或る日、ミラルカは私に声をかけました。
「何ですか」
　彼女の方から私に声をかけるのは、珍しいことでした。
　使用人の立場にいる者が、主へ無闇に雑談を振ることなどありはしないからです。

　彼女は言い辛そうに視線を伏し目がちにして、両手を合わせていた。
「じれったい。言わないのなら、私は部屋へ戻りますよ」
　すると慌てて咳払いを一つして、ゆっくりと口を開くミラルカ。

　思わず、笑ってしまう。
　しかしそれも無理からぬことだと言えるでしょう。

「創られたキャラクターは貴女くらいですよ——“カーミラ”お姉様」

　私は自身の人差し指を、爪でつつ、となぞり上げます。
　吸血鬼の魔力により強化された爪は、白く細い指先から鮮やかな血飛沫を噴き出させ、ミラルカの頬を赤く染め上げました。

　——ぺろり。
　まだ生暖かい返り血を、舌で艶かしく舐め取るミラルカ——否。そこにいるのは、もうミラルカではありません。

　氷のように冷たい視線。お伽話に登場する魔性の人外のように流麗で、淫靡な笑み。
　私はそれを見ているだけで、背筋がぞくりと震えてしまうのです。
「当然、です。貴女のように完全な化物。創作物でなければ、有り得ない」
　　　　　ミラルカ　　　　　カーミラ
　私は、彼 女の演じる彼 女が好きでした。愛している、そう言っても間違いではないでしょう。

　ローラ・ピットことこの私は吸血鬼として高い評価を得ている身。ですがそれはあくまで、現実を生きる吸血鬼という人間の派生種でしかない。
　私には人間であるミラルカのように、完全な化物を演じることは出来ませんでした。

　——「ならば」、と。
　カーミラは愉悦の笑みを浮かべ続けます。

　ミラルカ
　彼 女が影響を受けている、シェリダン・レ・ファニュの『吸血鬼カーミラ』と言う小説があります。
　偶然にも彼女のミラルカと言う名前は入れ替えると「Carmilla」になりますし。同様に偶然なことに、私の名であるローラとは、『カーミラ』に登場する、被捕食者の名前であるそうです。（初めて出会った時に彼女が本性を見せたのも、私の名前があまりにも出来過ぎていたからでしょう。）

　ですが『吸血鬼カーミラ』であっても、眼前の彼女に比べるとずっと霞んでしまう。
　ミラルカと言う女は、『吸血鬼カーミラ』の良き《読み手》であり。同時にその魅力を誰よりも引き出している《書き手》でもあるのです。

　耳を羽根で優しく撫で上げるような、蠱惑的な言葉。
　脳まで侵入してくるような甘い声色に、私は逆らえません。

　首元に下げた十字架を外し、机の上に置きます。

　私は何の抵抗もすることはなく。
　　　　　　 にんげん
　目の前の吸血鬼に、身体を預けました。


　　　　†

「もっと光を。」
　首元に下げた、蒼い十字架が揺らめく。
　眩い極光が僕を包み込むたび、全身が軋むような痛みに襲われる。

　——あれ。
　何で僕は、こんなに苦しんでいるんだろう？

　不死にして無機の王を殺す為、全身から光を発する僕。
　吸血鬼と言っても、別に光や流水に弱い訳じゃないのに。何故か僕は、苦しんでる。




　脳裏に響く、カーミラの甘い声。
　迷いを打ち消すように、全身の光を強める。

「あ゛あ゛ぁぁぁぁぁ——ッ！！」

　辺りにけたたましく響く絶叫。
　強まる光。
　リリスが何かを叫んでいる。だけど今は彼女の言葉なんて、耳に入らない。

　色濃くなる闇。こんな程度じゃ、不死にして無機の王を祓うことなど、出来はしない。

「もっと。もっと。もっと——」

　——ズトン。と。銃声。
　光に抵抗していた影が弱まり、闇が晴れていく。

「あ゛あ゛ぁぁぁぁぁ——ッ！！」
　叫び声。
　それが僕の口から発せられているということに気がついたのは——

　——不死にして無機の王を、殺した後のことだった。

どこか悲しげな表情を一瞬だけ見せる。

最初の問いの答えだけを残して、ミザリーは去っていった。