Fewliw Simmelto...
[ むかしばなしをしよう ]


　童女が童女のままだった頃の話だ。
　しかし男が童だった頃の話でもある。


　その邸の住人が、食堂、と呼ぶ場所は、外から来た者から見れば名前に似つかわしくないと思うかもしれない。
　染み一つない純白のクロスが包み込むテーブルは広く、しかしクロスもまた床に長く垂れるほどに大きい。
　その上に乗った食器もまた、曇り一つなく磨き上げられている。
　少女の身で使うには少々高さがあるためか、他のものより高い椅子を使っているが、背の高い椅子はテーブルの中で一つだけ。
　同じテーブルについた少年は、他のものと高さの変わらない椅子に座っている。
　少女と少年を見比べた者がこの場にいるとしたら、そのうちの全員が少女より少年が一回りは年上だと口を揃えるだろう。
　少女に言わせて見れば、自分とそう変わらないと答えるが。

　どちらかが偽っているわけでもない。
　外見について言うならば、少女よりも五つは少年の方が年を数えているように見えるのは当然だ。彼の背は今や少女と比べて頭一つ分は大きい。
　そして精神年齢で言えば二人は同じくらいであることも間違いはない。少年の魂は、肉体より後から生まれたのだから。
　さてその魂はと言えば、年齢は外見とまるで逆であった。——ただし、それは少女が人のような魂を持っていればの話だが。
　精神年齢だけがよく似た二人は、食堂の同じテーブルを囲んで、お行儀良く椅子に座っている。
　天井のシャンデリアの周りを廻る水時計が、ゆっくりと滴り落ちるばかりの静けさの中、最初に口を開いたのはフィンだった。

「あのねあのね、ケィノのごはん、ネィロがつくってくれるの！」
「さっきの、おやつじゃなくて、ごはん？」

　嬉しさを隠そうともせずに、フィンはぷらぷらと脚を揺らす。
　黒に近い緑色の髪をした少年は、髪よりも鮮やかな緑色の眼をフィンに向けて、それから緩慢な動作で首をかしげた。
　フィンは相変わらずにこにこしたままで、大きく首を振って頷いて見せる。

「うん！　フィンのおやつもね、つくってくれるのー。
　ケィノのごはん、きっときっとおいしいの。ケィノの、おなかすいたの、なおるから、だいじょうぶなの！」
「うん」

　言い聞かせるようにフィンは言うが、その対象が眼の前の少年であるのか自分であるのか、本人もよくわからないまま。
　いまいち要領を得ないようなフィンの発言にも、ケィノは緩やかに頷くばかり。

「だからね、だいじょうぶだからね」
「うん」
「えと、それから、えぇと——…」
「ふふ、随分と熱心に説得しているね」

　机に両手を置いて、クロスをきゅうと握り締めて、フィンがおろおろと言葉を濁らせていると、新しい音が紛れ込んだ。
　涼しげな笑い声と共に、こつ、と柔らかな絨毯を踏んで食堂に入ってきたのは、フィンと同じ眼をした紅い髪の、

「しゅと！」
「フィン。僕の名前は、せめて後一歩……じゃ足りないか。五歩くらい頑張って、ストーニク、って呼んで欲しいな」
「うん、わかったの、しゅに！」
「あはは、本当にわかったのかなー？」
「にゃああ…！」

　紅い少年がにこにこと笑顔でフィンに近付いて、何の躊躇もなく頬をむにーと両手で引っ張れば、フィンは情けない悲鳴を上げて両手をぱたつかせた。
　すぐにフィンの眼は潤みだすが、紅い少年は笑顔のままだ。

「ふえ、え、あうぅ…っ、ご、ごえ、なひゃ…っ」
「フィンのほっぺたはよく伸びるなあ」
「ごえ、う…なひゃいぃ…っ」
「はい、よくできマシタ」

　ぱっと手が離されてすぐに、フィンは少しだけ紅くなった両方の頬を手で押さえる。
　本気で引っ張られたわけではないが、うにうにされた箇所を撫で撫でと労わる。
　二度三度と撫でて痛みが引けば、涙目で紅い少年を見上げ、神妙な顔で謝罪した。

