あら？こんなところまでお客さんですか。
ちょうど良いです、昔話に付き合って頂きましょう。
だからそんな怪訝な顔をせずに、此処で出会ったのも何かの縁、小鳥の囀りとでも思って聞いてくださいな。

そうですね、まず何処から話しましょうか……
おっと席を立つのはお早い、淹れ立ての紅茶でも如何？ちょうど良い茶葉が入りましたの。
こうして紅茶を差し出していると思い出しますわね、クリスが主人に仕えていた時のことを。
元々は侍女として造られた機械人形でしたので奉仕は得意でしたわ。
だからそんな意外な顔をせずに、ゆっくりとエクラタン産の華やかな風味を堪能なさってください。
物静かな森林の中でのティータイムも中々趣があるでしょう。

さて、昔話に戻りましょうか。
此処のような深い森、その中に聳える大きなお屋敷の主人にクリスは買われました。
そして質素なエプロンドレスを見に纏い、ロングスカートを翻しながら日々の奉仕に精を出してましたの。
いくら麗しい女性の姿を持っていても元は人が使う機械、中身は精密な部品で埋め尽くされていますわ。
一度教えられた仕事は二度とエラーを起こすこと無く的確に、忠実に命令をこなしていました。
彼女は人形、彼女の先輩も友人もみんな人形、人形だけで構成された侍女達は職務に一切の支障を致すこともしません。
人間はいないのかって？
みんな好き勝手遊んでいましたよ、労働はみんな機械に押し付けてね。
毎日豪華な食事を食べて、毎日優雅なパーティを繰り返していました。
彼らもある意味人形なのかも知れませんね。だってそれしかしないのですもの。
まあご主人様もそうじゃないかって言われると何も言い返せないのですが。

クリスの主はというと、彼は病弱な男性でした。
幼い頃から病を患っており禄に外を出歩くことさえできない彼を、侍女達は毎日毎日面倒見ていました。
彼女達は男のためならどんな願いも聞き入れるつもりでした。
資産が圧迫されないの最大限の食事を用意し、貴族として恥じること無き教養を教えて主人を気品溢れる男性に育て上げたつもりでした。
しかしどこまで着飾られても所詮籠の中のカナリア、それを既に自覚してしまっていた彼は満たされません。
ノブレスオブリージュ、高貴な者には高貴な者の義務がある、クリスの主人はあの時代にしては珍しくまともな部類に入る貴族でしたの。
本当は遺産を食い潰すことなく、跡取りとして一族を繁栄させたかったのですわ。
侍女達を衰退し錆付いていく屋敷の歯車としてではなく、煌びやかな御城のメイドさんにしたかったのでしょうね。
それでも誰も彼に異を唱える者はいません。侍女は主に従うモノですから。
そして従い過ぎたから一線を越えてしまった者もいましょう。
クリスもそんな熱暴走を起こしてしまった侍女の一人でした。


『愛している』


ああ、なんと甘美な響きでしょうか。
クリスだけがその福音を直々に受けることができました。
きっかけはわかりません。
男の悩みを一番真剣に受け止めてくれたからかも知れません。
淹れた紅茶が一番美味しかったからかも知れません。
それとも単純に容姿が一番好みだったからだけかも知れません。
陳腐な恋愛ドラマもへったくれも無くその日突然クリスは愛の告白を囁かれました。
ロマンも何もあったもんじゃありません。紙芝居だってもう少し水増し引き伸ばしはするはずです。
でもクリスにとってはそんなことはどうでも良いこと。
選ばれた優越感と義務感に浸りながら、これからは侍女としてだけではなく妻として彼に尽くして行くようになりましたわ……


あらあら随分退屈なさっている様子。
色恋沙汰には首を突っ込みたくなるのが人の性分ですが、惚気話ともなると欠伸が出てしまうのは無理もないですわね。
どうせほとんど変わらない日常を繰り返すだけですもの。ここは一気にページを末尾まで進めてみましょうか。






