閑話休題（前）
エ「閑話休題とかいいつつちゃっかり前後編になってるよねー」
シ「ほんの軽い気持ちだったの…。今は反省してる…？」
●
　ちゅんちゅんと小鳥達が挨拶を交わす、爽やかな朝。
「あ、シアだ。おはよ……おー？」
　とことこと宿屋の通路を歩いていたエレは、シアの姿を見つけいつも通りに声を掛けて——その何かを考えているようなシアの様子に気がついて語尾がやや尻上がりになってしまう。
「シア？」
　何かを考えている、というよりも……敢えて表現するなら、微妙な顔？
「……ぁ、エレ」
　おはよう、とようやくエレの姿を認識したシアが遅まきながら朝の挨拶をする。
「さ、朝ごはんを食べに行こうか」
　そして何事もなかったかのように笑顔を浮かべてエレを宿屋の下に併設された食堂へと促す。
「……えっと、シア？」
　しかし、
『え、無視！？　無視なんですか！？　あ、あのーすみません！　そこな方、私のこと見えてますよね！？　さっき目が合って「あ、」とか言ってましたもんね！？　ヘルプミー、ヘルプミーなのですよー！？』
　どうやらソレはスルーを許してはくれなさそうだった。
「ん……」
　どうしようかと少し迷った後、シアはちょいちょいとエレを手招きして少し離れた場所まで移動する。
『相変わらずのスルーなのです！？　スルー力、高すぎです！』
　そしてソレに背を向けてしゃがみ込みながらひそひそと声を潜めて内緒話。
「で、どうしてこんな状況になってるの？」
　傍から見ればかなりカオスな光景が広がっていることを自覚しながら、しかし特に気にすることもなくエレがシアに尋ねる。
「えっと、話せば長くなるんだけど……」
　そうして、シアはかなり言い難そうしながらぼそぼそとこうなった経緯を説明し始める。
「エレは知ってるよね？　私、普段は日が昇れば結構自然に目が覚めるんだけど……」
「うんうん」
「今日はね、『起こされた』の」
「うん？」
　それは、つまり——
「誰かが結界の中に入ってきた、ってこと？」
「正確には、その外に適当に伸ばしてる糸に妙な物が引っかかったのに気がついて起きた、かな？」
　——『結界』と『糸』。
　それは本来なら人形遣いが人形という領域を操るための結界であり、人形を繰るための糸である。
　結界とは元々設定した領域内に様々な効果を及ぼす魔法の総称であり、糸は経路を確保したり魔術的関係性を補強したりといった役割を担うことが多い魔法。どちらも人形遣い達にとっては基本中の基本であり、またその汎用性の高さからアレンジを加えやすいこともあってよく応用されていたりする魔法だ。
　今回のシアが用いた結界と糸は、よく二人が野営の際に用いる警報機の役目を果たす魔法だろう。
　結界は物理的な侵入者を感知するために糸は物質的な質量を持たないモノのために。それぞれの役割に特化させて併用することで低コスト高パフォーマンスを叩き出すこと優れものだ。
　……で、あるのだが。
「野宿じゃないのに張ってたんだ？」
　そのことに、エレは少しだけ驚く。
「ん……別にこの宿屋のことが信用できないわけじゃないけど……習慣付けしておかないと、いざって時に忘れちゃいそうで」
「あー……」
　そういえば、旅を始めた最初の頃とかは結構ひどかった。
　二人して結界を張り忘れたせいで危うく売られかけそうになった経験は無駄じゃなかった、ということだろう。
「エレはそういうところ、無頓着だから……」
　エレは下手に長く生きているせいで、その辺りの感覚が若干ズレている。売られたならそれはそれで楽しそうかな、とにへらと笑っているのを見たときにシアは決意したのだ。自分がしっかりしなきゃ、と。
「と、話が逸れてるねー。それで？」
「妙な気配だったから気になって、そのまま糸で絡めとってみたら動かなくなったから安心して二度寝したよ？」
「その結果がこれかー」
「うん」
　こくりと悪びれずもせずに頷く。
『うぅ……私、このままひもじい思いをしながら死んでしまうのでしょうか。はっ！？　それとも心無い人に捕まってあんなことやこんなことされちゃうとか……！？　エロ同人誌みたいに！　エロ同人誌みたいに！』
