再びアイヴォリーたちの前には司祭服を身にまとった男が立ち塞がっていた。冥暗のラズロ。地下牢で死者を意のままに従えて立ちはだかった男だ。その優しげな風貌からはそれでもどこか熱にうわずったような狂乱が隠し切れずに覗く。それは何らかの道を踏み外した、この手の人間にありがちな熱狂だった。
　今回彼が従えているのは六体の命なき者たち。それがあるべき場所から自らの首を失って、それを抱えたまま夜の森を疾駆するという首無し騎士と戸口を叩き泣くという泣き女。そのどちらもが、伝承で生ある者の死を予告する力を持った死の運び手だ。
　対するアイヴォリーたちの側には、炎を司る男と氷を操る女の二人が加わっていた。とはいっても、どちらかといえば加わったのはアイヴォリーたち三人の方で、この訓練場を進んでいたときに彼らとラズロが相見えていたところに差し掛かったのだ。無論、アイヴォリーにして言わせれば彼らの仲間として戦うはずのこの男女にしてみても大きな意味では“障害”のひとつで、資格を有する者がここを通るたびに彼らは何度でもこの戦いを繰り返しているに過ぎないのだが。何度でも繰り返されるそれはどこか寸劇じみていて、言ってみればたった三人の観客たちのためだけにこの舞台の幕が上がったのだった。
　今回のラズロは攻撃に対して周囲にまとった闇の炎で反撃してくる。その炎は決して熱くなく、むしろ身を切るような冷たさを触れた者に感じさせるのだが、攻撃を加えられると飛び散り周囲の命ある者たちを傷つける。それは死者の炎であり、あの世の炎だった。ラズロ本人は既に片足を向こう側に突っ込んでいるからなのか、その炎によって自らを癒す。彼に攻撃を加えるたびに命そのものを削る闇の炎が相手を消耗させ自らはその傷を癒すことで、彼に立ち向かう者たちは自滅していくのだ。そして最終的には、ラズロが呼び起こした首無し騎士と泣き女の予言に従うことになる。
　だが、それは既に知られた情報だった。既にここを通り抜けた者たちが記録した情報が探索者の中で共有されているのだ。それはここに限ったことではないが、それは要するに対策を準備できるか否かということだけを求められるということだ。無論彼らを打ち倒すだけの地力は必要になるが、初めてここを通りかかった誰かが直面したような、何の対策もなしに相手の出方を想像することさえ出来ずに立ち向かう、というような絶望的な状況ではない。ここも他の地点と同じように“障害”であり探索者たちの質を見極めて絞る壁でしかない。
　アイヴォリーたちは既にその準備を整えていた。直接身を“焼き”活力を消耗させる闇の炎だが、そういった攻撃に対しても対策は少ないとはいえない訳ではない。エンブリオたちから得られる活力の防護と、それと同等の効果が得られる付与を施した装飾を準備した彼らは、相手の出方が分かっているだけに負けるつもりは一切なくここまでやってきたのだった。

「働いてくれますね？可愛い可愛い生なる者たち……」

　ラズロが丁寧な口調で命じる。その様子は以前地下牢で見たときのままだった。ただ呼び起こす下僕が異なることを除けば、そして周囲の風景が殺風景な地下の廊下ではなく乾いた砂の混じる風が踊る朽ち果てた訓練場であることを除けば、そしてアイヴォリーの傍らに有るのがあの妖精ではなく別の妖精とエルフの少女であることを除けば。

「…………ッ。」

　呼び出された者たちが徐々にその実体を現すのを見据えながら、アイヴォリーが小さく鼻で笑った。以前の彼ならば滅多にしなかったであろう、漏れ出たのは嘲笑としか表しようのないそれだった。
　彼の周りの味方たちが銘々の役割を果たすために動き始める。だが、その中でアイヴォリーは動いていなかった。立ち尽くしたままで、ただその酷薄な笑みのまま、腕を差し上げて小さく指を鳴らした。
　それがなくても、今の彼らならば十二分に同じことが出来ただろう。結果としては何も変わらなかったはずだ。むしろその時に何が起こったのか、死者というよりは死を司る精霊たちを呼び出した張本人であるラズロと呼び出された張本人である精霊たち、そして彼らに干渉した張本人であるアイヴォリー以外には分からなかった。
　その音が響いた瞬間、呼び出された精霊たちは呆けたように動きを止めた。まるでそれまで彼らを操っていた糸が唐突に失われたように。ラズロは小さく目を見開き、アイヴォリーは相変わらずの嘲笑を浮かべたままだった。
　そして次の瞬間、シェリーの斧から放たれた颶風とメアリーの放った魔術が精霊たちを一掃する。ラズロは失われた下僕たちを新たに呼び寄せるべく地獄の門を開き始めた。
　アイヴォリーは、その様子を相変わらず冷たい笑みで眺めたままで、ようやく両脚に佩いた短剣に手をかけた。


　アイヴォリーの足元にラズロが倒れていた。結局彼は一度もその笑みを頬から消すことなく、アイヴォリーたちはラズロを倒した。
　小さく呻いた司祭服の男の顔に、アイヴォリーは屈み込んで無造作に耳を寄せる。

「……それでは、……にで……ない……」

　ラズロは苦痛に顔を歪ませながらも、なぜか満足げだった。口調はそれまでよりも優しく、その調子はあたかも同輩に対しているかのようでさえあった。

「……も、ここ……同じ……」

　アイヴォリーに何かを告げたラズロの笑みが深くなる。持ち前の地獄耳の恩恵か、言葉をしっかりと聞き届けたアイヴォリーもまた、その笑みを深くして立ち上がった。

「悪ィな、オレは食ったんだよ。ソレはもうオレのアビリティッつーコトだ。なワケで、テメェの言うようニャならねェんだな。」

　冷たく鼻で笑うと、アイヴォリーは足下で倒れている男にそれだけを答えた。アイヴォリーが彼に視線を落とすと、そこには僅かばかりの灰が澱んだ風に舞っているだけでもう何も残ってはいなかった。