ダンテック・ノエルは、破竹の勢いで大量の化け物を狩っていった。

「これならば来るべき本番。《始祖》カーミラを相手にしても、勝てるかもしれない」
「いいや、勝てるに決まってる！」
　ブルークロス内部でも、ノエルの倒した化け物たちの屍体を目にすると、そんな希望に満ちた声が上がりだすようになった。

（本当に、これでいいのかしら……）
　そんな中一人、排除し終えた化け物のデータを眺め俯くラフィン。
「そんな不安げな顔をして。どうかしたのかい？」
　彼女にそう問いかけた男はヴィルヘルム・エヴォル・メダルドゥス。
　ラフィンが最も苦手とする男であり、同時に本作戦における最重要人物だった。

「ちょっと、違和感があるだけ」
　素っ気なく突き放したつもりのラフィンだったが、エヴォルはそれを聞くと興味深げに身を乗り出した。
「違和感？　ダンテック・ノエルの世話係を務めていたのはキミだ。何か分かることがあるなら、教えて欲しいな」
「別に、そんな大したものじゃないわよ」
「大したものさ。キミがそう思うかは別としてね」
「……、……」
　突き放すラフィン。食い下がるエヴォル。

「じゃあ。こういうのはどうかな？　キミはボクに、その“違和感”とやらの情報を提供する。代わりに——」
「……代わりに？」
　　　　　　　 ス　パ　イ
「——キミを諜報員として、《フリージア》の内部に入れてあげよう。ボクの助手ってことで」
「はぁっ！？」
　とんでもないことを言ってのける男だ——と、ラフィンは思った。
　確かに《始祖》を研究する《フリージア》に、既に裏切り者として入り込んでいるこの男ならそれも可能だが。
　わざわざそんなリスクを冒してまで、一体何を聞き出したいと言うのか。

「要らない？　敵組織に潜り込めば手柄も大きいし。何より、ノエルの敵を見ることが出来るよ」
「…………」
　逡巡。
　確かにこの男は、明らかに信用ならないが——。

「大したことじゃ、ないんだけどさ」
　ラフィンはゆっくりと、口を開いた。

　　　　†

　場所を《ブルークロス》内部の喫茶店に移す。
　職員も客も皆組織の人間である為、この会話が漏れて困ることもないだろう。
「似てるんだ。ノエルの“殺し方”」
「似てる？　何に？」
　ラフィンはホット・チョコレートを一口啜ると、殺されたばかりの化け物の資料を手に取った。
「これ。ノエルと戦闘した化け物は、皆例外なく死後に爆破されている」
「……へぇ？　なるほどなるほど。致命傷は既に負っているのに、その上から手榴弾の破片が刺さっているね」
　エヴォルは水の入ったコップを揺らすと（何と彼は、何一つ注文せずにこの場に座っていた）、口角を愉快げに釣り上げた。

「この殺し方。私にそっくりなの」
「……ほお？」
　ラフィン・Fコッポマン。
　彼女は家族を化け物に殺され、孤児となっていた所を《ブルークロス》の幹部に拾われた——。
「——私は、化け物を憎んでいる。そして恐らくはノエルも、同じように」
「それの何が問題なんだい？　憎しみなんて、この組織じゃ珍しくもないだろう」
「そうじゃない！」
　思わず机を叩く。
　周囲の客が怪訝そうにラフィンの方を見てきた為、慌てて一つ咳払いをした。

「……私は——ノエルの前で。一度も爆発物を使っていないのよ」

「それは、とっても不思議なことだね」
　エヴォルは、満面の笑みを浮かべそう答えた。


　　　　†


「前より気持ち悪くなったんじゃない？　——エヴォル」
「お褒めに預かり光栄だね？」

　——39日目。
　エヴォルは十字架に磔られたラフィンの元へ、現れた。
「話すことなど何もないわ。《フリージア》に入った私の正体を、すっかりバラしてくれた貴方になんかね」

　そう。
　　　　　　　　　　　　　ス　パ　イ
　エヴォルの手により諜報員として入り込んだラフィンは、他ならぬエヴォル自身の手によって告発されたのだ。
　　　　　ダ ブ ル ス パ イ
　まさか二重諜報員だったとは——。信用ならない男だと認識はしていただけに、むざむざ誘いに乗った自分の愚かさをラフィンは悔やんでいた。

「折角退屈していると思って顔を見に来てあげたのに。その扱いはヒドいなぁ？」
　ニマニマと意地の悪い笑みを浮かべるエヴォル。
「死ね」
　そう言うと褐色肌の額に向け、勢い良く唾を吐きかけた。
「あはは、元気だねー？」
　しかしエヴォルは気にした様子もなく、白衣の袖で飛んできた唾液を防いだ。
「私はお前を殺せるぞ。舌を今すぐ噛み切ってやろうか」
　吸血鬼は、自身の血を操ることが出来る。当然吸血鬼であるラフィンも、例外ではない。

