ある心理学者はこう言った。
「人間には第一の人格と第二の人格がある」と。


「ヨハネと出会って、変な夢を頻繁に見るようになった。それは日増しに強くなってきて、全く身に覚えがないのに、酷く懐かしくて」

アタシは皆を集めてこう告げた。
夢の内容を告白することに決めたのだ。

「変な、夢？」　「知ってる人とかは出るのか？ パパとか、ママとか」　「…………」

フレイヤとシヴが質問を投げかける。
アジェットは黙ったまま、話を聞くことに徹している。


穏やかで心優しい人物は、それが第一人格であるというだけ。
心の奥底に暴力的だったり残忍だったりする、対になる第二人格が潜んでいる。
普段、人間は第一人格で過ごしているが、ふとした拍子に第二人格が表に出てしまうことがある。
それが、所謂「人が変わったように」と形容されるものである、と。
事実、人格が交代しているのだから、その表現は極めて適当なものである、と。


「出る。ヨハネが、夢に出る。ヨハネとは、つい最近会ったばかりなのに」

アタシはシヴの質問に答える。
すると、小さい頃にドラゴンを飼っていたか、とシヴが続けて問う。
アタシはこれを否定する。
アタシの故郷では、ドラゴンは神聖さの象徴だ。
気安く飼育できるようなものではない。


これは病気というわけではない。
軽度のものは誰にでも起こり得るものであるし、起こったとしてもすぐに人格は戻るのが普通だ。
だが、人格が反転したまま元に戻らなくなることもある。


「殺すんだ……殺すんだよ」

真っ先にアタシの様子が変わったと感じたのは、フレイヤだった。
驚きながらも不安そうな様子でこちらを伺っている。
彼女は、本当に他人の心や感情に敏感だ。

「いつもいつも夢の最後に！ ヨハネを殺すんだよ！！ アタシが！ この手で！！」

続いて、シヴも驚いた拍子を見せる。
髪の毛が文字通り逆立って、パリパリと静電気の音が聞こえる。


そういった状況になればさすがに困ったことになる。
第二の人格は大抵、日常生活を営むのに不都合な性格を持っているからだ。
コミュニケーション能力が欠如していたり、構造や規則を心の底から憎んでいたり。


「……殺したい、のか？」

「わからないさ……でも。もしかしたら、また殺してしまうかもしれないよ。そう思うと……」

胸の中をわけのわからない感情が渦巻くのだ。

「いっつも痛いのが良いとか言ってるけど、殺すのはイヤなのか……？」

シヴがそう尋ねてくる。
何をバカなことを……アタシはそう思いながら返答した。

「殺しちまったら意味がないじゃないか！ 痛みで吐かせないと……」

吐かせる？ 何を？
ここでアタシは違和感に気付いた。
何が「バカなこと」なんだろうか？


もちろん、そうでない場合もある。
第二人格の方が周囲に馴染みやすかった場合、再び反転する必要がなかった場合。
その場合には元に戻らないまま生活を続けられることもあり得るだろう。

そう、アタシのように。


「思い……出した。アタシは……拷問を生業にしてた」

「ご……？」 「……冗談だろ？」 「…………」

フレイヤとシヴは絶句するが、アジェットは相変わらず黙ったままだ。
それどころか、話の続きを促すように首をかしげている。







「……多分、それが夢の内容」

アタシは思い出したことを、自分でも反芻するようにゆっくりと語った。
アタシが思い出したのはここまでだった。
だけど、アタシの嗜好から考えるに、恐らくは手段と目的が逆転してしまったのだろう。
苦痛を自他に与えることそのものが生き甲斐となってしまったのだ。

