万年雪の如き白髪の老婆が、大樹の木陰で休んでいた。
王城の片側、森林の真ん中である。
まさか一揆の参戦者とも見えぬ。

「天使さま、天使さま。
あなたがわたくしを迎えに来てくだすったのでなければ、
どうか水をお与え下さいませ」

卯の花腐しが話しかけると、老婆はそう言って、美しい瓶覗き色の器を差し出した。

それはカップというには持ち手がなく、蓋を欠いた壷のような形であり、両手で包めるような丸みがある。
或いは元は花器であったのかも知れぬ。
もしくは、卓上の砂糖入れ…。

卯の花腐しは頷いて、離れた泉まで文字通り飛んでゆき、
なみなみと清水を汲んで、零さぬようゆっくりと老婆の元へ運んだ。
（故郷の祭りで、精霊に供物を捧げる儀式のようだ）

「ありがとう。もう一杯、戴いていいかしら」
老婆は水を飲み干すと、また器を差し出した。

卯の花腐しは、また泉まで行って、水を汲み、ゆっくり戻ってきた。



戻ってくると、そこには既に老婆は居なかった。


よくよく見れば、老婆が座っていた大樹の根元の苔は、潰されたような跡もなく、周囲に足跡も残っていない。
エンブリオか、はたまた森の精霊に悪戯でもされたのだろうか。


卯の花腐しが首を傾げていると、朝早くから（何故だか執事の格好で）どこかに出かけていたアーシェが、草臥れきった顔で戻ってきた。

結局、汲まれた水はアーシェに捧げられ、
うつくしい瓶覗き色の器は、今も卯の花腐しの手元に残っているのである。

へちゃり、と糸が切れたように、影は座り込んでしまった。

底に千切れた糸のぶら下がった紙コップを差し出した