　背後からはまだ騒がしい声が聞こえてくる。……もしかして、一晩中ああやって騒いでいたのだろうか？
「悪い子じゃなさそうだし、可哀想だから逃がしてあげてもいいんじゃないかな？」
　そうすれば近所迷惑も解消されて一石二鳥だよ？
　そんなエレの心の中の提案に、しかしシアは微妙な顔のまま首を横に振る。
「この子……妙な気配がするの。なんというか……人形っぽい感じがしたっていうか……」
　だから、余所の人形遣いとかの斥候を疑ってたんだけど……と、言葉を濁すシア。
「人形の気配？　でも、あれって……」
　ちらりと、ソレに気付かれないように後ろを見遣る。
「あ、やっぱりエレもそう思う？」
「うん……」
　そして二人は声を揃えて困惑する。
「「天使、だよねぇ……」」
　ソレは、純白の翼を宿した——どう見ても天使の姿をした女の子だったのだ。

●
　一般に。悪魔や何かと比べて、天使の容姿というのは古今東西どの世界へ行っても同じような姿形で表されることが多い。
　それが神に最も愛された形であるからだとされるのが通説ではあるが、真実は違う。『その方がわかりやすいから』だ。
　それはあたかも身分証明書のように。人々が一目見て、『神の御使いだ』と認識できるように。神によってその身分を保証された彼らは、その威光を示すために伝承通りの姿形でこの地へと訪れる。
　——の、はずなのだが……
「……神の威光（笑）？」
『ひーん、そんな憐みっぽい目で見ないでくださいっ！　これじゃ私、何だか本当に憐れな子みたいなのです……！』
　とりあえず。
　あのままの状況は色々まずいだろうということで、じたばたしていた天使っぽいものを荷物担ぎでシアの部屋まで運び（『あぅ、鳩尾が……！　この持たれ方、地味にきついです！　せめて抱っこかおんぶかお姫様だっことかでお願いします……！？』）、エレに食堂から朝食を持ってきてもらって（『じゅるり……』）、もぐもぐしつつ二人で今後どうするかを相談しあう（『え、ここまで連れてきて私のことスルーですか！？　せめて私には一口……！』）。
「私、天使って見たことないからよくわからないんだけど——だからこそ人形かと間違えちゃったわけだけど……本当に天使さん？」
「間違いない、とは思うよー」
　それだけは確信を持ってエレが頷いて、ただ……と言葉を続ける。
「これ以上のことは、本人に直接聞いてみたほうが早い気がするかも？」
　言うが否や、エレはスープの入った皿を持って天使へと近づく。
「はい、あーんっ♪」
『あーん♪　……って、放置プレイかと思ったら次は羞恥プレイですか！？　いきなり高難度のプレイを要求しすぎなのです！？』
「あれ、おいしくなかったかな？　ここのメニューの中でも特にお勧めのスープだったんだけど……」
『おいしかったですもう一口くださいっ！』
「よかった。それじゃあ、たんと召し上がれー」
　尻尾があれば振っていそうな勢いの幸せそうな表情で——実際に尻尾があったとしても、未だに縛られたままだから尻尾も動かないが……天使は差し出されるままにスープを口に運び、結局その中身を完食させてしまう。
『ごちそうさまでしたですっ！』
「はい、おそまつさまー」
　天使の口元を拭ってやってから、お皿をテーブルへ戻すエレ。
「接触第一感想は？」
　食器を丁寧に纏めていくエレに、シアがぼそっと尋ねる。
「んー。廊下であれだけ騒いでても他の人には見えてなかったみたいだし、実体を持ってないことは確かだと思うんだけど食べ物はしっかり食べられるんだよねー。ということは、半分だけ受肉してる？」
「受肉……って、精神体しか持たない生命が地上で活動するために肉を持つことだよね。半分だけ受肉って、メリットはある？」
「基本的に精神体っていうのは高次元の存在だからねー。あまりにも高みにいすぎると下のことが見えなくなっちゃうから、肉を持って自らの次元を落として下界を観察するっていうのはたまに聞く話かな？　で、完全に受肉しちゃうと人間と同じ存在まで落ちる……つまり下界での能力とか制限が人間と同程度まで落ちちゃうから、それを抑えるために半分だけ受肉した……とか？」