「そんなことより——」
　自分の殺意を“そんなことより”で済まされるのは不愉快だったが、エヴォルの次の言葉は、ラフィンを黙らせることの出来る一言だった。

「あの時キミが感じた違和感。理由を知りたくはないかい？」

　



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　　第四次報告書

　これだから実験は止められない！

　ミラルカ・ハウダニットと名乗る個体は事もあろうに、堕天使と接触を果たした。
　それも凡百の堕天使ではなく、サタン級の因子を持つ者相手に、だ。

　驚くのはここからだ。
　ミラルカ・ハウダニットは、今後大量の吸血生物の血を吸い（或いは吸う事が出来ずに飢えを感じ）、最終的には人間の吸血鬼化と、食事を同時に行えるようになる予定だった。
　しかし想定に反し——ミラルカ・ハウダニットは、サタンの因子持つ者——パロロコンの血液の、魔力の一切を乱す事なく吸血行為に及んだのだ！
　今後も彼から目が離せない。

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　ラフィンは拘束を解かれ、《始祖計画調査報告書》なるものを読まされていた。

「……、……これが、何」
　それはラフィンにとって、気持ちの良いものではなかった。
　何故ならこの報告書は、ダンテック・ノエルが《始祖》に殺された事実を示していたからだ。
　予想していたとはいえ、それは重く伸し掛かった。

「ノエルは役に立ってくれたよ」
「何ですって？」
　エヴォルは二つのティーカップを用意した。
　一つにはホット・チョコレート。もう一つには青白く発光する謎の液体を注いで、机の上へと置いた。
　　、、、、
「《始祖の卵》——ミラルカ・ハウダニットに、悪魔を積極的に殺させるのが一番難しかったんだ」
「……卵？　《始祖》は完成していたんじゃ——」
　エヴォルは発光している不気味な液体を綴ると、肩を大きく竦め、ラフィンを無視して語りだした。
「《始祖》は動物よりも、植物みたいなものでさ。
植物は水をやらないと枯れてしまう。だけどカーミラは、水が自分に必要であることも分かっていなかったんだ」
「何を——」

「だからミラルカに、悪魔を殺す理由を与えたんだ。
化物の血から、記憶を得る能力でね」
「記憶を得る……ですって……？」

「記憶に無いかい、ラフィン。キミは一度たりとも。ノエルに《自分の血》を与える瞬間は、無かった？」
　覚えがない。
　自分の血なんて——


「——！」
　あの時。
　あの時気が付かぬうちに、ノエルは自分の血を摂取し、その記憶を得ていたと言うのだろうか。

「ダンテック・ノエル。《集合的裁断の原理》の目的は三つ有った。

——、一つ。《始祖》と強制契約を結ぶことで、記憶を混濁させた。これにより《読み手》の力は大きく喪われる。

——、二つ。記憶獲得の能力を振るう為、《始祖》に悪魔の血を吸う動機が生まれる。

——、三つ。《始祖》へ化物の憎しみを与えると、どうなるか見てみたかった——だから、キミにノエルの教育をお願いしたのさ」


　言っていることの意味がラフィンには分からない。しかし自分が、とんでもないことをしてしまったと言うことだけは分かる。

「そもそも《始祖》とは何だか知っているかい？」
　ラフィンの反応はない。
　が、エヴォルはどうやら、理解させるつもりも無いらしく、一人淡々と語り続けた。

「始祖とは即ち、究極の《読み手》なんだよ。
自分の思う、最も優れた物語を脳内に作り出し、まるで自分がその物語の登場人物であるかのように振る舞うことが出来る。

始祖は《Yggdrasil》無しでも自分だけの物語を紡ぐことが出来るし、自分だけの世界に浸ることが出来る」

　ラフィンはぷるぷると震えながら、唇を噛む。

「あぁ。ラフィン、キミは分からなくていいよ？　“これを聞いているキミ”の為の説明だからさ——」

　ぽた、ぽた、ぽた。
　ラフィンの唇から、血が滴り落ちる。

「キミは分からなくていいんだ。自分のせいで、ノエルが死んだってことも」

　ぽた、ぽた、ぽた。
　血液が滴る。

「キミが居なければ、ノエルが憎しみを覚えることは無かったとしても——「——煩い。」

　エヴォルの言葉は、遮られる。

「一つだけ分かったよ。エヴォル、——お前がノエルの、仇だってことが！」

　滴る血液は凝固。
　刃となって、エヴォルの脳髄を正確に撃ち抜いた。

　死にゆく科学者は——

「あは。」

　再び満面の笑顔を浮かべ、地に付した。