「アタシは一線を越えちまったんだ。ヨハネはかつてのアタシの相棒だよ」

他者の手にかかることを厭って、自分の手にかけたのだ。
自分だけのものにするために。
心の奥底に押さえ込んで、閉じ込めるために。

「今のヨハネは、きっと……アタシが無意識に、昔の相棒と同じ名前をつけたのさ」

「それで。サローメさんはどうしたい？」

今の今まで黙っていたアジェットがそう問いかけてくる。
その目は、いつも通りの半分眠ったような薄目だった。

「決まってるさ。こんな気が違った女と一緒にいたくはないだろうし……お別れだよ」

アタシは席を立つ。
このまま踵を返して、立ち去るつもりだった。
だけど、アタシの動きをフレイヤの言葉が遮った。

「その事を、繰り返したく、ないのなら。繰り返さなきゃ、良いと、思うの」

小さな声だった。
けれど、とても良く通る声でもあった。
アタシ以外の二人にも、はっきりと聞こえるだろうと確信できるほどに。

「どうしても、やってしまいそうって、怖いのなら、止めようがない、っていうのなら……私が、止める」

で、出来るかどうか、分からないけど……と、言葉は尻すぼみになってしまっている。
けれども、臆病なフレイヤが本気でアタシのことを想って、力強く言葉を紡いでくれた。
それを見て、アタシの決心は揺らいだ。

「その……アタシはいいんだよ。アタシは。でも……」

アンタたちは今の話を聞いても、変わらずに友達で、仲間でいてくれるのか？
アタシは少し躊躇いながら、そう問いかけた。

「サローメさん、一人より……きっと、良いだろうから……」

「サローメさんがそれを望むなら」

「殺されそうになったら逃げるし。出来るだけ殺さないで欲しいけど」

三人とも、全く迷いはなかった。
心拍や呼吸に乱れもない。
口から出任せではない。
皆、本気だった。

「わかったよ。そこまで言われちゃ、アタシだけ逃げるわけにはいかないからね」

アタシはもう一度席についた。
普段から抑揚のない口調を心がけていたのは、思い出すことを恐れていたのかもしれない。
何が過去を恐れるな、だ。
アタシはフレイヤに言ったことを思い出して、内心で苦笑する。
事実、こうして過去と向き合って、アタシはかけがえのないものを手に入れていたことを悟った。

「でもまさか、フレイヤがアタシを止める！ って言ってくれるなんてね」

その言葉に、アタシが席についたのを見て安堵していたフレイヤが大げさに反応する。

「！！　あ、あああの、その、本当に、止めるとか、出来ないかも、だけど……ええと、やらないより、きっと良いと思って……」

おいおい、落ち着けよ……アタシはそう言いながら笑った。
アタシの笑顔を見て、アジェットも微笑み返してくる。
シヴは少し硬い表情だけれども、夢とか平気になればいいな、とアタシを気遣ってくれている。


その心理学者は、夢は無意識の産物だとも言った。
人の心は大きく分けると意識と無意識に別れている。
第一人格は意識の住人であり、第二人格は無意識の住人だ。
意識には休息が必要であり、そのために人は眠る（もちろん、身体を休ませるためでもあるが）。
意識が休んでいる間に垣間見える無意識の一部、それが夢だという。


あれほどまでに胸中に渦巻いていた苦痛への欲求は、綺麗さっぱりなくなっていた。
いや、これは消えてなくなったのではなく、心の奥底に引っ込んだだけなのだろう。
あれも間違いなくアタシ自身なのだから……次に悪夢を見るとすれば、それかもしれないのだから。

心の傷は体の傷よりも軽く見ていいものではない。
寧ろ、目に見えない分バランスが崩れていても、自分では全く気付かないことも多々ある。
アタシがそうであったように。

でも、今は違う。
おかしいと感じて、一緒にバランスを支えてくれる友達がいる。
今なら、アタシはアタシ自身に向き合える。
そんな、確信めいたものがあった。

「また、変な夢を見たら、お話したら、良いとおもうの。言葉にして、出してみたら、すっきりする事も……あるから」

フレイヤはそう言うが、言われなくても、もう一人で抱え込むような真似だけはしない。
考えてみれば、アタシに友と呼べる人間は全くいなかった。
それがこんなにも素晴らしいものだと知って、生まれ変わったような心地だった……だから。

「ああ、時間を取らせて悪かったね。心機一転さ、ここからは新しいアタシの始まりだよ！」

アタシは大げさに、そう言った。

「改めてよろしくね、サローメさん」

アジェットがそう言ってくれる。

「ん。よろしく」

シヴも、そう言ってくれる。
フレイヤは返事の代わりに、安堵したように、嬉しそうに、ほんの少しだけ微笑んだ。

（見えないだろうと承知でも自然とこちらも口元に笑みが浮かぶ）

（相手の仕草に左右色違いの瞳を細め）