side:——アーネ


彼女はくすくすと笑うと踵を返すと歩き始めた。
その後姿を睨むかのように見つめる。そうすることで熱を持った顔が少しでも冷めれば良いと思いながら。
そんな私の様子を知ってか知らずか、このみはこちらを振り向く事無く、私達が拠点としている宿へと向かっている。

その後姿に別の影が重なる。
正確にはその姿を目の当たりにしたことはないが、

話に聞く、魔女——雛神由依がいたらこんな人物なのだろうか。

姿形は双子のように似通っている。性格は恐ろしく違うらしいが、先ほどの歳相応の悪戯が成功したかのような表情は小悪魔めいたものを感じた。
やはり根本は似たもの同士、ということだろうか。

ハッする。

「……！？」

そしてそのまま周囲に視線を巡らす。
太陽は山の奥へ姿を消し、辺りはすっかり暗くなっている。
周囲には家路に急ぐ人の姿も見受けられるが、皆、自分の行く先を見据え歩いている。


その中で感じた視線。

「………………」

明らかに自分に向けられた視線。

敵意や強い目的のあるものならばはっきりと判断できただろうが、そうではなかった。

一瞬だけ走る頭痛のように、それは次の瞬間何もなかったかのようにさらりと流れる。
そんな気のせいのような、それでも妙に印象に残る視線。

その主を探そうとし、ちょうど草むらから現れた黒猫と目が合う。

金色の目をした猫はじっとこちらを見た後、

「にゃー」

と一鳴きするとバッと走り出し、暗闇に消えてしまった。

まさかあの猫は……と一つの可能性に至ろうとしたその瞬間に甲高い音が自分から発せられる。
思考に沈みかけていた意識が強制的に浮上させられ、体が反射的に震えた。

周囲の人も、先を歩いていたこのみも何事かとこちらを見ている。

慌ててスーツのポケットから発信源である端末を取り出し、発信者を確認するとそこには上司の名前が表示されていた。

「先に行っててちょうだい」

「う、うん」

冷静を装いこのみにそう告げる。彼女も突然の音に驚きを残したままうなずくと、少しこちらを気にしながらそれでもまた宿を目指し歩き始めた.

周囲の人も何事かとこちらを見ているが気にせず端末を操作し、通話を開始する。

「アーネです」

『呑気な声で出るじゃないか、後輩ちゃん』

上司の不機嫌そうな声が耳元で炸裂する。
元々だるそうな口調だが、今日はそこに苛立ちのようなものが混じっているのが解る。
少し体が強張る。

「何でしょう、そちらから掛けてくる何て珍しい」

そう言うと今度はそこに呆れも混じる。

『お前はどっか抜けてるとは思ってたが、一応バカ真面目ではある。そこは欠点であり長所だ』

バカとは何だ、とむっとしながら黙って言葉の先に耳を傾ける。

『だが、二つも同時にポカする奴だとは思ってなかったよ』

「……二つ？」

自分は何かをやらかしたのだろうか。

『気づいてないのか？おいおい、マジかよ……』

今度は完全に呆れかえっている声を聞きながら考える。

アレコレと原因を思い浮かべるが、どれも的外れな気がした。
ここ最近、怒られる様な事も呆れられるような事は何もなかったはずだ。

『仕方ねぇな』

どうしようもない部下に解りやすく、ゆっくり諭すように上司が言葉を紡ぐ。

言葉が耳に入り、脳へ届けられ、その意味を咀嚼しようとする。


だが、それは失敗した。


耳に入り、脳へ届けられたその意味を咀嚼した結果、口から出たのは、

「…………は？」

という自分でも随分間抜けな声だった。