「まぁ……なんにしても、やっぱり面倒くさい事情がありそうだよね」
「それじゃあ、私の出番は終わったし、食器を戻してくるねー」
　かちゃかちゃと食器を持って、マイペースに話を進めていくエレに苦笑してしまう。
「うん。いってらっしゃい、エレ」
　まぁ、でも確かに此処から先は自分の役目だろうと納得してエレを見送る。
「はい、いってきます。しっかりね、シア」
　シアの頭をそっと撫でて退室するエレ。
「さて、と……」
　自分の役目、とは言いつつも……どう話を振ろうか、少しだけ悩みつつゆっくりと天使と向き合う。
『……！　や、やっときちんとお話を聞いてくれる気になったですね！？』
　ぱぁっと顔を輝かせる天使。
　さっきのご飯を食べていた時とも少し違う表情。これだけでも、この天使の感情表現は豊かなのだと……とても素直な性格をした子なのだということがわかる。
「交渉用にと思っていくつかカードは用意してみたけど……これなら必要なさそうかな？」
『ぇあ？　な、何か言いましたか？』
「あ、ううん。何でもないよ。それで、えっと……まずは名前、聞いてもいいかな？」
『アプリコットと申しますっ。どうぞリコとお呼びくださいっ！』
　アプリコット……おいしそうな名前だ。
「それじゃあ、リコ……さっきは無視しちゃってゴメンね？　お婆ちゃんの遺言で、知らない人とは絶対にお話をしちゃいけないって言われてて、それでずっとお話できなかったんだ」
　勿論、嘘だけど。
『そ、そうだったのですか……。はっ！？　ということは今お話しているのもお婆様の遺言に反してしまうのでは……！？』
「もう大丈夫、だよ？　ご飯、一緒に食べたし……名前も知ってるし、もう知らない人じゃないから」
　そういえば私の名前を教えてなかったね、と改めて姿勢を正して名乗って手を差し出し……未だに拘束を解いていなかったことを思い出して苦笑する。
「ちょっと待ってね」
　そう言ってリコの後ろに回って絡まった『糸』を少しずつ解していく。
　本来は自分の魔法であるため一発で解除できるのだが……その件に関しては無関係を装うため、ついでに触診してみようという知的好奇心が疼いてその体に触れていく。
「ん……」
　リコの体は半透明で、そのまま触れてみようとするとすり抜けてしまう。やはり糸が反応したということもあって、物理的な肉体は持っていないようだ。
　だが、それなら尚更——何故自分はこの天使を「人形的だ」と感じたのだろうか。
　首を傾げながらも、手先に僅かに魔力を宿らせて優しく糸を解いていく。
　まずは窮屈そうに折りたたまれてしまっている翼部分。
『あにゃ……！？　く、くすぐったいです……！』
　翼の結合部分……つまり肩甲骨に触れたときに、リコがびくんと反応する。
「あ、ダメだよ。今動いちゃったら、また変に絡んじゃうよ？」
『うっ、それは困りますっ。うぅ……我慢、我慢……』
「えいっ」
『あにゃーん！？』
　……楽しいかも？
「だから動いちゃ、めっ」
　くすりと笑みを零しながら、リコの体をぎゅっと羽交い絞めにして翼部分に絡まった糸を解く。
「あれ？」
　この調子でリコの弱い部分を探していこうかなと悪戯心が疼き始めていたシアが、ふと気がつく。
　それはリコの服の下に隠れている体の構造。
　普通の人間と同じような体。だけど、違う……これは、
「球体、関節……？」
　肩や肘、そして腰周りに触れるそれは、人形遣いとしても馴染み深い球体関節人形のそれそのものだった。
『あ、そ、そうなのです！　何だか色々なハプニングがありましたが、お尋ねしたいことがあるのです！』
　翼周辺の糸がなくなって多少の自由を取り戻せたのか、振り仰ぎながらシアの顔を見上げるリコ。
　その瞳は思いのほか真剣で、
『シア様は、私のことをご存知ありませんかっ！？』
　だからこそ一瞬、その言葉の意味が理解できなかったのは……きっと私のせいじゃないよね？
　そんなことを、自己弁護してしまうシアなのだった。