……花は散り、いつか枯れ逝く。
亡骸は、地に解け春には新たな生命を造り出す。
巡り廻るはずだった命達、彼らはその理から外れてしまった。
どれだけ忠義を捧げようとクリスは所詮機械人形、主の子を授かることはできません。
愛は奇跡を呼ばず、やがて消えゆく雪のように、彼らの仲は冷え切っておりました。
いえ、正確には主の方が一方的に距離を置くようになっていたのです。
この頃は一層部屋に篭るようになり、他の従者達からも離れるようになっていました。
とは言え理由は誰もがわかっていたでしょう。
髪は抜け落ち声は拉げ、生涯を誓ったあの日とは似ても似つかなくなった彼は誰にも姿を見せようとしませんでした。
自分を取り囲むメイド達も変わらぬ姿を保っている妻も今の彼にとっては美しい彫刻でしかありません。
最早彼女達を自分と同じ存在として見なせなくなってしまっているのです。
自分だけが朽ちてしまう震慄と寂寥に蝕まれながら命の灯火が小さくなっていくのをただ待ち続けていました。
そんな彼に失望したのか、いつしかクリスは姿を見せなくなりました。
戴いたドレスを彼の寝室に置いて、彼女は屋敷から去りました。
彼は気に介することはありませんでした。
むしろ心労の種であった彼女が消えて清々しました。

彼の元にいた人形も徐々に少なくなりました。
あるモノは新たな従者を求めて、またあるモノは己の力量に限界を感じて次々と去って行きます。
最後に残ったのは彼のおしめを変えた時から奉仕し続けていた、僅かばかりの侍女のみでした。
しかしそれでも彼は気にすることはありませんでした……


『———します』

いつかもわからなくなった、されど聞き慣れた声、返事も待たずまた侍女がベッドメイクをしに部屋に入ってきます。
そして自分を赤ん坊のように扱い、いつものようにおしめを替えて、勝手に部屋を掃除していくのです。
男は惨めな気持ちでいっぱいになりました。
自分だけ、衰えて、醜い身体を晒しながら蛆虫のように這いずり回って生きていく。
早く消えてしまいたいという渇望に、死ぬ勇気も持てない情けなさに、主としての役割も果たせない申し訳なさに涙が出てきました。

『誠に恐れながら失礼します』

泣き声が漏れてしまったのでしょうか、侍女は男の目元を絹のハンカチーフで拭っていました。
今でも洗濯しているのか見覚えのあるそれは昔と変わらぬ肌触りを保っていました。
そのままハンカチーフが置かれると侍女は改まって彼に向かい直ります。
普段なら早く出て行って欲しいと思った彼も、この時ばかりは何も言うことはできませんでした。

カツ、カツ、カツ、

聞き慣れた足音が部屋に向かってく。
いつもは一人しか来ないはずのこの部屋に。

カツ、カツ、カツ、

別の来訪者が訪れようとしている。
でも何のために？　わからない、ベッドメイクに人数はいらない。

カツ、カツ、カツ、カツ。

思考を引き伸ばす暇も無く足音は大きくなって、やがて扉の前で止まりました。


『ご主人様、お客様です』

侍女がそう言うと長らく緊張を保っていた扉が開けられました。
外にいたのは女ではありましたが、侍女ではありませんでした。
髪の色は抜け落ち、水気を失った肌は痩せて枯れ木のようになってしまっています。
男が知る女にこのような老婆は存在致しません。みんな美術品のように美しい人形なのですから。

だけど男は何故か彼女を懐かしいと感じていました。
男は知っています。老婆が胸に付けている藍色の薔薇を。
男は知っています。老婆が見せた悪戯な微笑みを。
男は知っています。知っています。知っています。


命が命を育むとは限りません。
撒いた種が芽生えるとは限りません。
死神のアルカナは必ずしも変転を示さないのです。
何の糧になるわけでも何かを遺すわけでもなく、ただ滅びを受け入れるのみ。
クリスは光を求めなかっただけ。闇の中で眠ることを選んだだけ。
彼女は年老いた主を抱きしめました……





おや、こんな時間になってしまいましたわね。
ちょうど紅茶のお代わりも切れた頃ですしここらへんでよろしいでしょう。
今日は思い出話に付き合って頂き有難うございます。
誰かに話すことって大切ですわね、久々に胸がすっきりしましたわ。
ですが何か釈然としていない御様子。
なぁに、所詮昔の話ですから適当に流して頂いて良いのですよ。
ただ一つ言えることは、『クリスは私の"起源"【ルーツ】に過ぎない』ってことですわね。
それではご機嫌よう、貴方に良い廻り合わせがあることを祈っておりますわ。