アーネに話があると言われ、食事を終えたのち、兄さんとアーネが私の部屋にやってきた。
兄さんは何か飲み物でも用意するか、とお茶を入れに。アーネは私の対面に座っているが、その様子は明らかに普段のものではない。元々、明るい雰囲気を出す子ではないが、今はそれ以上に硬さを感じる。
その雰囲気に私も飲まれ、少し緊張をしている。
何か予期せぬ事態が発生したのか。魔女が見つかったのか、決して良い知らせではないだろう。

「おまたせ」

兄さんがマグカップを三つ持ってそれぞれの前に置いていく。
柔らかに湯気の温度がほんの少しだけ、固まった体と心をほぐしてくれる。

「それじゃあ本題に入る……前に二人に聞きたい事があるわ」

睨みつける、と言っても遜色ない視線が私達に向けられた。

「私達がこの地に来て、何日経ったかしら？」

投げられた問いに思わず兄さんの方を見る。兄さんは唖然とした様子で私のほうを見ていた。恐らく私も同じような顔をしているのだろう。
私は心の中で指折り数えていく。

「今日で十一日目……かな」

その答えに兄さんもコクリと頷く。
アーネは暫く黙ったまま、私達の顔を値踏みするように見比べる。その表情は相変わらず険しい。
質問の意図もわからず、まさか間違えたっけ……と不安になるが、私一人間違うならともかく、兄さんも一緒に間違える可能性は低いだろう。

やがてアーネはそう……、と呟くと溜め息を付いた。
話が見えなくてどうしようか、こちらから聞いても良いものか悩んでいるとアーネが口を開く。

「十一日目、その答えに私も同意するわ。三人が同時に間違える事なんてそうないわ」

マグカップを持ち上げ、お茶を啜るアーネ。
ここに来た日数がどうかしたのだろうか。

「それがどうしたんだ？」

兄さんの言葉にアーネは険しい表情を崩す事無く、首を横に振った。

「違うのよ」

「違う……？何が違うの？」

「私達がここに来て過ごした日数が違うのよ」

その言葉の意味が解らず返す言葉を失った。
私の勘違い……？いや、アーネはさっき何と言っていた？同意する、と言ったはずだ。

なら、どういうことだろう。

「簡潔に言うと私達の中で一日が丸ごと『なかったこと』になっている、みたいね」

一日なかったこと……それって、

「本当は十二日目、ってこと？」

あまり理解の追いついてない頭をとりあえず置いておいて情報を求めようと口が勝手に動く。
その問いにアーネは頷く。

「正直、私も信じられないのよ。でも日数のロストは本当のようなの。私の上司から証拠を見せてもらったから」

「でも、その上司さんの勘違いって事はないのか？」

「それはないわ。彼は困った人ではあるけど嘘を付く人ではないし、こんな嘘を言っても何の得にもならないわ」

アーネはそこで初めて険しい表情を解いた。今度は困ったように眉を顰める。

「私だけが勘違いしている、というのなら杞憂で終わったのだけど。この場の全員がそう思っているなら事態は良くない方向に進んでいるわ」

「良くない方向？」

「上司が言うには三日ほど前、尋常じゃない魔力反応があったらしいの。一瞬の事だったらしいのだけど、記憶にある？」

その言葉通りなら気づかない方が難しそうだ。寝ていたとしてもそんな事があれば気づくだろう。
それを見逃した——いや、感知すら出来なかったという事が意味する答えは簡単だ。

「その魔力反応と私達の日数ロストが関係していると」

頷き、アーネはしかめっ面をする。

「それも回収対象である道具が使われた可能性が高い、ということよ」

「時間を切り取る……そんな事が出来る物なの？」

「可能よ。詳しくは言えないけどそれ位は易々と行える道具よ」

室内に重い空気が流れる。私達の時間を切り取る事に一体なんの意図があったのか。
私達の妨害、不測の事態に仕方なく、もっと他に目的があるのか、それは私には解らない。

「更に厄介なのはあんなものを簡単に使う奴にそれが渡っているということ。使い方自体は方法さえ解れば容易なのだけれど、それが引き起こす歪みの大きさはとんでもないわ。あった事をなかった事にする、それは世界というシステムにも大きな負荷を与える。多用される事になった場合、あまり想像したくない事態も起きかねない」

その言葉に頷く。例え小さなほころびだとしても、そこから大きく取り返しの付かない傷になることもある。それが自然や生態環境すら変えてしまうこともあるだろう。
出る杭は打たれる。強力すぎるものは人の手に届かない場所にあるべきなのだ。制御できるできないに限らず。
そんな誰かの言葉を思い出し、同時に嫌な予感を覚える。

「まさか、あの人が使った……なんてことありませんよね？」

「さすがにそれは……」

そこまで言って兄さんは苦笑したまま固まってしまった。
彼の頭の中にも私と同様、同じ人物が浮かんだ事だろう。

「魔女の関与は不明よ。今はなんとも言えないわ」

あの魔女ならそんな道具を使ったりはしないとは思う。強力な力の危険性を十分理解しているだろうし。
ただ、絶対ない、と言い切れないのも歯がゆいところだ。

彼女が何らかの理由で必要と判断した場合、なんの躊躇いもなく使うだろう。そういった厄介な人物なのだから。

「そう言えばさ」

兄さんがふと思い至ったように口を開く。

「時間のロストって、俺達だけなのか？」

「と言うと？」

「アーネの上司さんは少なくとも影響を受けていない。でも俺達は受けてる。それはこの世界全体に作用してる事なのか、それとも一部を対象にしているのか、どっちなんだろうと思ってな」

「たしかに……」

「それならみなさんに聞いてみたらどうですか？」

私の提案にアーネは首を横に振る。

「時間の喪失、なんてあまり公にしないほうが良いわ。どうであれこちらの印象は悪くなるでしょうし」

確かにそれもそうか。もし、誰かに聞いて、それが全員そうだとしたら衝撃的な事件だ。その衝撃は伝播し、大きな波紋となり、最終的に大パニックを引き起こしかねない。それはよろしくない。
私達だけこのような事態になっていれば怪訝な顔をされるだけなら良いが、事情まで話すわけにはいかない。もし話してしまった場合、それを聞いてしまった人物までもがこの事件に巻き込まれる形になるだろう。

やはりあまり口にするべき事案ではないようだ。
だが、事態をしっかり把握しないと対策は難しい。
何とか情報収集はできないか、と考え思い出す。

「アセナたちに聞いてみましょうか。あの子達なら話を聞いても問題ないでしょうし」

「なるほど、その手があったわね。悪いけど聞いてみてくれるかしら」

「明日にでも早速連絡とってみましょう」

その言葉に二人が頷く。これで少しは状況把握の材料になるだろう。

「しかし、そんな凄い力を平然と使われて、こっちが把握できない、か……。これは厳しいな」

「みんな大丈夫でしょうか」

私達も知らずこんな事態に巻き込まれているのだから、アセナたちに何かあっても不思議ではない。
そう考えると急に不安で胸の辺りが重苦しくなってくる。思わず両手を強く握った。

その時、ふいに肩に手が置かれる。
顔を上げるとそこには少し困ったように笑う兄の顔があった。

彼は何も言わない。何を言っても気休めにしかならないと知っているからだろう。昔から私が悩んだり落ち込んだりすると何も言わず傍にいてくれる。それが妙に安心を覚える。
その手から伝わる温かさと兄さんの気持ちが伝わってきて、不安は少し和らいだ。