもつ女性。
「誰にでしょう？」
彼女は女性を静かに見つめ、問いかける。
「――私の兄に――」

女性に連れられて向かった先は、
古い教会だった。
もう、とうの昔に使われてないのではないかという程、
朽ち果てている。
女性の話によると、
別にここに縁の人間ではなく、
ちょっとした事情で間借りしているらしい。
――恐らくは無許可で。
といっても、教会は困ったものの味方であるし、
使われてない以上、
誰が使っても文句は出ないだろう。
だが――
「本当にこんな所にいるのですか？
　床も大分腐っているようですが。」
「ええ、分かってます。
　一応まだ腐ってない部分もありますし、
　……ちゃんと兄のいる場所については問題ないですから。
　石造りの地下ですし。」
「……また、ぞっとしない場所を選んだものですね。」
「……ええ。
　そうかも……しれません。」
そして、大した話もなく、
地下へと進んでいく。
そこには、
一人の男性が簡素なベッドの上で横たわっていた。
呻き声を発しながら、
身体の半分ほどが腐り落ちているのが、
ほのかな灯りで見て取れる。
「……これは……
　病気、いえ、
　“呪い”ですか？」
「……はい。
　実は神父様にはみていただいたのですが、
　さっぱり分からないと……
　それで、いろんな筋の人に頼ってみました。
　それで――
　兄に呪いをかけた相手、
　それから呪いでなんであるかは分かりました。
　ですが――
　どうにもならない、と。」
「……そんな中、私の話を聞いた。
　ひょっとしたらあの“異端者”ならば、
　手立てがあるかもしれない。
　かの“異端者”は異端であるが故に、
　様々な知識をもっている。
　その中に呪いを解く方策があるかもしれない。
　――ええ、まぁ、確かに解けますが。」
「本当ですか！？」
じっと、彼女は男を観察する。
これは確かに呪いだ。
遅行性の呪い。
恐らく呪いの効力が完全に発揮され、
死を迎えるまで、
後半年もないだろう。
――まぁ、半年もあるともいえるのだが……
「……必要な材料は、
　まぁ、お金があればすぐにでも。
　そうでなくても、駆けずり回れば入手できる。
　リミットは後３ヶ月。
　……問題があるとすればただ一点のみですね。」
「問題……？」
「……術者がどこにいるか、です。
　一番肝心なのは術者を殺すか、
　そうでなくても再起不能にする必要があります。
　――そうしなければ、
　目的の物の最後の一つは回収出来ませんので。
　……誰なのか分かりますか？」
「ええ、それは――
　勿論調べましたから――
　兄にも確認は取りましたし。」
「そうですか。
　ではお教え願えますか？
　後は私がやりますので。
　これも神のお導き。
　ですから――」
彼女は笑顔を浮かべる。
「貴女は信じて待っていてればいいのですよ。
　私が呪いを解けるように。
　――さぁ、お教え願えますか？」
――これも神のかせた試練。
ならば、かの女性と、
その兄に救い与えようと――

＊　＊　＊　＊　＊　＊　＊

――先へ進む彼女の前に、
一匹の豹が躍りかかってくる。
その動きは素早く、
見切れない。
――だが、
何もしない訳にはいかない。
彼女は落ち着いて屍を喰らう鬼と、
小さなドラゴンを呼び出す。
これでなんとかしのぎながら、
打撃を繰り出せば勝機はある。
そう考えたから。
だが、
現実はそう甘くはない。
豹の強さは凄まじく、
あっという間にドラゴンが駆逐される。
そして、
彼女は追い詰められる。
――そして、
あっという間に意識は刈り取られ、
彼女の意識は瞬く間に闇へと落ちていった――

――油断していたわけではない。
それでも尚、
ここの獣達は、
化け物を超えた力をもっている。
――彼女への教訓。
生かされるかどうかは、
未だ分からず――