ENo.2017 マキャビティ・ザ・ダンディー

―― ヒルナフェルド神歴875年、天の月、第十八日の朝 ――
―― マキャビティ記 ――

　北へ向かう。少し自分たちが予想していたよりも長く親しむこととなってしまったエスタの町並みとも、明日には別れを告げる予定だ。海沿いの、石造りの建物が軒を並べる活気と静けさの同居した居心地の良い場所だった。朝の市場で最後の買い物をしてから、旅の同伴者であるルチルやリンネと過ごしている場所までゆっくりと戻る。
　昨日は日記をあまり書くことが出来なかったが、特筆すべきことが無かったわけではない。繰り返しになるが、ルチルの様子の変化の他にも、新たに戦うこととなった生物のことだ。巨大な……あれはなんだろう。昔、この世界に来る以前に、南方の生物を書きとめた書物で見かけたことがある気がするが、あのような凶悪な牙は付いていなかった記憶がある。確か名前は……ゾウ？だっただろうか。牙が付いていることと、頭にこぶのような隆起があった点からすると、きっと違う種なのだとは思うが、近い系統であることは間違いないだろう。その突進力は計り知れないものがあった。北へ踏み込もうとした途端にこの流れなのだ。これからはあの巨大なゾウが大量に出没したり、さらに注意を払うべき敵対者が増えてくることは、想像に難くはない。
　今の我々はすっかり、攻撃をリンネが担当し、回復はルチルが担当、私はと言えば少し火力に加わりつつも、全体を補助しているだけといった体で敵たちと対峙している。自らの無力感を今更嘆くような年齢でもないのだが、せめて盾程度には役に立ちたいと思っている。それでなくとも、年端も行かぬ少女たちが前線に立っているのだから。
　最も彼女たちは、自分がか弱い少女だなどとは、間違っても考えていないことだろうし、ひとつ言葉を間違えばそれは彼女らへの侮辱となってしまうかも知れない。無論そんな意図ではないのだが、きっとぬぐい切れないこれは、人としての自然な感情なのだろう。

―― ヒルナフェルド神歴867年、風の月、第二十九日の昼 ――
―― マキャビティ記 ――

　おそらく昼、だったと思う。拘束され、意識を失っていた私の周囲で複数の気配がした。私は意識を取り戻したことを悟られぬよう呼吸の流れを変化させないように心がけ、耳を澄ませる。どうやら人数は三名、うち一人はコーツィノのようだ。キャスティル侯爵がこちらへと向かってくれていること、我が王やエウレリア様は生きているが、私同様拘束されていること、までは分かったが、まだ私自身の意識がはっきりと覚醒しておらず、それ以上は聞き取ることも、よしんば聞き取れても思考をまとめることができなかった。
　しばらく話し込んだ彼らは、部屋の壁際にある何か金属質なものをそれぞれに手に取ったらしき音を立て、出て行く。私に使用された毒はそれなりに強力だったようだ。もしくは量を間違えたのか……再び睡魔が襲ってくる。やはり自然なものとはだいぶ違う、暴力的な眠気、意識の喪失だ。
　夜に何かを決行する、というのも聞こえた気がしたのだが、その時の私に、物事を判断する能力は無かった……

―― ヒルナフェルド神歴875年、天の月、第十八日の昼 ――
―― マキャビティ記 ――

　北へ進むのは明日からだ。今日は最後の休息、とでも言うべき日と言えるだろう。最も毎日、賊や巨大生物の襲撃にあったりしているわけだから、エスタの町に近い、という点以外では休息と名の付く要素を満たしているとは言えないのかも知れない。無論、町が近く物資が豊富であり、明白な逃亡先がある、などという状況は我々冒険者にとっては考えうる最も楽な状況であり、永く浸かっていれば腕がなまってしまう類の環境だ。
　……冒険者、か。皮肉なものだ。それは、自嘲としての軽い笑いさえこぼれてしまいそうなほどに。以前居た世界では冒険者という存在は数多くおり、どちらかと言えば私は彼らを使役したり管理する側の立場だった。それでも私とて、我が王へとお仕えする以前には、ヴェルガン様と……あとはあの女もだが……いっぱしの冒険者を気取って各地を渡り歩いたものだ。その経験はけして無駄ではなかった、どころか私の人生の多くを彩った要素ではあるが、やはり彼らは根無し草。種や文化を根付かせる類の生き方とはとても言えたものではない。ヴェルガン様ほどにもなれば、また違うのかも知れないが、生涯を費やしたとて、あの領域に辿り着ける者などどれほどいるだろうか。城に勤めてさらに思うようになったが、そんな人物を基準に置いてはならないのだ。多くの人々は平穏を求めており、戦う力など持っておらず
、またその意志も無い。時にそれは、非常に残念なことだ。
　と、油断するとすぐに日記というよりかは思想を集めた文章になってしまう。まぁ、その日おもったこと、という意味では間違いではないし、今後もこの傾向はどうしても避けられないだろうけれども。第一今までこうやって書き記してきたのだから、今更わざわざ気にすることではない、か。
　人とは何か、という問いに、誰だったかが「人とは、その人が考えていることそのものである」と答えた学者が居た。その意味でも、もしかしたら風景や人々を描写するよりも、自らの内面を書き記すというのは、人間として、これは日記らしいものなのかも知れない、などと言い訳をしておくとしようか……

―― ヒルナフェルド神歴875年、天の月、第十八日の夕刻 ――
―― マキャビティ記 ――

　エスタの町で、私が最近練習を開始した合成と言う技術の、実験方法とやらを小耳に挟んだので早速やってみる。さて、どうなることか。未だに規則性がよく分からないが、一定の条件があるのは間違いないし、同じ種別の合成をしている人々が情報交換しているのを見かけたこともある。その頃の私は料理一辺倒だったから、まったく耳に入ってこなかったというものだ。
　そして、ルチルが一人で考え事をしている時間が増えてきてはいたが、今日はリンネや私から隠れるような場所で悲痛な表情をしていた。私自身、この世界に来てしまったのは本意ではないことだったが、他にもそういう者が居るのかも知れない。そしてもしかしたらルチルも同じで、私の指輪が元の世界との通信を可能としたように、何かがルチルに影響を与えて……考えすぎか。だが様子がおかしい、というのは単純にそれだけで色々な想像をかきたてられてしまう。一度ルチルに聞いたことがあったが、儚げな微笑で誤魔化されてしまった。もう一度聞いたとしても、言ってくれるものではないように思う。
　私はどうだろう。もし、我が姫と再会し、元の世界へと戻る時、それは悲しいだろうか。嬉しいだろうか。
　……きっとそれは、感情の総和としては、悲しいことなのだろう。では、悲しむために目的を目指しているのか？いや、もちろんそんなことはない。思えば私にとってのこの世界とは夢のようなものだ。元の世界に戻ると同時に消えてしまう記憶。私だけがこんな条件でここに居るのだろうか。他に同じような人間は居ないのだろうか。どちらにせよ、私は進まねばならない。それは忠義であり、後悔であり、希望だ。