ENo.3 満月の森　夜明の海　王たる者と騎士

浮かび上がる魔法陣。綴られた言葉が呼び起こす現象。
ある意味で禁呪。　ある意味で理想。

一心同体。

彼は愛すことができた。

彼は殺すことができた。

彼女は赦すことができた。

彼女は罰すことができた。

彼女は囀ることができた。

彼は嬲られることができた。

彼は護られることができた。

彼女は黙ることができた。

「良くない兆候ね、まったく」

白金の鈴を転がすような声が響く。
主観と客観と希望的観測が混ざる。

黄金のように柔らかく、緩やかに染み渡る歌声が聞こえる。

「第二人格は不安定だし第三人格はやんちゃだし第四人格もどこか行っちゃってるし…」

しかしそれも仕方のないこと。それが皆の性質なのだから。
ころころ転がる鈴は困っているようで、しかし嬉しそうで。

「ま、安全なことは解ったしもう良いでしょ。残るものと、消えるものと、選びましょう」

目を閉じる。私は×××××―――――

だいぶ、仕事をした気がする。顔を拭うと汗以外のものばかりが手を汚した。
神を殺すのは簡単だ。このように存在するのならば、だが。
龍だの神獣だのといったものも右に同じだ。仰々しいだけの呼び名には何の価値もない。

握った鉾槍―ハルバードには血の一滴すらも付いていなかった。曰くつきの相棒は好き嫌いもなくよく食べる。
この神だとか神獣だとかいうのは味が違うのか、と聞いてみても返事はない。
戯れも程々に構え直した。まだまだ大量に獲物は居る。いくら刻んでも足りないのだ。

世界を救う。響きだけならこれ程までに甘美なものはない。

「その鎧、重いでしょう？」

胸当てをなぞりながら母様が笑う。年月を経た青銅色の鎧は僕が騎士見習いという証。
白くて細い指がずっとその上を這っている。鎧に感覚はないのにくすぐったい気がして身じろぎした。

「ちょ、ちょっとだけ、です……」
「つまり重いんじゃないの。んー…軽量化が必要かしら」
「け、軽量？」
「そ。銃弾は防げないんだし肩はよく動かす部分だし取っちゃいましょ」
「わ、わわっ！？」

柔らかい手が肩に触れた瞬間、それはガランと割と大きな音を立てて落ちる。
構造をよく知ってる僕よりも遥かに手慣れた様子で鎧が脱がされていく。

「ぬしは本当に“うぶ”じゃのぉ。からかい甲斐のある初い奴よ」

ざり。豊かな影が白さはそのままに、細い体躯に変わる。
夜の隙間から覗く星の灯を閉じ込めた瞳が僕を見上げる。

「身長伸びなくなるのも嫌でしょ？ほら肩もだいぶ上がって」

微笑む顔は兎色の猫。銀の髪がさらさら揺れて赤い瞳がきゅぅっと細まった。
魔法の手は胸当て以外を取り去ってしまい、黒い鎧下だけが残る。

本当に、ずいぶん軽くなった。
これなら捕まえられる。

「♪　　　♪　♪」
「　♪　♪　　♪」

音は私の一部。奏で、歌い、諳じるのが私の全て。
王宮つきの楽団になってものすごい時間が過ぎたと思う。でもまだやりたい演目は終わってなくて。
何を歌うのか奏でるのか全部全部自由。だからつまり、全部を求められているのかな？って思ってる。

「―――――パパ！ママっ」
「おっと…おはよう」
「ふふっ、おはよう」

楽隊から離れてパパとママの胸に飛び込む。
ゆったりしたドレスのママ。黒い正装のパパ。自慢の『お父さん』と『お母さん』！

「今日も朝から頑張ってるのね。いい声だったわ」
「セイレーンの民謡なんだって！波の音と羽根が散る音がするんだよっ」
「ロマンチックだな。…さあ、呼ばれてるぞ」
「うん！朝ごはん待っててねー！」

手を振って、振り返される。私のために空いている席。奏でる生き物。
大きく息を吸い込む。音を吐き出す。世界が私で満ちていくっ！

執務机と執務椅子は最高のものを。そう命じた自分をたまに褒めてあげたくなる。
一日中座りっぱなしでもお尻が痛くならないし、背中も必要以上には曲がらない。

「次持ってきて」
「少しお休みになられたほうが」

声は後ろからだった。振り返ると上司想いの部下二人が小間使いを下がらせている。
割と長身の二人に見下ろされると相当な威圧感があるが、あくまでも私の部下。唇を尖らせて可愛らしく抗議してみた。

「かなり長い間休んでたしまだ残ってるじゃないの」
「駄目です。部屋は明るいですがもう夜中ですよ？」
「夕食を摂ってないのも気づいてないでしょう？」
「食べなくたって死なないったら」
《　だ　め　で　す　》

椅子の右と左から身体を持ち上げられる。目の高さが一気に遥か高みへ登った。
この歳になって肩車というか騎馬戦の真ん中みたいな体勢になるなんて。

仕方がないから二人の頭をくしゃくしゃと撫で回す。ストレートの髪と少し癖のある髪と。
蒼碧の瞳が見上げてくる。でも何の不満も言ってこない。

「とにかくきちんと休んで下さい」
「大事な体なんですから」

　『　魔　王　陛　下　』

美しい自然の風景。生い茂る緑、深く見渡せる青、高く澄み渡る空。
それを無粋にも汚しているのは猛毒だか劇薬だかの赤だ。

一匹残らず始末した『神』だか何かは肉屋に並べれば売れるような状態になっている。
頭から尻…尻尾まで完璧にバラバラだ。

「…………自分の世界を滅ぼされた気分はどうだ？」

解体済みの肉片に語りかけた。崇め奉られ、力を持ち、この一帯、いや『世界』を統べていた物体。
海の底の楽園か、天の上の極楽かは今となっては判らない。何もかも壊れてしまった。

