1. トロイア勢

シスター服の女性が王城の大廊下の彼方をぼんやりと眺めていた。トロイアの亡霊を率いる謎のシスターである。彼女は廊下の彼方を見つめて動かない。シスターの背後に立つ王城1階大廊下の守り手であるフロラとダイゴは訝しげにその背中を見守っている。

フロラとダイゴにはシスターが惚けたように突っ立っているように見えるのだろう。しかし、さにあらずである。トロイア勢の亡霊を率いる謎のシスターの目には、王城一階大廊下に水量豊富な川が流れ、山地を背後に構えた平家の怨霊どもの陣地が映っているのである。それは大草原へと転戦していったシュガーが残した呪術的な結界であった。平家の怨霊達は普通の人間の目には見えないが、シスターのように霊魂を見通す目の持ち主にはその姿が見えるのである。

シスターはいまいましげに平家の陣容を見つめていた。徐々にではあるが王城も一揆側に侵食されつつある。シュガーの結界はシスターの亡霊の活動を妨げる上に、橋頭堡は後方連絡線として機能する。恐らくシュガー達が容易にイルヤナを突破して速やかにこの大廊下へ戻ってくる。シスターの背後のフロラとダイゴにしても容易に突破するだろう。ほぼ同時に2パーティが2拠点を制圧し、大廊下2階への進行することとなり、また一段と王城の制圧が進んでしまうのだ。

シスターの耳に背後の暗がりから声が届いた。トロイア勢の総大将ヘクトールの低く厳かな声であった。シスターも声に頷きをもってかえす。シュガーに召還された平家の怨霊共はシュガーの呪符によって独立に活動を行い、シスターのアンデッドは橋頭堡の怨霊共に遮られて王城大廊下から広庭へと進む事ができないでいる。このような拠点を王城内のあちこちに作られると城の防衛に支障を来しかねない。

シスターは指で宙空にスターを描き、ぐっと唇を噛む。あの世とをこの世をつなぐ術式が履行され、シスターの背後の空間に魔術回路が展開され、緑に輝く霧が立ちこめる。霧の中からは城塞都市トロイアの防衛に組みする伝説の亡霊たちが続々とシスターの召還に応えて現れる。槍を手にした屈強な男達、凛々しきアマゾネスたち、霧煙を上げる戦車軍団、そして、その中心部にマントを羽織った威厳のある男が姿を現す。輝く兜のヘクトールの霊であった。

シスターはシュガーの残した呪術結界を破壊する決意を固めていた。堅固な防御陣に待ち構える平家の怨霊であるが、シスター達トロイア勢に有利な点が１つある。それは、平家側は召還者であるシュガーは怨霊と別行動をとっており怨霊のサポートはできないが、トロイア側では召還者であるシスターは死霊とともに戦う事ができる点である。シスターはここ数日シュガーの呪術結界を研究しある程度の対策を練る事ができた。

死霊や怨霊の戦いにおいて、敵対する霊体のかつての敗北を同じように被らせる事ができるならば、それは、敗北の呪いとなって怨霊共を縛ることになるのだ。シスターの虚ろな瞳に爛とした光が灯る。シスターはシュガーの呪術結界を己の魔術によって無力化し、トロイアの英霊達によって平家の怨霊に呪いの楔を打ちこむ。そう心に決めていたのだ。

2. 平家の怨霊

平家の陣営内では、居並ぶ平家の益荒男達が軍議を開いていた。謎のシスターの剣呑な視線から、トロイア勢が平家の怨霊の陣営に敵対的行動をとるのは明白に思えた。トロイア勢が陣地に攻めてくる際してシュガーは平家の怨霊に転送用の呪符を用いて撤退するよう進言していたが、あるいは、シュガーが大草原から戻ってくるまでこの陣地を防御するべきか否かが問題となっていた。

斥候に出した武者達が次々にトロイア勢の動向を伝えてくる。前方対岸に対陣するトロイア勢の総数は約3万、総大将はヘクトル他、ヘクトルの親友で参謀格のプリュダマス、リュキュア勢のサルペドンとグラウコス、など、トロイア勢の面々が連ねていた。しかし、シスターの姿はなく、また、パリスやヘレノスといったトロイアの他の王子達、ペンテンシレイアやメムノンといったトロイアへ援軍に駆けつけた諸将の姿が見当たらない。

