或る過去の記憶



「着いたぞ」

まるで小屋とも似通うような小さな家の戸を開くと、内部から空気が押し出されて埃が大きく舞って漂う。

『綺麗ですね。』

不衛生な粉塵の舞う景色を指して、『綺麗』だと評する少女の言葉に思わず小さな笑いが漏れる。

「その認識は改めるべきだと言っておこう」

『残念です。』

おおよそ三年程ぶりにひらかれたであろう扉の奥へと進むと、居間には食器やテーブルに椅子、本棚など人が暮らすのに不便でない道具達がうっすらと埃を被りながらも残されていた。

「変わりないな」

呟いてから、当然か。と付け足して

「このままでは人が暮らすのには向かない。」

言いながら振り返ると、ここにくるまでずっと手にぶら提げていた掃除の道具を、背後で立ったままでいた少女へと差し出す。

『……』

少女の眼差しが私の手元の道具に向けられてから、私自身の目へと到達し視線が重なる。興味と疑問……答えを求める澄んだ瞳。彼女のこのしぐさにも大分慣れたものだ。

渡そうとした道具を床に置くと、その内のひとつを彼女へ見せるように手にとって説明を始める。

「これは箒だ。」

『ホウキ。』

「この細い部分……柄を持って、先端に束ねられた繊維を使って塵を掃く」

言いながら実際に少しだけ床を掃いてから、その様子を食い入るように見つめていた少女へと箒を手渡した。

『理解しました。』

「良い子だ。」

次にバケツの中から一枚の布切れを取り出す。

「そしてこれが雑巾」

『ゾウキン。』

「これを手に持って、こう……汚れを拭き取る。」

手元のテーブルを少し拭き取って見せる。少女がコクリと頷いたのを確認すると、雑巾をバケツの中へと戻す。

「ま、これを使うのは後でいい。まずはこいつでできる限り埃を排除する。」

もう一本の箒を手に取ると少しだけ左右に振って見せる。

『……あの、一つお聞きしてよろしいでしょうか？』

「いいぞ」

『なぜ埃を取り除く必要があるのでしょうか』

「……ン」

腕を組んで、どこまで説明するべきかと少しだけ考える。あくまで彼女に必要なものは『人として生きる』事において必要な常識であって専門的な知識ではない。

「人体に悪影響を及ぼす。お前は問題ないのかもしれないがな。」

『悪影響。』

「あと、あまり気分が良くない」

『気分……。』

「人間というのはそういうものだ。急ぎ大事に及ぶようなものでもあるまいが……放っておいて良いものでもない。」

『理解しました。……あの……』

「何かな」

『埃で気分が良い場合も、掃除は必要なのでしょうか？』

「……なんだと？」

少しだけ唖然としてしまう。彼女の言葉を反芻し、改めて意味を考える。考える。

「お前の体にとっては良い影響を及ぼす……という事か？」

『いえ、あくまで気分の問題です』

「そうか、なるほど……なるほど。くく……」

そうして初めてその意味を理解する。舞い上がる埃を美しいと言ったように、彼女にとって溜まりに溜まった埃という物はまだ害悪ではなく、あくまで珍しくて、そして深い興味の対象なのであろう。

「はは……そうだな。お前の気持ちは汲んでやりたいが生憎私はそうともいかないのだ。人間だからな。」

『残念です。』

伏し目がちに、いかにも残念そうに『残念です』と呟く。ここ最近ではどうにも感情の表現が上手くなってきたと言える。

「ま、掃除する過程で飽きる程見られるさ……寧ろ終わるまでは嫌といってもやめさせないからな。私はあの子のようにお前に甘くはないぞ」

『はい。』

「それじゃあはじめようか……夜までに終われるといいんだがな。」

少女の頭を手のひらで、ぽん。と小さく叩くと、それぞれ掃除を開始した。

「……結局、戻ってきたな。協会が閉鎖して以来……か。」

ざぼんっ

がしっ！

ざばんっ