木々生い茂る山に現れた存在二つ。
それは勘を鋭く尖らせた熟練者でなければ感じる事が出来ない、言い方を変えれば、
一般人にとっては道端の小石のように実に取るに足らないほど、小さな小さな気配であった。

「へー。ここがメルンテーゼかー」

「未開拓地ってところだな」

「そこは自然豊かって言わない？」

それらは周囲を見渡せるような場所に移動すると、軽い調子で感想を述べる。
一つは一部を黒に染めた金髪を持ち、声色から軽薄さが滲み出る男。
一つは黒いローブを身に纏い、容姿は知れないが冷めた声色を持つ男。
軽薄そうな男は冷めた男の言葉に苦笑するが、冷めた男は事実を言ったまでだ、とばかりに鼻を鳴らす。

「ま、いいですけど」

「……そんな事より、あれを見ろ」

「あれ？……あ、ホントだー。なんか動いてるー」

どれどれ？と軽薄そうな男は冷めた男が指差した方向に目を凝らし、動く二つの存在を確認する。
二人が居る場所は人の手が入っていない山。二つの存在が居る場所は手入れが施された庭。
人であれば望遠鏡が必要であるところを、二人は確かに肉眼で捉えていた。
一つは歴戦を潜り抜けてきたと思われる、身体に古傷を付けた茶色い狼。
一つはヘドロから生まれたスライムだとも、闇の塊のようだとも表現出来る黒いモノ。
二人が見たものは、生垣の影に溶け込んでいた黒いモノが、
そこを走り抜けようとした茶色い狼に覆い被さったところだった。

「ん？あのわんちゃん、エンブリオじゃない？あっちの黒いうにうにも、確か報告されてたっけ。
えーっと……あ、そうそう。ローバルって言ってたな。最近噂になってるわるーい奴」

「ああ……なるほど。人間の装備品に動物の寄生虫ってところか」

「ちょっ、酷くない？でも分かるー」

冷めた男がそれぞれを評した言葉に、ケラケラと笑い出す軽薄そうな男。
弱肉強食。喰うか喰われるかが自然の掟であるが、それにしても二人の反応は異質だろう。
茶色い狼はもがいている。しかし、黒いモノが顔を覆い隠す方が速い。
次第に茶色い狼の動きが鈍くなっていく、やがてピタリと動かなくなり、その身が地面に横たわった。
黒いモノはこれ幸いとばかりに、悠々と茶色い狼を飲み込んでいった。

「あーあ。あのわんちゃん可哀想。結構頑張ってたんだけどなー」

「本当に白々しいな……触れられれば触れられるだけ魔力を奪われるんだ。無理に決まっている」

「そうだけどさー。あ、お食事終わったみたい」

拗ねたように口を尖らせていたが、黒いモノが魔力を吸い終えた事を感知し、視線を戻す。
まるで燃えたぎるマグマの如く、ごぽりごぽりと膨れ上がっていく黒いモノ。
縦に伸びていく黒いモノは、やがて明確な形を取り始める。
それは人——ヒトガタ——と呼ぶに相応しい姿だった。
くるくると匙を遊ばせたコーヒーの中に、白いミルクが垂らされたかのように、
白い模様が全身に浮かび上がっていく。
仕上げとばかりに内部から硬質的な物体がせり上がり、黒いモノに顔を授けた。
顔、と呼ぶに相応しい仮面は鋭い牙を持ち、左目に当たる部分に一筋の線が入っている。
喰らった相手から受け継いだものだろう。
化け物が生まれたにも関わらず、いいものを見たとばかりに軽薄そうな男は口を鳴らした。

「無事に成長したみたい」

「面白かったな」

「え？珍しいねー。そんな事言うなんて」

今までのやりとりから推測すると、二人は普段から付き合いがあり、
それも数年そこいらの付き合いではないと考えられる。
よっぽど珍しい事だったのだろう。軽薄そうな男は少し驚いたように目を開き、冷めた男を見遣る。
冷めた男はふん、と鼻を鳴らした。

