暗い部屋の中。
窓から差し込む微かな星明りが、黒いフードの男を照らします。
俯いたまま微動だにしないその姿に、どうやら男はテーブルに着いたまま眠っているようです。
テーブルの上に安置されているのは、仄かな青い燐光を放つ石。
時折周囲に展開された魔法陣に伝播する青い光が、この円陣が効力を以って石を封印していることを示します。

ここは、あの騎士団の詰所の一室。
石は明日には増援の騎士達の護衛と共に、騎士団の息のかかった機密倉庫へと移送される手筈となっています。
そうなってしまえば、たとえこの国の王にさえ、独断で持ち出すことは不可能となるでしょう。
この国で、これ以上に厳重な保管場所は他にありません。

ただ、騎士団の増援が到着するまでの間。
交代で誰かがこの石に付いていることとなったのでした。
奥の仮眠室では、あの少女も眠っているようです。
もし何かあれば、彼女は忽ちに武器を手に飛び起きることでしょう。


「尤も、この石が何たるかを知って奪おうとする酔狂な者など、もうこの世にはいないと思うがね。」


そんな油断もあったのかもしれません。
音もなく開かれた扉から、音もなく放たれるダガーの投擲。
殺気に気付いた男が咄嗟に胸の前に翳した左手の甲にダガーが突き刺さります。
フードで隠した表情に、僅かに苦悶の色が浮かびますが、今は痛みを気にしている時ではありません。
逆の手にした魔導具に魔力を込めて高速詠唱。
部屋を取り巻く暗闇、そのひとかけらが実体を持ち、鋭い棘の形を成すと、仇なす者を貫かんと矢の如く迸ります。


"Despair Needle"———この世界で闇の魔法を扱う者の基本魔術、影を使役する術式の中では最も単純なもの。
単純であるが故に、術者の魔力の質や、術式の精確さが最も顕著に表れる魔法。
術者の魔力が強ければ強い程に、棘は硬く、鋭く、大きく。
術者の魔法のセンス、精神的なキャパシティによって、同時に使役できる数は多く。
そして、術式が精確である程に、黒い棘は意志を持ったかのように、仇をどこまでも精確に追い詰めるのです。

男の放った黒い棘は一本だけでしたが、あの一瞬で生成したことを考えれば相当の手練れだったのでしょう。
ただ、対峙した黒服の女の方が、一枚上手だっただけで。
弾かれたように距離を詰める女は、紙一重で黒い棘を躱し、そのままの勢いで男の手の魔導具を蹴り飛ばします。
標的に躱された黒い棘は、後方の壁へと突き刺さるのでした。

互いの吐息が届く程に肉薄した男と女。
男の頬をダガーの白刃が掠め、すれ違いざまに魔力を込めた掌底を、女の腹部に叩き込みます。
魔導具を介していないとはいえ、至近距離での魔力の炸裂に、女の身体は面白いように吹き飛ばされ、窓際へと転がります。


「浅かったか……」


ダガーが貫き、思い切り蹴り飛ばされた男の腕のダメージも大きかったのでしょう。
何度か咳込みながら、女は手を突きながらも立ち上がろうとします。
止めを刺すべく、その傍らに立つ男。
しかし、最後の力を振り絞っての、女からの強烈な反撃。
弾かれるように飛び上ってからの、さっきの仕返しと言わんばかりの強烈な蹴りで、男を突き飛ばします。
そして女は、その反動を利用して、背後にあった窓を突き破り、よろめきながらも夜の帳の中へと消えていくのでした。


「……迂闊だった、伯爵の息のかかった者が、まだ残っていようとは……」


男がゆっくりと立ち上がりながら、忌々しそうに吐き捨てるように呟きます。
テーブルの上に残されていたのは、粉々に砕けた魔法陣の残骸。


「……死んだ主人に仕え続けるとは、律儀なものだな。」



やがて、けたたましい物音に、奥の部屋から一人の少女が現れるのでした。
寝癖で跳ねた淡い金髪に、寝惚け眼の赤い瞳の長耳少女でした。


「むにゃ……、なんのおとー……？」




　+ + +




夜の帳の中、人気のない広場に黒服の女が現れます。
広場のあちこちは石畳がめくれ、先日に行われた戦闘の痕跡を色濃く残しています。

そんな中、女が何かを探し始めます。
着ている黒服が汚れ、擦り切れることも厭わずに、塩の一粒さえ調べ上げるかのように。

やがて、東の空が明るむ頃。
広場の真ん中で、ボロボロの黒い服の女が、ぺたりと座り込んでいるのでした。
瞳からは、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ、両の掌の上に愛おしそうに乗せられたのは、小さな白い欠片。


「お嬢様……、申し訳ありません。
　私には、これしか……、これだけしか、見つけることができませんでした。」

「私には、魔法の資質も、魔力もありません。
　ですが、私の命程度で、あなたの糧となるならば、私は喜んで……」


そう言って、掌の中の白い欠片を青い石と共に、胸元へと抱きしめるのでした。


そして、朝の光に包まれる広場の中に、あの黒服の女はどこにも居ないのでした。
その代わりに広場に呆然と立ち尽くしていたのは、黒い服の女の子が一人。
真っ白な髪に、病的に白い肌、耳の辺りの青い装飾の目立つ女の子でした。



斯くして、全ての記憶を失くした少女の姿を模した怪物が一匹。
この世界へと、新たに生み堕とされたのでした。

　万已楽はそういうのとはあまり縁がないのだろう

頭が残っている内は糸電話のようなものでその代謝方法をリンクして感じて楽しんでいたが、
ぷちんっと切れてしまってからは魔力の流れを視覚化してぼんやりと見てみる。

吸収された子のことはもう忘れたかのように感心する。
そして、夜中とはずいぶん様子の違う少女の雰囲気に面を食らう。

日の光に照らされた満面の笑顔で腕を前に突きだしてそう言う。

背を向け、台所へ。戻って来れば、盆の上に茶菓子。
そして、先ほど投げかけた問いを再び。