「ねえ、戻ったらどうする？」

　少ない荷物を纏めながら、何となく二人にそう尋ねてみた。
　元々突然こちらに飛ばされたのだから持って帰らなければならない荷物もそう多くは無くて、学校の鞄に教科書と、それから、三人のぬいぐるみを詰め込んで、チャックを閉じる。持っていくものなんて、本当にこれだけだ。想い出はこんな鞄じゃ収まりきれないぐらい沢山あるような気がするのに。

「戻ったらってえーっと、孤児院戻って、院長先生とかチビとかに会いに行って？」
「ううん、そうじゃなくて、……なんていうか、将来、的に」
「将来？」

　既に荷造りを終えたルカはベッドに腰掛けていて、瞬きを何度か繰り返した後私の言葉を復唱した。シズも粗方整理は終わったようで、こちらを見つめて首を傾げている。

「これから、二人は何をしてどうやって生きていくのかなって……きっとほら、今ほど会えなくなるだろうから」
「あー……そっ、か」

　毎日共にご飯を食べて、戦って、寝て、そんな日々があちらに戻ってから続く筈がないことぐらい分かっている。そもそもこちらに来たあの日だって久々に会ったぐらいで、昔のように一緒に遊ぶことなんてもう殆ど無いのだ。
　遠くなる。きっと。
　全員が今この場でそのことを自覚したのだろう。しんみりと流れた沈黙を破ったのは、シズだった。

「……俺は、戻ってから孤児院を出る準備をするつもりだ」
「へ、……シズ、孤児院を出るの？」
「ああ、それから医者になる為の勉強を、知り合いのところで」

　彼が医者になりたいとは前に聞いた気もするが、もう孤児院を出てその為に頑張るつもりだとは知らなかった。驚いてなんて言葉を返せばいいのか分からなくなって、そういえばルカは知っていたのかと彼の方を見れば、自分よりも驚いた表情を浮かべてぽかんと口を開けている姿が目に入る。知らなかった、らしい。

「で、出るの？　シズ、ホントに？」
「孤児院に居たままじゃ、医者にはなれないからな」
「え、あ、う、うん、そう、だな。だよな。そっ、か、シズ、居なくなるのかー……」

　寂しいんだろうか。相変わらず笑いながら、それでも視線を落としたルカ。その姿にシズは溜息を吐いてから、彼の頭を軽くこつんと突いた。

「別に一生会えなくなるわけじゃないんだから、湿気た顔すんなっての」
「わ、わかってる。けど、……」
「……ルカは？　ルカは、どうするの？」

　一生会えなくなるわけじゃない。分かっていても、割り切れない何かが彼の胸の中にあるのだろう。でも、それはシズが決めたことだ。他の誰かが口を挟んでいいことじゃなくて、そりゃ私も寂しいけれど、彼が夢に向かう為なら仕方ないってそう思える。
　だからもごついているルカに今度は話題を振った。彼の気を、そこから逸らすように。
　　
「俺は、……俺は、仕事する、かなあ。いつまでも孤児院の世話になってちゃ駄目だし、まあ、多分最初は孤児院の手伝いからだろうけど」
「そっか。まあそうなる、よね」

　今更だが、二人とも学校には行ってない。孤児院の事情もあるだろうし、二人の事情もあるだろうけれど。それも私と二人が中々会えない原因の一つである。
　だからルカがこれからすること、と言えばそのような選択肢しか出てこないのだろう。それでもその選択は自分にとっては立派なように思えた。ちゃんと自分で働いて、世話をしてくれた方に恩を返す。私なんかはいつまでも親に甘えっぱなしで、今考えてることだって両親に甘えなきゃ出来ないことで。だから偉いなって、素直に。口に出したら否定されるだろうから、敢て言わないけれど。

「そういうアリシアはどうなんだ」
「そうそう！　アリシアは？　やっぱ学校行って、そのまま高校まで行くのか？」

　そんなことを考えていたら二人の視線が今度は自分に集まって、ほんの少しだけたじろいだ。
　将来のこと。この世界を帰ってからどう過ごすか。ルカの言う通り、普通ならその道を歩むのが一番偉いんだろう。私は別に二人のような特別な事情があるわけじゃない。普通の家庭に産まれて、普通に育って、何か不自由することもなく今日までを生きてきた。このまま中学を卒業して、高校に入って、大学まで行って、なりたい職業だとかやりたい仕事だとかを見つけて働いて。
　でも、だ。そうやって生きるのは嫌だって思う自分が、此処に居る。

「中学は、卒業するよ」

　だから二人に話を振ったのだ。二人には言っておきたかったから。私が今望んでいることを。

「でもその後は、……旅に出ようと思ってるの」
「旅！？」

　驚いたのか声を荒げたのはルカだった。先程シズが孤児院を出ると言った時よりも大きい反応に、つい肩が跳ねる。シズもシズで目を瞠って、何でそんな、みたいなそういう表情を浮かべて。
　驚かれるのも無理ないとは思う。最近一人でぼんやりと考えていたことだし、あまりにも現実味は無さ過ぎるし、それでも。

「旅。色んな所に行って、色んな人に出会って、沢山のことを経験して……この世界も広かったけれど、よく考えたら私たちの世界だって広いよ」
「いや、そうじゃなくて、アリシア。……どうしたんだ、急に。今までそんなことをちっとも口にしなかったのに」
「うん。考えたのは、つい最近。帰れるって分かってから」