「ま、そこそこな……いい余興だった。楽しませてもらった礼はしないとな」

「マジ珍しいねー……悪い事が起きるぞー」

「否定したいところだが正解だ」

「ですよねー。んでも、全部悪い事でもないかー。あのわんちゃん、まだ使えそうだし」

「死に掛けてるがな。さて」

冷めた男は左手を前に向ける。
ピン、と張り詰める空気。
左手から黒いもやのようなものが立ち上り、まるで意思を持ったかのように掌の前に収束していく。
小さな台風でも発生しているのか。掌の前でしゅるしゅると渦巻いていた黒いもやは、
やがて渦の中心に黒い結晶を生み出していた。
黒いもやが集まれば集まるほど、黒い結晶はぐんぐんと大きくなっていく。
人間の子供サイズまで大きくなったところで、冷めた男は左手を思い切り横に払った。
ブン！と音を立てて飛んでいく黒い結晶。
新しい獲物を探すため、移動していた黒いモノが居る方向に飛んでいった。
黒いモノは己に向かってくるものに気付いたらしく、ゆらりと振り返る。
ブシュッ！と黒い結晶が腹部に突き刺さった。
黒いモノは倒れる、かと思いきや、形を持ったその身を再びどろりとしたものに変え、
黒い結晶を飲み込み始めたのだった。
動かない獲物を飲み込むのは容易いようだ。
大きさはあれど茶色い狼よりも速く、黒い結晶は黒いモノと同化してしまった。
途端、動きを止めてしまった黒いモノ。
ググッ！ググッ！と何かがその身を突き破ろうとしているかのように、
膨れては萎み、膨れては萎みを繰り返している。
苦しんでいる。そう見えてしまうのは、やはり人の形をしているからだろうか。
黒いモノは身体を丸める。
グッ……と小さく背中が膨れ上がった瞬間、大地を揺るがさんばかりの咆哮が響き渡る。
冷え切った溶岩を思わせる漆黒の中、新たに噴き出したマグマの如く走る深紅。
太い爪。大きな翼。長い尻尾。双眸を冷たく光らせる顔。
そして、変わらずにそこにある、鋭い牙に左目に傷のような線が入った顔。
双頭を持つ化け物が産声を上げた瞬間だった。
さらなる成長を遂げた黒いモノだったそれは、大地に黒い皮を落としつつ、
新たに得た大きな翼をはためかせ、何処へと飛び去っていく。
落ちた黒い皮はぐにぐにと蠢き、獲物を待つためにそれぞれ影に溶けていった。

「あー……」

軽薄そうな男は、魔力を結晶化した魔石を与えてしまった冷めた男をチラリと見る。

「てへぺろ」

「じゃないよ！せめて棒読み止めよう！」

全く悪びれない様子に思わずツッコミを入れてしまう。

「それはともかく」

「スルー力高いね！」

「ローバルとは、魔力の持ち主の特徴を受け継ぐとはっきり分かったな」

「ああ。ホント……ちゃっかり双頭になっちゃって」

「面白くなった、だろ？」

「……否定はしないよ。対抗勢力が居るって聞いたし」

冷めた男に同意するかのように、軽薄そうな男は笑みを浮かべた。
ローバルと呼ばれる存在と同時に、それに対抗する存在が居る事も知らされた。
一人の青年と彼に味方する妖精達。そして、彼らに呼応するように丘へと集まる者達。
彼らの力はどれぐらいのものか。
冷めた男が生み出した双頭を持つモノを倒す事が出来るのか。
それは個人的に確かめたい事。
メルンテーゼに来た理由を忘れてはならない。

「さて、そろそろ行くか」

「オレも。わんちゃんの様子見に行こっと」

「そうだな……上手くやれば新しい駒になるだろう」

「うん。そうするつもり」

「じゃあな。しくじるなよ」

「そっちこそ」

二人は軽く手を上げ、それぞれ成す事を成すために歩き出した。
お互い、どこか似たような笑みを浮かべながら。










「ようやく会えたな…………悪魔」










いつも通り、斧を振るっていた時だった。
突然それは目の前に現れ、酷く残酷な事を言い放ったのだ。

「だ、れ……？」

がつん、と頭を殴られたようだった。
喉が酷く乾き、べったりと張り付いているかのような錯覚に陥りながらも、なんとか問い掛ける。
クイトはハディートを庇うように前に出た。
しかし、普段は言葉が通じないながらも、ハディートを守る動きを見せるパアルが全く動こうとせず、
クイトが名を呼んでもただただ静観していたのだった。










ENo.178 黒谷シュウスケ様より設定をお借りしました。ありがとうございます。

（大量の実が入った籠を受け取り、中身を一つ一つ改め… 首を傾げて思案する。
何となく、楽しそうだ）