幼い頃、山で遭難したことがある。
7歳か、8歳くらいの時。
3つ下の弟は病弱で、5つ下の弟は、まだ物心もつかない歳。
何としてでも道場を存続させたいと願う父親から、私ばかりが厳しい剣の指導を受けてきた。
筋は良いと言われていたが、それでも稽古の厳しさは尋常ではなかった。

本当に、ばかなことをしたと思う。

とても寒い日だった。
剣の稽古だけでなく、日常にまで及ぶ厳しい指導に、私は嫌気が差したのだろう。確か、そんな程度の理由だった。
夜中に家を抜け出して、小さな灯りだけを持って家の近くにある山へと駆けていったのだ。
寒かった。稽古でできた傷も痛んだ。
しかし、全ての束縛から解放され、気持ちは晴れやかだった。
そのまま山を越えれば、どこか別の世界に行けるような気がしていた。
足元は悪く、何度も転んだ。それでも悴む手足を抑え、高鳴る鼓動だけを力にひたすら山を登っていった。

1時間くらい走っただろうか。
足は傷だらけで泥まみれ。そしてとにかく寒く、空腹も感じてきた。
段々と自分のしていることの重大さに気づき、足取りに迷いが生まれてきた。
来た道を振り返り、また前を見ることを繰り返していた。
しばらく悩んだが、やっぱり戻らなきゃ、と思った。
そして、たった今登ってきた道を降りようとした瞬間。
足を滑らせ、持っていた灯りを落としてしまった。
慌てて掴もうとした私自身も足を踏み外し、あちこちに体をぶつけながら転がり落ちた。

やがて落ちるのが止まった時には、体はぴくりとも動かなかった。
意識だけは、限界のところで保っていた。
辺りは真っ暗闇。痛みも、寒さも感じなくなってきた。
ああ、私は死ぬんだな…と思った。
寒かったはずの身体は、何故か温かさを感じていた。

もうだめだ。
そう思って、目を閉じた。

その後のことは、覚えていない。
気付いたら、父が泣きながら私のことを強く抱きしめていた。
自分は生きていたのか、それとも死んでしまったのか。
それすらその時はよく分からなかった。



……ただ。

あたたかかった。



あんなに泣く父を、私は見たことがなかった。
あんなに強く抱きしめられたのも、それが最初で最後だった。

それからは、父は稽古を強要しなくなった。
私は、それから数日間、どこかをぼーっと眺めて何もしなかった。
父も母も何も言わなかった。
ただ、弟に「ごめんね」と言われたことは覚えている。
私は何も言わず、ただずっと、ぼーっとしていた。

そしてある日、私はふらっと父の道場に顔を出し、気が付けば剣を振っていた。
誰に言われるでもなく自分の意志で……。



……これが、最も鮮明な自分の記憶。
なぜ助かったのかはよく分からない。
もしかしたら、この一揆の中でその理由が分かるかもしれないし、もしかしたら一生分からないかもしれない。

ただ、私は剣を振る。
それが正しいことのような気がしているから。
後はきっと、剣が答を導いてくれる。

そう信じて。

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