相棒が部屋を去ってどのぐらい経ったろうか。
顔を覆っていた手でこみ上げようとしていた"何か"を拭い去り、
ジャックは息を吐いた。


"──お前ってさ……意外と女々しいな？"


ついさっき言われた言葉を思い出し、また深く深く息を吐く。
あの時はついカッとなって言い返したが、本当は分かっているし、驚いている。
まさか本当に、ここまで自分が女々しくなろうなどとはジャックは思っていなか

った。

(だってそうだろ。俺だぞ。天下のジャック様だ。女々しいとか有り得ねぇ)

ジャックは思わず机に突っ伏す。
有り得ないと思いながらも、実際にはどうしようもなく女々しい事を気にしてい

る。
その抗いようのない事実に、ジャックは金糸の髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。

「…………」

そうして思い返す。相棒の言葉を。
ブラックは言った。「俺がいないとダメなのはお前もだろう」と。
「お前を埋められるのは俺だけだ」とも言っていた。
──その言葉を受けて、何故か僅かにでも"嬉しい"と感じた己にため息をつく。


どうしてここまでの侵入を許してしまったのだろうか。
誰ひとりとして受け入れることなどしなかったというのに。
女に囁く愛の言葉も、馬鹿らしく騒ぎ立てる事も、全て自分の快楽の為だった。
適当に受けて流して……それ以上でもそれ以下でもない。
楽しいと思えるのならなんだって良かった。
……正直に言えば。
ブラックとの関係もギャンブルで勝てるからだとか、女が良く釣れるからだとか
一緒に居れば色々と自分が楽だから、というだけでしかなかった。
ブラックは確かに最高の相棒だが、それ以上でも、それ以下でもない。


(いやほんと、俺は何でアイツにこんな固執してんだ？)


突っ伏していた顔を上げ、ジャックは相棒の定位置の椅子を眺める。
最高の相棒ではあるが、飽きたらそこで終いだと思っていた。
人間という生き物は自分も含め、裏切るものである事をジャックは知っている。
強者は生き、弱者は滅ぶ。
ジャックの生きた道ではそれが不動の理であり、現実であった。
虐げてきた弱者達は皆、なにかに心を傾ける者達だった。
強くないから縋るのだと、ジャックはそれらを切り捨ててきた。

(だってそうだろ。あいつらは弱かったんだ。だから結局自滅した)

両親の死に顔は最早覚えていない。
ギャンブルに依存して借金の山を築いていった父。
そんな父を捨てることが出来ず縋り、終いには壊れた母。
子を殺しきれない程に弱い彼らは、自ら滅んでいったのだと
ジャックは心の中で吐き捨てる。
だが、残されたればこそ、ジャックは学んだ。"強さこそが全てである"、と。

(だから俺は、今ここにいる)

弱者を屠り、蹴倒し、強さを求めたが故にジャックはこうして生きている。
生きるために組織に身を置いたこともあった。
だがそれも"生きるため"という目的があればこそ。
仲間と馴れ合うことも、上に媚び諂うこともする事はなかった。
故に内外からいつの間にか"孤狼"などという二つ名までついた。

(……今にして思えば、意固地になってたのかもしれねぇな)

当時を僅かに思い出し、ジャックは半ば呆れたように小さく笑った。
女を抱き、酒を飲み、ギャンブルで勝ち続け、喧嘩に明け暮れた日々だった。
両親の事や生意気な時期も重なり、頑なになっていたのだろう。


そこまで考えて、ジャックははたと目を瞬いた。
つい先日から「随分と自分は変わったものだ」と思いはしていたが、
あまりの変化に改めて驚いた。
こんなにも冷静に、過去を振り返ったことがあっただろうか。
恐らくありはしないだろう。そもそも過去のことは全て薄ぼんやりとしている。
だが、思い返してみれば──……


(アイツとの事は、憶えてる)


ジャックは思い出す。
ブラックとの出会い、喧嘩、大勝利……どれもこれも憶えている。憶えていた。
何気ない仕草や癖、話し方に料理の味。何もかも自然と思い出すことが出来る。
改めて愕然とする。本当に、いつの間にここまで。

「…ま、悪ィ気分じゃねーけど」

何だか随分と遠回りをしてきたような気がして
ジャックはくつくつと笑い、天井を仰いだ。

人間、言われてから気が付くという事もある。今がまさにそうだ。
どうしてブラックに関する事だけはこれほど鮮明に憶えているのか。
そんなもの答えは単純だ。一度たどり着いてしまえばもう、疑う余地もない。
なるほど、執着するのも致し方なしといった風にジャックは大きく息を吐く。


──いつもどこか、渇いた気がしていた。
ひたすら生きる為に。ただそれだけで生きてきた。
ポッカリと空いた"ソレ"が何なのかは分からない。
だが、それが今では感じる事も殆どなくなった。無くなったのだ。


ブラックと出会い、相棒としている今。
この上もなく"満たされている"。


だからこそ、その相棒を失うかもしれない事態が恐ろしいのだ。
柄にもなく無理やりピアスをつけさせたり、逃がさないように目を光らせたり。
思い返せば滑稽だ。必死になるにも程がある。
自分には無いと切り捨てていた、心を傾けている。あの相棒に。
馬鹿らしいが、どう考えたところでこれは現実だ。

「参った参った……すーっかり弱っちまったじゃねぇか。バカブラック」

この場にいない相棒にジャックは笑いながら悪態をつく。
絶対的強者で有り続けた自分が、まさか今まで切り捨ててきた連中と同じように
他人に入れ込むなどと思いもしなかった。
まだ些か違和感を覚えるが、それものそのうちに消えていくのだろう。


「だがまぁ、ほんと……悪ィ気はしねぇよ、ブラック。降参だ」


一人で生きていくのだと決めていた。
生きていくためには何でもすると決めていた。
自分一人が生きていけさえすれば、他のすべては関係ないと思っていた。


その牙城が崩れるなか、ジャックは声を上げて笑った。
何て馬鹿馬鹿しい人生だったのかと呆れ、初めて幸運に感謝した。
最高の相棒をありがとう、と柄にもなく神なんかに言いたくなるぐらいには。

「ぜってー言わねぇけど」

四肢を投げ出して座りながら、ジャックはすっかりと晴れやかな気分だった。
相棒が戻ってきたら何て言ってやろうか、どう迎えてやろうか……
一度吹っ切れてしまえばもう怖いものなど何もない。
──何も待たなくてもいい。
自らこの部屋を出て、相棒を驚かすことぐらいしてもバチは当たらないだろう。
そうと決まれば、とばかりにジャックは立ち上がる。
口元にはいつもの不遜な笑みを浮かべて、得意げな顔をして。

(アイツにばっか主導権があンのは気に食わねぇからな)

互いがいなければダメだというのなら、引きずり込んでやる。
嫌だと言ったところで知ったことか。骨の髄までとことん染めてやる。


「覚悟してろ」と小さく呟き、ジャックは扉を開け放った。