なにか、思考の芽を見つけたように動きが止まる。
まじまじと見上げる彼の顔。
その唇が動いて、尖った歯が時折覗くのを、じっと見ている。

「ごめんなさい」と言いかけて、でも彼はきっとそんなこと、
まったく気にしていないだろうと容易に想像も出来て、言うのを止めた。
むしろ、謝罪の言葉を繰る方が、彼を困らせることになるだろう、と。
そしてなぜだかおかしくなって、ついつい笑みをこぼしてしまった。
だが、気を取り直すように。
ふる、と首を振ってまた彼の言葉に耳を傾ける。

約束を果たした後もきっと旅は続けられるだろうという彼の言葉に、小さく笑む。
首を落とされ続ける輪廻に再び彼を送り込まなくても良いという安心と、
目的が果たされた後もこれからの日々を続けても良いのだという、喜びと。
その緩んだ頬は、何気なく続けられた彼の言葉に小さく固まった。

言いながら、ふと。
彼が先ほど述べた言葉が気になった。
本の数だけ世界がある。
ならば……。

言いながら、グノウと名乗ったとある執事殿の言葉を思い出す。
誰かの書いた詩ではなく、自身の書いた物語を読ませて欲しいと言ってくれた、その言葉。
あの時は自分にそんな才はないと断ったけれど。
けれど今、信じられないことだけど、己の口からは滔々と物語が流れている。
「そうであればいい」というその一心で語るこれは、
まだまだ拙く、ご都合主義といわれてしまうかもしれないようなものだけど。
でも、初めて自分ひとりで考えた物語だった。

そして、それをさせてくれたのは。
沈みそうになるたび笑って掬い上げてくれて、そして隣で歩いてくれる彼だ。
短い、けれど真摯な言葉。頭に乗せられる手。

自然と笑みが浮かんだ。
自分が、彼が笑う理由のひとつとなれたことが。
小さくてもいい、彼の助けのひとつとなれたことが。
とても、とてもうれしくて。

それになにより、甘いものとお茶は、心をあたためてくれるから。
いつだって、自慢の腕をふるう用意は出来ているのだ。
ばさ、とマントのようにケープを払って、胸を張って堂々と調理場へと足を踏み入れた。

歌うように呟いて、羽根ペンを持った右手を伸べる。
羽根ペンに宿った光のひとつが飛び出して、くるくると回り始めた。

ひとつ、ふたつ、みっつ。
回るたび、辺りの温度が下がっていく。
吐く息が白くなる。ちらちらと、白いものが落ちてくる。
星まで凍らせるような冷たい風が、サッと下から上へと吹き上げた。
目を開けると、いつから立っていたのだろう。
そこには、白い肌、赤い反物を携えた女がいた。

息を止めて、細かな筆で鮮やかな赤い花を描いている……。