◆一ヶ月前のアウルさんの話（前々回のガンドさんの話の続き）

　アウルがガンドと初めて会ったのは、二人組での出張が決定した、つまりついこの間の事だった。開発部のオフィスはアウルの所属する警備部とは別のフロアにあり、エスカレータを使いガンドの下に挨拶に出向かんとしている今この時、アウルはそれなりに緊張していた。
　別部署の人間だし同期という訳でもなく、これまで出会う機会が無かった為、話したことは無い。ただガンドは有名人だった。社内で三回、大学生時代に一回、彼の噂を耳にした事がある。テレビショウの中の人物という訳でもないのに、それだけの回数他人の話題に上がれば十分だ。
　ガンドのファミリーネームはサーペント。彼は重力と異世界の関係性を証明した論文を作り上げた、時の大科学者フレア・インスペア・サーペントの孫息子なのだそうだ。まずそれが一つ。それからは浮名、悪名の類。彼の事は食堂や社内ですれ違う時に何度か見かけた事があったが、確かに端正な顔立ちをしていたし、それから女慣れしていそうな雰囲気もあった。だからその噂には信憑性があり、実際そういう人物なのだろうとアウルは思っていた。
　フロアに到着して社員証を受付のモニターに提示。白の扉が開き開発部に足を踏み入れる。開発部のフロアは警備部と違い全てのデスクにパソコンが設置され、それから全員が席に着いている。当たり前の事だが、違う部署ともなれば同じ会社とは思えない程に様変わりするものだなと思った。携帯を取り出し取り込んでおいた席次表を表示しつつガンドの席を探す。皆ヘッドホンやらイヤホンやらを付け集中しているらしく誰もこちらを振り向きなどしない。仕切りで区切られた席をひとつふたつと進んでいくと印象深いピンク頭が見えた。ガンドだ。
「サーペント先輩」
　派手な頭のその人はモニタから目を離さずキーボードの手を止めない。
「先輩、あのー、すいぁっせん」
　もう一度少し大きな音量で声を出した時、やっと目的の人物は振り向いた。
「はぁい……あ、あー！　アカイン君ね」
「退勤前に挨拶しておけと部長に」
「ああうんうん聞いてる聞いてる。ていうか出張に関してのアドバイス貰えって言われてたのはこっちなんだから僕から出向いても良かったぐらいだよね。わざわざありがとう」
　早口気味に喋る彼と、そこで初めて目を合わせる。ガンドは人好きのしそうな笑顔でにっこりとほほ笑んでみせた。

　それから部署を出て、待合室で缶コーヒーを啜りながらこれからの予定を話し合った。必要物品の一覧やら、出張の際の注意点など。ガンドも部長達から出張についての話は聞いていた筈だが、現場でしか分からない事も多かったらしく、アウルが何かを言う度に彼は「えっそうなんだ」などと言って驚いてみせた。アウルはそう無駄な事を喋る方の人間では無いのだが、ガンドの話し方が人慣れしている人間のそれだったからだろう、最終的には雑談にまで話が弾んだ。
「それにしても現地でも問題無く通信は通じるようで良かったよ。不具合報告も多いからさ、メルンテーゼはどうなのかなって思ってたんだけど」
「こことそれ程遠くない世界ですから」
「うんうん、これで奥さんにも毎日愛の言葉を囁けるって訳だねっ」
「……言うんすか」
「言うよぉ。アカイン君は奥さんとか彼女とか居ないの」
「居ないっすねえ」
「居ないの。へぇ意外ー」
「俺は先輩が結婚していた事の方が意外でした」
「えっ何で？　えっそうなの？」
「先輩は有名人ですから……」
　ここまで言い掛けた所で、アウルははっと口ごもった。しかしガンドが食いつく。
「えー何それ、知りたい！　僕って噂では何て言われてるの」
「あー。いや。あまり良い噂でもないんで」
「つまり悪口って事かいアカイン君……？」
「いや、そういう訳でもないんですけど」
　悪口ではないだろう。ガンド・I・サーペントという人間は受付の美人新入社員を入社一日目のその日に食ったのだそうだとか、営業部の誰それとホテルから出てきた所を目撃されたのだそうだとか。大学時代に聞いたのは「四代前のチェス研究会はほぼサーペントという男のハーレム状態で部室は常に女9に男1の割合で毎月彼は違う女と付き合っていたらしい」とかまぁそんな感じの汚れた話ではあったが、人間性の根幹を腐すような事を聞いた試しはないので、まあ、悪口ではないのだろう。多分。
「ふうん。まあ、君が話したくないんならいいや。でもおっかしいなぁ〜僕は君の噂は聞いた事無かったなぁ〜こんなに将来有望そうな子が入ってきたって知ったら独身女子達が騒いでも良さそうなもんなのにねぇ〜聞き逃したのかな？」
「先輩は女子に混ざって話聞いたりするんすか」
「するする超する。ていうか僕の心は半分女子さ」
「はい？」
　もしかしてセクシャリティについての繊細な話が始まるのだろうかと一瞬思ったアウルは固まった。が、それを見てガンドはははと笑い出し、すぐに話を逸らした。
「僕はまぁさぁ、色々噂になってもしょうがないと思うけど。君は噂になるような事は無いのぉー」
「はぁ。噂ですか」
　自分の過去の行いを色々と思い出してみる。平凡な家庭で生まれ育った上に特にずば抜けて成績優秀という訳でもなく噂話の中のガンドのように女をとっかえひっかえした事など一度たりともないアウルには思い当たる節を探す方が難しかった。
「ハイスクールん時の部活で全国まで行ったぐらい……？」
「えー凄いね。何部だったの」
「武術部でした」
「へー！　州とかならともかく全国は凄いなあ」
「普通ですよ。初戦敗退でしたし」
「えそーお？　十分成功体験じゃない？」
「いや厳しい部だったんで。部長は三位入賞まで行ってました、それに比べたら」
「はーぁ、アカイン君格好いいなぁー」
「はい？」
　何が悲しくて人生で見てきた中でも三本指に入るレベルの遊び人に格好いいなどと世辞を言われねばならぬのか、とアウルは思った。

　思ったより長引いた雑談の後、休日にガンドと買い出しに行く予定を立ててから、その日のアウルは一人、誰も待つ人間の居ない部屋に帰った。


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じろじろと見られているのを不思議に思ったのか

　ぽっぽが羽音を立てながら動きまわる
　何かを見つけたようだ