件の“頼みごと”は、案じるまでも無く受け入れられた。
床に落ちた互いの衣服が重なるのを向こうに、同じよう重なって、絡まって、どこまでも開き受け入れて。

——そうして受け入れながら、こちらも相手の奥の奥、指先に掛かるものを熱と共に引き摺り出す。
それがどれ程酷な事かは、重々分かっている。
だが、やがて来る別離が避けられない以上、一人で抱えさせたまま手離す事など出来はしない。
頑なに閉じられた扉に向かって大丈夫だと囁きかけ、揺すり、少しずつこじ開ける。

やがて、何故、——と。
言っても詮無い事だと。
言えば困らせるだけだからと扉の奥に隠していた言葉が、苦しげな嗚咽と共に溢れ出した。
再びとめどなく零れる雫を、指の腹で、唇で拭う。


「……カサネ。枯れて、しまう」


「——」


乱れを押し殺して吐く息の合間、ふと笑いながら言えば、縋る様にこの身を掻き抱きながらくしゃりと顔が歪んだ。
今は、どんな顔をしたって良い。
どんなにみっともなかろうと構わない、全て吐き出しても良いのだと、触れ合う中で幾度も告げる。
幾度でも幾つでも、飽く事無く繰り返す。いつかへと続く言葉を。繋がる約束を。
果たしてそれが、どれだけの慰めになるのかは分からない。
何をしようと、選んだこの道は必ず痛みを伴うだろう。
だが、例えほんの小さな欠片であっても——辿り着くまでの、彼だけの確かな灯火になれるのならば。


…ひとつの嵐が過ぎた後。

互いに未だ熱の余韻が色濃く残る肌に、印を残す。

左の胸に舞うのは、墨の蝶。
右の胸下
に咲いたのは、深い藍紫の蔦竜胆。

それは言葉と、熱と、触れて繋ぎあったもの全ての証。
つと、墨色の蝶の翅に指先で触れる。
決して消えぬ“標”に誓いを立てるかのように、一度目を伏せてから静かに口を開く。


「——…何があろうと、何処に居ようとも。俺もお前も…帰る場所は、ここだ」


「……！、…ん……うん…必ず、“帰る”…だから…！——」


声にならない言葉の先はしかし、言わずとも通じていた。
目を見て頷けば、胸元に倒れ込んできた唇が戦慄きながら蔦竜胆に触れる。
後ろに手を添えた頭が動き、胸を、鎖骨を、喉を、頬を、それから——




空の色が薄紅に変わるまでの、許された時間。
深く吐息を混ぜ合いながら、二人は互いの存在だけをただひたすらに刻み付けていた。
確かめあう様に。例えどれだけ離れようとも、何一つ忘れる事など無い様に。







そして、朝は来る。

（前を行く人の言葉に顔を上げ、近付く気配に身構える。
けれど、そこに必要以上の気負いはなく）

宿で支度を済ました後、忍の部屋の前で男の戻りを待ちわび、佇む。
部屋へと戻る、黒く大きな影を見つけ、静かに駆け寄った。

— お　か　え　り　な　さ　い　



頭を下げ、帰りを迎えた。

忍の顔を見上げながら、少し緊張した顔付でゆっくりと口を開く。

困惑した表情で、持参した紙と筆を取り出した。

”広庭　に　いきませんか？”

”すみません、気掛かりなんです。”

”あの人が　まだ、あの庭に　いるのか”

”今も、守り続けているのか”

龍貴は再び頭を下げ、そこで筆談を止めた。

（そろり、指先で触れた先…人体急所の一つ。その場所に）

（唇で触れて、歯を立てた）