「しゅとー、ごめんなひゃ…っ！？」
「はい、三回目ー」
「きゅうぅ…っ」

　今度は引っ張られずにすんだ代わりに、両手でむにむにと挟まれた。
　喋りにくさではこちらの方が難易度が高い。
　あうあうとフィンが涙目で両手をぱたぱたさせているが、紅い少年は対照的に非常に楽しそうに笑うばかり。

「フィンー？　僕の名前、もう一回だけ言ってご覧？」
「しゅ、あう、…ひゅ、にぃ〜…」
「ねぇ、フィン。僕は頑張って五歩遠ざかって欲しいわけじゃないんだけど」
「みゅ〜…っ」
「あはは、フィンのほっぺたは柔らかいなあ」

　引っ張られたり挟まれたりであうあう言っているフィンと同席しているケィノは、状況がよくわかっていない風にきょとんとしている。
　恐らくは彼に背を向ける形になっている紅い少年が壁になって、フィンに降りかかっている悲劇が見えていないためだろう。

「？　みゅーって、なに？」
「ケィノも、フィンが何言ってるかわからないって」
「あうぅ〜」

　しばらくして気が済んだのか、紅い少年が手を離せば、フィンは慌てて自分の手で頬を押さえる。

「しゅ、しゅ…す、とー、にく…ひどいの…」
「あれだけ堂々と間違えるフィンも酷いよね」
「…ごめんなさい」
「うん、いいこ」

　よしよしと頭を撫でられれば、フィンは先程のことを忘れたようにころっと機嫌を直して嬉しそうにする。
　そのせいで毎回紅い少年に遊ばれてしまっているのだが、改善の兆しは一切なかった。
　フィンとケィノとが両方見える位置の椅子を引き、紅い少年は脚を組んで腰掛ける。片腕で頬杖をつき、もう片方の手は机の上に置いてしまうと、姿勢を崩していても様になって見える。

「そうそう、ケィノ」
「なに？」
「フィンがみゅーとかにゃーとか言ってるときは、猫がじゃれているようなものだから」
「？」

　いまいち意図が掴めないような顔をするケィノを気にする様子もなく、紅い少年は水色と黄緑の視線を扉へと投げる。
　計ったようなタイミングで扉が開き、最初にそこから現れるのは食器同様に磨かれた銀色のワゴンだ。
　いくつかの小皿を載せたワゴンの次に現れるのは、陶器のような硝子の持ち手を押す黒い男。
　彼は食堂に入ってすぐに、一人多いことに驚きもせずにゆったりと一礼し、動作を区切って扉を閉めてから再びワゴンを押した。
　滑車の音は毛足の長い絨毯に吸い込まれ、静かにワゴンはテーブルの傍らまで到着する。

「フィンストーニク様も、何かお召し上がりになられますか？」
「僕は構わないよ」
「畏まりました」

　ひらりと手を振ったストーニクに一礼し、黒い男はフィンの前に一枚の皿を置いた。
　続けてケィノの方へとワゴンを押して行く黒い男の後ろで、フィンはかくりと首を傾げる。

「おなかすいてない？　フィンのおやつ、ストーニクもたべる？」
「んー、じゃあ」

　ふわふわのスフレにスプーンを差し込みながら、フィンはおやつを勧めてみた。
　そんな少女の手元を見て、ストーニクはゆったりと笑う。

「AleAto（僕にもちょうだい）」
「AlEaTo（あげるー）」

　耳で聴いただけなら全く同じ単語をそれぞれが口にした。
　しかし当人たちにとっては間違いようもなく適切なやり取りだった。
　スフレを乗せたスプーンを差し出すフィンと、それを受け取るストーニクを見ながら、ケィノは少し考えるようにかすかに首を捻る。

「——ターケィノ様は、今の言葉の違いがお判りに？」
「……ちがう、ようなきもするけど、はっきりしない」

　消化に良さそうな、薄い琥珀色のスープ皿をテーブルに置きながら、黒い男は問うと言うより確認するように言う。
　スープに続いてワゴンから運ばれてくる、ボイルされた鮮やかな緑のサラダの方をぼんやりと見て、ケィノはまだ言葉に迷う素振りを見せながらも答えた。
　サラダの上に散った赤やオレンジは一見すると花びらのようだが、しゃきしゃきしていて甘いので、ケィノにとっては材料の不明な食べ物の一つである。