　あの日、タンポポ荘を離れて、シズに帰ることを聞かされて、ああやっと帰れるんだってそう思ったけれど。私は何でか素直に喜べなかった。
　今までずっと帰りたいって思ってきた筈なのになんだかちょっぴり切なくて、なんでだろうって。別れが悲しいとか、そういうのとは違う感情で。一人の時とかぐるぐる考え続けて、そして漸く分かったのだ。

「私ね、この世界でのこと、遠いものにしたくないんだ」
「……とおい、もの？」
「きっとこれから普通に過ごしていけばそれ相応の未来があって、幸せになれるのかもしれない。でもきっとその道を選んだら、この世界のことは小さな頃の、夢みたいになっちゃう」

　けれど、夢じゃないのだ。この世界のことは本当にあって、沢山の人に出会って、優しさに触れて、そして痛みだってあった。
　忘れたくないし、遠いものにもしたくない。でもこのまま普通に生きていったらそうなるのは免れない。ならどうしたらいいだろうって考えて、出た答えがそれだった。

「そうはしたくなくて。……だから旅に出れば、この世界でしたのと同じように色んな所に行って色んな経験をしていけば、遠くならないかなって。忘れたり、しないかなって」

　戦う術を教えてくれた人。辛い時励ましてくれた人。楽しい話をしてくれた人。共に戦ってくれた人。
　自分たちに手を貸してくれた色んな人たちのことを胸に抱いて、あちらの世界でも同じように生きて行きたいのだ。
　そして、その自分の決意を、二人には聞いて欲しかった。自分の為に一緒にこちらの世界に来て、今日まで傍に居てくれた二人には。
　どうかな、と言って笑ってみると、二人は暫くの間黙っていて、やっぱり止められるだろうかと不安になる。いつでも自分たちの心配をしていた二人だ。一人で旅なんて、やっぱり危ないって。　だから何をどう言ったら二人を説き伏せられるだろうかと考えた、時。

「——お、俺も、行く！」

　ぴしっと真っ直ぐ手を挙げたのは、ルカだった。

「ルカ、も？」
「だ、だって！　一人旅ってそれ、絶対危ねーし！　アリシアと一緒に旅、したいし……」
「……いいの？　孤児院の為に、働くんじゃ」
「それは！　それは、アリシアと旅してからでも、出来るから！　別にいい！」
「そ、そっか……」

　一緒に来たいと言われるとは思っていなかったが、別に抵抗は無い。一緒に旅をしたいって言ってくれることは嬉しいし、誰かが一緒なら心強いし。
　そこでシズへと目を向ける。ルカが、というならシズも、と思ったが、でも彼は恐らく。

「シズは？」
「俺は、いい。見送りぐらいはしてやるよ」
「……そっか」　

　苦い笑みを浮かべて、彼は首を横に振った。理由は何となく察せれて、でもそれ以上に彼には医者になるという夢があるのだから旅なんて、と思う。
　離れ離れになるのは寂しいけれど、でも決して会えないわけじゃないってシズもさっき言っていたのだ。大丈夫だって、ちゃんと思える。

「じゃあ、手紙は送るね」
「俺も俺も！」
「わかったよ、返事はする」

　身を乗り出して主張するルカに軽く手をひらひらさせて、それからシズは荷物を手に取った。

「じゃ、そろそろ行くぞ。することももう無いし」
「あ、おう！」
「うん、わかった」

　私も学校の鞄を手に取って、ルカも自分の荷物を持って、それから鍵を取り出す。
　この鍵でどうやら向こうの世界に帰れるらしい。細かいことはあまり聞いていないけれど二人はそう言っていた。

　この世界ともお別れだ。
　短かったようで、とても長くて、長いように思えて、とても短かった。
　全てに背を向けて、私たちは行くのだ。振り返ることはしない。けれど。

　それでも、少しだけ願ってしまう。

「……またね」

　いつの日かまた、会えたら。




＊




　公園は、あの日と変わらないままだった。
　肌に感じる空気が酷く肌に馴染んで、此処が自分たちの居るべき世界なんだということを自覚させられる。
　歩く道も、見慣れたそれ。送ってくれると言った二人の申し出を断って、一人で歩く。
　小さい頃はよく歩いた公園から家までの道。長い間あちらに居たけれど忘れるなんていうことはなくて、迷わず歩みを進めれば自ずと見えてきた赤い屋根。
　赤が可愛いからどうしてもって我儘言ったのよ、って子供みたいに笑う顔を思い出して、その前で足を止めた。

　後一歩を踏み出せば、帰りたかった場所に帰ることが出来る。
　後一歩を踏み出して玄関を開ければ、いつもの日常が帰ってくる。

　それなのに。
　
　いざその時になると中々勇気が出なくて、たった一歩が出なくて。
　本当にこの一歩で戻ってこれるんだろうかって、戻ってきてもいいんだろうかって。

　迷って、悩んで、それでも、それでも勇気を出して踏み出した。
　大丈夫だって心の中で強く思って、そんな私の背に、不意に。


「……アリ、シア？」


　投げかけられた声。慌てて振り返る。
　視界に入れた姿に、言葉を無くして。
　滲む視界。望んでた人。

　ずっとずっと、会いたかった。


　ああ、私は帰ってきたんだ。

















***
※今回の更新を最後に削除します。
　今まで関わって頂いた方に多大な感謝を！

※集合絵で沢山の人をお借りしました、有難う御座います！

攻城戦を済ませた後だ。

元の世界へ帰る為に宿で荷物を纏める手を止めて、テーブルの上にあった本を手に取る。
ぱらぱらと捲り、綴られた文字を何頁か目で追い、ゆっくりと本を閉じた。

少し躊躇った後、その本を荷物の中にそっとしまう。

紙袋を差し出して。