じゅうじゅうと耳障りな音がする。それは私を溶かす血の音だ。
じゅくじゅくと口の中に滲み出るのは全てを溶かす欲。

「世界は『所有』すべきものではない。『管理』すべきものだ……というのは戯れ言だな」

緩やかに壊死していく世界。その原因が自分たちだったとは夢にも思わないだろう。
皮肉。恒久の平和も絶えない戦争も世界にとっては毒らしい。
―――この『本能的な感覚』を理解してくれるものは滅多にいないが。

「別の世界、に？急すぎないですか？」
「そう。何だか大変なことになってる世界があるらしいの」
「世界を渡ることに関して何の障害も感じていないことにびっくりです」

母様のマイペースは今に始まったことじゃないけど、もっとこう、何かを感じるポイントが有ると思う。
ソファに浅く腰掛けてだらりと体を伸ばしている姿に緊張感は皆無だ。

「いろんな物が巨大化したり動き出したり…何かに似てると思わない？」
「…………あの島ですか？」

僕が生まれた場所。母様が、父様が僕を産んだ場所。
僕と、妹を産んだ場所。

「そう。そこが引っかかって―――といっても巨大化とか凶暴化とか無機物を生物に、なんていくらでも出来ることだけれど」

できないでください。

「助けてって言われたら行かないわけにはいかないでしょう？」

母様の赤い瞳は真っ直ぐに僕に向いていた。困ったような笑顔と一緒に。

「はい」

一も二もなく頷く。でも返ってきたのは驚きの一言だった。

「お留守番しててね」

「やーっ！！！」

ぎゅっとママに抱き着く。私だけ置いてかれるなんてやだ！
ママは私の髪をよしよし撫でて、ぎゅーっと抱き締めてくる。

「危ない所だから待ってて？きっと2ヶ月もかからないから」
「それでもやぁーっ！」
「困ったな…」

パパも撫で撫でに参加した。でも何があっても嫌ったら嫌！
危ない所に行くときは今までだってお留守番だったけど、今回は違う。

別の世界に行っていつ戻るかわかんないなんて！

「連れてって！私だって戦えるもん！音楽は戦いの能力だもん！」
「落ち着け。私達も今回は可能な限り戦わずに居るつもりなんだ」
「じゃあ連れてっていいでしょ？ね？」

生まれた時から戦うための力はあったもん。
歌うこと、奏でること。音の魔力がずっと！

「うぅん、困ったわ…」
「予想通りだと思いますが」
「…………」

やや呆れ気味の碧い目と頭痛で半ば閉じられた蒼い目が責めるように私を見た。
私の右腕は息子が、左腕は娘が掴んで放さない。もげそう。

「言わずに行くわけにはいかないじゃない」
「言う言わない以前にもう少し王として自覚をですね？」
「可能ならば玉座に縛り付けておきたいと顔に書いてあるな」
「紛うことなき本音だ」

ガリガリ頭を掻く腹心ににっこり微笑む。

「玉座は私に似合わないからあげる」
「要りません。私はあなたの下に居たいので」
「む。野心がないんだから…ねぇ？」
「下僕の私に同意を求められても困ります」
「二人が冷たいの…」

わざとらしく肩を落としてみせればサイドからのサンドイッチが一層きつくなった。締まる。
ふと、そのうち禿げるんじゃないかと思うくらい頭を掻いていた腹心が顔を上げた。

「……約束してください、無事に戻ると」
「もちろん。大丈夫、今回は安全策を用意したから」

今度は勝手に死んだりしない。

「僕たちも行って良いんです、よ、ね？」
「離れる気ないでしょ？一肌脱いであげるわよ」

腕の所に柔らかいのが当たる。暖かい。

「わーいっ！ママ大好きっ」
「手伝いがあれば何なりと」

ママはいつだって良い匂い。ドレスと同じ色の、太陽みたいな匂い。
両側に子供（大人サイズ）をぶら下げたまま小さな部屋に入っていく。
入り口に見張りを一人。自然に子供たちの腕から抜け出し、部屋の中央に立った。

「向こうの世界がどうなっているのか、私にも解らないの。だから」

全員連れて行くならこの方法しかないと思っている。一番確実で一番間違いがない選択肢。

「―――にをしているんですかッ！？」
「わうわうわ、わわっ？」
「出ちゃう出ちゃう出ちゃうっ！」

　〔名前はー…リンディ。鎧を着た剣士…まあ護身用のくらいは持っておくの〕

　〔怪我するのが心配なんでしょう？なら召喚術を使って戦うことにするから〕

鎧を暗示に変えて心を縛り付ける。こじ開けた隙間に大切な宝物を入れた。
抑えつけていた手を離す。硬い殻は剥がれ落ちて温かく柔らかく何もかも押し流した。

混乱する小さな世界。僕らの中の誰でもないのがこっちを見た。