「俺を見ろ、そして畏怖するのだ」



　雲に覆われ月が隠れた。
　暗い、とても暗い森の中に対の目が光る。不気味な赤い眼だ。それは確実に近付いている。地面を覆う大量の落ち葉を踏む音と共に。

「怖れるものか、悪魔め！」

　勇猛果敢なる青年は叫び、白金の鎧を軋ませながら一層強く剣を握った。頬を汗が流れる。冷や汗かと思ったが、それまで忘れていた蒸し暑さを思い出すと、一気にどっと汗が吹き出た。暑さのせいだと思いたい。
　紛うことなき悪の権化が目の前に居る。ひとたび指を動かせば滝の如く豪雨が注いで人々を流し、腕を振るえば疫病が蔓延し、彼が叫べば地は割れ生きとし生ける者を底なしの闇に呑み込んだと聞く。青年はごくりと唾を飲んだ。

「現世より去れ！」

　喉が張り裂けんばかりの怒声を浴びせながら、青年は自らを鼓舞する。震える手の理由たる恐怖を怒りに変えて、大声で自身を奮い立てた。
　災厄の王を討つ準備は整えている。高僧が数十年間かけて毎日のように祈り続け、神聖なる気が宿った金属の神体を、最高峰の鍛冶職人たちが集い打ったこの聖剣。そして何より、数々の魔物を討ち滅ぼし人々を絶望から救った英雄たる自分が合わされば、倒せぬ闇などありはしないのだ。
　心に光ある限り、決して闇には凌駕されぬ。青年は確信を持って、戦いに臨んだ。

　月が雲から顔を出した。穏やかに夜を照らす希望の光は、木々の間を抜けて青年の剣に届いた。剣が美しく光り輝くその光景に、災厄の王は一瞬だけ嫌悪感を顕にし、青年は神々しい光に目を奪われた。



　眼を、奪われた。



「ぎゃあぁぁぁああああ！！」

　ギャア、ギャア、と黒い鳥の群れが飛び立った。死を呼ぶ不吉な鳥は羽ばたき、大空を舞う。決してそこから離れず、近付かず、ただその時を待っている。
　青年は剣を握る手を離し、煙のたつ右目を必死に両手で押さえながら葉の絨毯をのた打ち回る。眼球の奥まで熱せられたレイピアで突き刺されたような激痛が走り、喉が裏返るような悲鳴を上げ続けた。
　悲痛な叫びと協奏曲を奏でる、王の笑い声があたりにひびく。

「お前は俺を理解していない。俺という存在を、その意義を」

　高揚する王は落ちた聖剣を取り上げ、天高く掲げた。まだ無事な左目でそれを見上げ、激痛に歪んだ表情に驚愕と恐怖が混じる。
　それは、ありえない事だ。魔に属す者ならば、大抵は触れただけで消滅するほどの聖なる力を宿す剣。たとえ上級悪魔であろうとも腕が消し飛び、悶絶する事だろう。
　想像を遥かに絶する激痛にノイズの走る頭で、その理由を必死に考えた。それを王は易々と振り払う。青年の肩にブスリと剣を突き刺し、また笑った。

「痛いか？　痛いだろう、だがな……」

　刃を引き抜き、腹に浅く刺す。腕、腰、背中、膝、次々と突き刺しては引き抜いて、次を刺す。浅く、死なない程度に繰り返す。鎧をまるで紙のように突き通し、まるで役目を果たしていない。
　刺す度に森中に響き渡る絶叫も、次第に声を落としていった。反応が弱くなると、王は刺すのをやめてしゃがみ込み、ひどく霞んだ青年の左目に、自分の顔を近付けた。

「俺はもっと、痛かった」

　自分の首筋に冷たい感触がして、青年の閉じかけた目がゆっくりと見開かれていく。心の鎧が崩れ落ちる音が聞こえた。
　死ぬ。死ぬ。怖い。助けて。お願いだ、助けてくれ——

「あっ……あぁっ……」

　身体の感覚が一切消えて、青年は地面に頭を打った。



「ご馳走様」

腕を組んで連れ込もうとしている。

巨大なアンチマテリアルライフルを胸の谷間から取り出しでかまえた

無言でさっくんの話に耳を傾けていたアマリアだったが、言葉の意味が分からなかったのだろう。
途中で小首を傾げた。

にっこりといい笑顔。
それから気になる事でもあるのか、と問われれば、一瞬、思案顔を浮かべてから、

悪戯を思いついた子供の顔で、じりじりとさっくんににじり寄る。
その視線は、さっくんが被っている白い布の裾に向いているようだ。

不思議に存在を主張する魔眼をじと見つめて、

一言そう呟いた。多分そういう問題じゃない。

　一転、雰囲気が変わったさっくんを前に、少し緊張した面持ちになったが、

　一つ、深呼吸。

　びしっと布を指さして、そう言った。