「たぶん、」

　言いながら、少年は自分の両の耳を手で押さえた。
　塞ぐように。

「みみがわるいから、よくきこえないんだとおもう」

　あっけらかんと口にする。
　水時計の音は聴こえるが、彼にはフィンやストーニクが日常的に聴いているであろう音の半分も聴こえていないのだろうという確信があった。
　聴覚の良し悪しを決める基準の正しさを除けば、それは事実でもある。

「わたくしめの意見を申し上げれば、不便でない程度に聴こえていらっしゃるのですから、必要以上に気を揉まないように」
「うん。こうやってはなすときは、ふべんじゃない。
　でも——きいてみたいな、ともおもう。どんなおとが、きこえてるのかな」

　返却されたスプーンで、自分もスフレを口に入れていたフィンが、ケィノの視線に気付いてか振り返り、まばたきをひとつ。

「ケィノもいるー？」

　物欲しそうな視線だと勘違いでもしたのか、フィンは手元のスフレを示して問うて来る。
　ふんわりとした生地にきつね色の焼き色がついて、スフレの見た目はおいしそうなものだった。
　しかしケィノの前にも美味しそうな香りのする食べ物は並んでいる。
　おやつを食べる手を止めたフィンにつられるように、ケィノもスプーンに伸ばした手を止めて。
　一秒、二秒、と眺めていたストーニクが、おかしそうにクスクスと笑いながら頬杖をついた。

「おやつはご飯を食べた後にした方がいいと思うけど」
「……そうする」

　空腹であることも手伝ってか、ケィノはスフレよりもスープや粥の方に気が惹かれる。
　或いは今までの経験から、フィンの食べるものの多くは、ケィノが口にしても雲か霞のように腹に溜まらないことを知っているからか。
　皿を配り終えた黒い男も、その意見に同調した。

「フィン様、どうぞお召し上がり下さい。ターケィノ様が食事の後に甘味をご所望でしたら、わたくしめがお持ちいたします」
「うん、ありがとー」
「ありがと。……いただきます」

　フィンとケィノの言葉に一礼を返し、黒い男はワゴンを下げるべく食堂から退室する。
　ぱたんと扉が閉まるのを見届けてから、フィンはまた一口スフレを食べる。
　おいしー、と幸せそうな感想を口にして、ぱたぱたと脚を揺らす仕草は、仔犬が尾を振る様に似ていた。

「うん、おいしいね」

　ささみと卵でシンプルに味付けされた粥を口にして、ケィノも頷く。
　きちんと「食べた」と認識できる食べ物と、そうでない食べ物は、何が違うのかもケィノにとってはわからないことだ。
　言動を見る限り、フィンもよくわかっていないようだったが。

「あのねあのね、しゅともおりょうりじょうずなの！」
「フィン、また僕の名前が退化してるんだけど」
「ストーニクもおりょうりじょうずなの！」

　指摘されれば、フィンは素直に言い直す。

「よしよし」
「えへへー」

　今度はちゃんと言えたので、ストーニクが頭を撫でると、フィンは嬉しそうに笑った。
　サラダを箸でつつきながら、ケィノは小首を傾げてみせる。

「そうなの？」
「そうなのー」
「どうしたの、フィン。甘えたい気分？」

　頭を撫でながら笑うストーニクを見上げて、フィンはこくこくと頷いた。

「あのね、またストーニクとパイつくりたいの！」
「そうだね、明日は久し振りに、一緒におやつ作ろうか」
「うんー」

　嬉しそうに満足そうに微笑んで、フィンはケィノを振り返って手を広げる。

「あしたはね、フィンとストーニクがおいしいパイつくるのー。
　ケィノもいっしょにたべようねっ」
「うん」

　それは不思議と「食べられるもの」のような気がする。
　ケィノの返事を聴いて、フィンは益々嬉しそうにした。

「フィンね、パイたべるとね、ふわふわ〜てするの。
　ケィノにもしあわせのおすそわけするの！」


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絵日記ゲットが遠いなら、リンクにらくがき庫を設置しようそうしよう。
まずはパーティメンバーから日記からくがき庫で使いたいなと狙っています。（ぼそっ）

ようやく正しい位置に地図を持って、先に続く廊下に向かって声をかけてみる。

人形は飾りのついた袋を何度かゆすって童女にわたし、そのうちから一枚とるように言い聞かせた。

童女が引いたのは骸から若芽の萌えいずる図のメルンストゥーラである。