トロイア側の戦術は主力と搦め手による挟撃である。平家の怨霊達に思い出されるは、一の谷の戦いのことであった。平家が回復不能な大打撃を被った戦であり、後白河法皇の偽の和平交渉によって騙し討ちを受けた戦であった。一の谷の戦いで平家側は多くの将兵を失い、二度と昔日の勢力を回復をすることはなかった。

平家の怨霊達の目に爛と黄色の炎が灯り、軍議の場に怪しい瘴気が立ち上る。平家の怨霊達は一の谷の戦を思うと苦々しい敗戦の口惜しさに身震いをはじめる。憎悪の炎が燃え上がり、かの敗戦の屈辱を何としても雪ぎたいとの呻き声が上がる。撤退なぞ論外といった雰囲気であった。

しかし、憎悪に燃える怨霊ばかりではなかった。猛々しい怨霊の他にもダウナー系の怨霊もいるわけで、平家の怨霊の層が厚いのである。維盛の霊が胡乱な瘴気を立ち上らせながら、言葉は穏やかに他の荒ぶる怨霊を諌める。確かに一の谷の雪辱は晴らしたいものだが、その執着は敗戦時に呪いとして自らに返ってくるものだ、と。

対して、荒ぶる怨霊達は維盛の霊を非難する。この臆病者め、貴殿は富士川の戦で鳥の羽音に怯えて逃げ出し、また、一の谷の前後に敵前逃亡し、熊野で入水して果てたのだったな、壇ノ浦で滅びた我らの無念は分かるまい、と。その非難の声はまるで深夜の僧坊から重ねて響く読経の声のごとしであった。

維盛の霊は胡乱な瘴気を発しながら応えて曰く、かつて敗北した戦いに再び敗れることは、すなわち、我らが永遠に敗れることにつながる。我らの運命を確たるものにしてしまうだろう、と。必勝の策なくば、撤退が望ましい、と。維盛の霊には同じくダウナー系の怨霊である清経の霊と資盛の霊が賛同し、平家の怨霊は重盛に連なる小松家の怨霊とそれ以外とで二分し、議論はまとまる様子もなかった。

そんな有様の平家の怨霊共を１人黙っていた重衝の霊は爽やかに笑って語りかけた。

他の平家の怨霊達はその堂々たる振る舞いに触れて憎悪も絶望も忘れて感嘆の声を上げた。さすがはうっかり大仏殿を焼いてしまった男、腰の据わり方が違う、と、諸将はみな頷き合った。

かつての一の谷の戦の時とは状況が異なる。怨霊拳の継承者であるシュガーレス・ショーガがついているのだ。シュガーは頼もしい援軍を連れて、主上である安徳帝の霊と共に戻ってくる。持久の策は取る必要もない。たとえ自分達がトロイア勢いに敗れ去ったとしても、シュガーがその先に進んでくれる。希望が残るのである。

軍議の場を覆っていた怨霊の瘴気が晴れ渡る。撤退ではなく自陣の防衛作戦である。平家の武将達は甲冑をまとい太刀を履いて立ち上がった。互いに目配せをかわし、速やかにそれぞれの防御陣地へと向かって行った。

平家側の主立った武将は以下である。川岸でトロイア勢の本隊、ヘクトルの霊と対陣する将兵は以下のごとし。重衝、維盛、（伊藤）忠清、（伊藤）影清、経俊、清房、清貞、清経の霊である。山地の絡め手の守りにつくのは以下のごとし。教経、通盛、忠正、忠度、資盛、有盛、敦盛、経正の霊であった。

3. シュガーレス・ショーガ

イルヤナへの突貫戦はものの数分で終了した。アイリスのSP攻撃を魁に、アルトとペガサスによる魔弾が雨霰とばかりにイルヤナに降り注ぎ、終末時計も復元領域も完全に封印しての完全勝利であった。

また、れんたろうが練習試合で披露したパーティ全体の行動速度を上げる術式は、味方に様々な戦術的な選択肢をもたらすものであった。シュガーの耳に安徳帝の霊の興奮気味の声も届く。

そして、流れる雲が日差しを隠し、安徳帝の霊の静かな声が届く。

シュガーは瞑目して頷き、パーティの面々に大廊下へ案内するべく先導して歩き始めた。速やかな転戦であった。イルヤナ戦の勝利の余韻に浸ることもない。

シュガーは彼方に沸き立つ夏雲を見上げて呟く。行くべき道を見据え、シュガーには迷いはないようだった。目指すは王城大廊下2階への階段付近であり、シュガーはその場で何を行うか、それがどのような結果をもたらすかについて、最早覚悟を決めていた。

シュガーは怨霊と会話をしているようです