伸びているブラックをベッドへ投げ飛ばし、俺はソファへどっかりと腰かけた。
呻き声を上げたような気もしたが、起きた様子はない。
ならば問題ないだろうと気にしないことにした。


それにしてもさっきのは一体なんだったんだ。
普段は冷静なブラックがあれほど取り乱すとは思いもしなかった。

(……コイツ、クール気取っちゃあいるが、実際はすげぇ感情表に出すよな)

大きく息を吐いて、天井を見上げる。
タフさが自慢だとはいえ、街からここまで人間一人抱えっぱなし、というのはさすがに疲れる。
ぐるぐると肩を回し、首を回し、疲れた体を労わってやる。


そして、考える。


何故あいつはあれ程までに感情を爆発させたのか。
きっかけは確か……「ベルタ」だ。それを口に出した途端にあいつはキレた。
情報屋が言うには「ベルタという女を探して欲しいと頼まれた」と言っていた。

「と、言うことはだ……」

あいつは過去を追おうとしている、という事なのだろう。
それに合点がいった瞬間、俺は声を上げて笑った。

「ハッ……くだらねぇ…」

くだらない。本当に。
そこまで過去に執着する意味が全く持って分からない。意味不明だ。
スヤスヤと眠るブラックの顔を改めて眺め、俺は口角をつり上げる。


お前はそんなくだらない事の為にそんなにやつれたってのか。
過ぎ去った事を今更探ってどうするってんだ。
それほど執着する過去があるなんて、お前は一体何をしたってんだ。



縋れる過去があるお前が、俺はどこか、羨ましい。



「羨ましい……ね」

再び天井を見上げ、大きく深く、息を吐く。らしくもない事を考えた。
頭をガシガシと掻いて気を紛らわそうとしたが、それもあまり意味がなかった。
気分を変えようと立ち上がった時、窓を伝う水に気が付いた。

「……マジかよ」

ぽつ、ぽつとまだ弱い雨が窓に叩きつけられている。
コーヒーを淹れる気も萎え、俺はまたどっかりとソファへ腰かけた。
身体が沈み込むのを感じながら、俺は目を閉じた。






親が死んで、文字通り天涯孤独の身になった。
日常的に人が死んでいく貧困街の出来事だ。誰かが手を差し伸べるなんて甘い事は無い。
ご多聞に漏れず、何度も死にかけた。何度も、何度も。
確かまだ片手から少しはみ出す歳だったはずだ。小さく、弱く、ならず者たちにとっては格好の玩具。
ボロ雑巾のようになるまで痛めつけられるのも、ごくごく当たり前のことだった。

それでも何とか食いつないでいけたのは、父親に教わったギャンブルがあったからだ。
その時ばかりはあの下らない父親が神とも思えた。
「これでまだ生きられる！」。そう思った。
最初は小さなところから。次第に大きな違法賭博場を転々として彷徨った。
違法賭博だ。賭けに勝ったとしても正当に払われるというわけじゃあない。
当然、取っ組み合いの喧嘩にもなる。そうやって喧嘩の仕方を覚えた。
運も相当によかったのだろう。
そんな生活を数年に渡って続けても、死にかけはしたが死ぬことはなかった。

そうしてある日、黒ずくめの男が声をかけてきた。



「よお。お前か、活きのいいクソ生意気なガキってのは」



そう言い放ったのは、当時潜んでいた界隈を牛耳るギャング団のボス。
ヤツは言った。

「お前の腕を買いたい」

そいつらがどういう事を生業にしているのか、ガキの俺でも知っていた。
だが、単純に面白そうだと思った。自分の腕を試せるとも思った。
寝床も飯も約束されているなら、俺には特に断る理由もなかった。


弱い奴は死ぬしかない。弱いから仕方がない。
それなら俺は強くなる。強くなって強くなって、俺は生きてやるんだと、その時思った。


ギャングでの“生業”をこなす事には、特に抵抗を感じなかった。
単に弱いヤツが負け、強いヤツが勝つ。ただそれだけの事だ。
その仕事の中で酒も煙草も、女も知った。
女はいい。何もかも忘れられる。飽きずに何度も、毎日のように抱いた。
適当に仕事して、適当に稼いで────それを繰り返すだけで生きることが出来た。
“死”と切り離されたわけじゃないが、それでも死にかけていた頃とは比べ物にならない。
ぬるま湯のようなそこが、俺は割と気に入っていた。


そうこうしている間にも数年が経ち、新参だった俺はいつの間にか幹部の椅子に座っていた。
単独行動が多かったせいか、その頃には妙な通り名を付けられていた。
“孤狼のジャック”────思うに背中のトライバルから取ったのだろう。だとしたら一匹足りないが。
何にせよ、その名前が出れば大抵の連中は尻尾を巻いて逃げ出していった。気分がいいもんだ。


「まー……あん時は…気楽っちゃあ気楽だったか……」


手繰り寄せられる記憶を引っ張り、ギリギリまで思い出してみる。
確かこの後にあの面倒事があったんだった、と思い出してため息をついた。
ギャングの内部抗争ほど滑稽なものはない。実際、滑稽すぎてお話にもなりゃしない。
ただ、あれがあったからこそ、今こうして自由に出来ているのだとは思う。
思いはするが──それだけだ。それ以上に何か感じるような事はない。
何も、ない。



目を開けて、ベッドへと視線を移す。
ブラックはまだ寝ている。眉間に皺を寄せているような気もする。

「お前はさぁー……なにそんな拘ってんだよ」

また天井を見上げる。大きく息を吐く。
今日は本当にらしくない。柄でもないことばかりをしている気がする。

「後ろばっか見て何が楽しいんだっつーの……全っ然羨ましくもねぇわ」

羨ましいものか。前言撤回だ。
後ろしか見ないこいつを羨ましいとは思わない。思うとしたら、それは“哀れ”だ。
馬鹿馬鹿しい。本当に。お前は馬鹿みたいに損をしている。
しかも自分から損を買っている。馬鹿げてる。ああ、そうだ馬鹿げてる！

「……もう一発殴んねぇと気が収まんねぇな」

寝ている今は、勘弁してやろう。
そう言って息を吐いて、俺もまどろみの中に沈んでいった。

くつくつと笑いながら、少年と少女を見下ろした。

背中からかけられてくる声に足を止め、黙って聞き入っている
その肩はわずかに震えているようにも見える

乱暴に頭を撫でられ、力なくうなだれる
しばらくすると鼻をすする音が聞こえ、体を小さくさせた

独り言のようにそう言うと、もう一度赤くなった鼻をすすった

どうやら、" テクニシャン"という言葉を知らないようだ・・

スズメが、何を学ぶ気なのかは不明だ。

少女はソワソワしている。