変わったことがらがいくつかあった為、その日の野営はいつもよりすこし慌しかった。
　ひとつは、侵攻路の開拓引率。もうひとつは、自称研究員とその召喚物との対戦。更に、もうひとつは。

「ルリアンナってマジで何者なんだ？」
「ルリアンナさんじゃないんでしょうか」

　ホワイトデーだからPSを貢ぐ習慣があるのだと、堂々と言い切られてしまったことだ。一揆に関してどこからどう関係者なのか、ラルフに指示が出来たり農場を平気で管理出来る段階で既に想像することをやめてしまいたいその女性の言動は、三周回っていっそ清清しい。

「一瞬、俺は長い間ホワイトデーを勘違いしてたのかと錯覚しかけた」
「僕はもうホワイトデーという単語を使わなくてもいいと思いました」
「そもそも、確かバレンタインやってないよね。色々慌しかったみたいだから、そっちは仕方ないけど」

　とにもかくにも、そういうものだと言い切られてしまえば、是非もない。
　これから先の使い道と相談しながら、出来る範囲で参加しておこうということで話がまとまり、こうして別口の袋等にめいめいよりわけを開始しているのだ。

「まあ、なんだかんだで彼女は、『約束は守る』みたいだから。店の人形でも買うと思って、気持ちでいいと思うわよ」
「然様。金額による差異は気になるが、それらに関してはすぐに情報として出回るじゃろう。——わしとしては、狙って農場に行けることが気になるの」

　そう言った女性ふたりも、言葉通り『気持ち』と思しき金額を取り分けている。
　今の調査隊で言えば、皆ほぼ平均的な適正額を出している。とはいえ、ほんの半月ほど前はこれでも大金だったのだから、時の流れは意外にわからないものだという感慨も湧いてくる。

「農場のエンブリオは、安易に流出せぬようにする為か、強力なものも多いと聞く。策を講じて、すぐに出られる程度に農場送りになる者も、居ないわけではなかろう」
「それこそ、仲間にへそくりして貰うとかね。あたしも、手の届く範囲でいい子が居たら、考えたかもね」
「……僕らですと、茸でも出てきますかね」

　至って気楽な冗談だと思われるが、この女性が言うと、本気でやりかねないように聞こえるときがある。

「農場では、素材が取れないんだったな」
「うむ。本来、借金返済の労働じゃ。見つかったとしても、即没収。今回の借金でも、措置は変わらぬと聞いておる」
「提出前の簡易研究すらダメか」

　もう一人、やはり支度していた少女の舌打ちの意味は明白すぎた為、それ以上考えるのはやめた。
　色々な意味で頼もしい女性陣にしみじみとした気分になり、PSと呼ばれるそれを8つ、足した。

「えらく半端だな」
「少し思いつきまして。以前教わった、108という数字で……げんをかつぐ、でしたか」
「800万じゃないか？」
「それは神々の柱の数じゃよ。とはいえ、108も似たようなものであったと記憶している。誰が教えたかは、概ね想像がつくがの」

　既に何かを諦めたような笑みと一瞥をこちらにくれた後、東方の文化を好む魔女は続けた。

「僕が聞いたのは、お守りになる道具につける珠の数だとのことでした」
「ロザリオを数えるのと、似たようなもんか」
「神事としては、近しいかもしれぬな。今度、いくらか資料を貸してやろうかえ？」
「……翻訳してない原書の山じゃねえよな」
「さあて」

　青年の反応を楽しむように、くつくつと魔女は笑う。
　その間に分類を終え、袋の口をしまいながら、疑問が口をついてでた。

「ですが、ルリアンナさんにPSが必要なのでしょうか」
「あー。確かに、PSなくてもなんでもできそうだよね。……僕も真似出来ないかなあ」
「やめろ」
「なんでスーノが止めるの。しかも0.5秒の命令形で」
「どう考えても俺が真っ先に被害者だろ」
「不当な決め付けはんたーい」
「はい、はい。その辺にしときなさい。明日も早いんだから、落ち着いてさくさく支度」

　更に続きそうな言い合いが、そこでぴたりと収まる。
　この掛け合いや呼吸を一日聞かなかっただけで、随分久しく感じるのは、感傷というものだろうか。

「うーん。農場の野菜と賞金首が暴れてもすぐ修理や掃除できるように、とかかなあ。……え、なに？」
「……エル。それと、これ」

　まだ考えていたらしい少年の服の裾を、精霊のこどもがくい、くいと引いていた。
　おもむろに箱を取り出し、物言いたげに少年を見る。

「……あっ！　そうだ、漫才師さんの箱！」
「そーいやあれもあったか。また荷物の整頓が増える……」

　森林で戦ったという研究員達が落として行ったという、箱を開けようということだったらしい。
　確かに、後生大事に抱えるタイプのものではない。

「金と銀の箱というが、素材は違ったな。やはり単なる名称か」
「金はちょっとねえ。用途次第ではあっても、箱の素材としてはね」
「なにがでるかなー」

　プレゼントは、開けるときが一番楽しい。
　その点で、今回は少し羨ましい気もする。

「ほんと、何か面白いものが出てほしいわね」
「一度、開けてみたいものですね」

　正直に言うと、あらゆる都合を度外視してもいい機会さえあるなら、箱のためだけに行ってもいいと自分は思う。
　そこから何が出るかは勿論重要だが、それ以上に、こうしたわくわくする『箱』の存在は、かなりの誘惑だ。
　ひとまず仕分けを終えた袋を脇に避け、他に支度すべきものはないか、チェックする。と。

「…………」

　白虎が、寝ていた。
　それ自体は珍しくはない。ただ、今回は、いささか——

「どうしたの？　……って」
「……お見苦しいところを」

　ぐてんと大の字に——まさに、野生動物にあるまじき大の字に足を広げて寝転がる白虎を抱き上げる。
　猫の中にも、稀にこういう無防備な眠り方をする個体もあるとは言うものの。

「ううん、悪いことじゃないし、いいんだけど。その子、本当に野生だった？」
「……確かに野生で捕えました。スーノさんの白虎が証人です」

　同時に捕獲したかの白虎の方を見ると、威厳溢れる様子で寝そべり、騒ぐ面々を悠然として見守っている。
　静にして厳。同種の生き物とは思えない。
　軽く背中を叩いてみたが、まったく目を覚ます様子を見せない。むしろ心地良さそうに髭をそよがせる。
　もしこの状況で殺気を感じたら、この虎はどうするのだろう。
　思わず心配になるほど平和そうに眠る白虎は、野生かどうかは怪しいが、間違いなく生き物の温度を持っていた。

「少し早いですが、僕も休みます」
「あら。ほんと早いわね。いつもよりは、だけど」
「支度も終わりましたから。その分、起床は少し早いと思います。夜食は、温めれば食べられるようになっていますので、」
「はいはい。疲れを自覚するのは大事。さっさとおやすみなさい」
「はい」

　言葉を封じられ、素直に頷く。言う通りだった。
　地下牢からの帰還とは違う疲れがあった。もしかしたら緊張していたのかもしれない。
　そう気付いたのは、白虎を抱き上げたときだったから、大概自分も疲労に鈍感だ。
　思えば、隊を組んで、毎日すこしずつ違う未知に挑むのも、まったく知らない人々と一時的にチームを組むことも、ここ数年したことがない経験だった。学園時代にもチーム訓練はあったが、あの場所は未知の領域ではなく、鍵の塔のもとに集まった顔ぶれという点で、見知らぬ人物ばかりでもなかった。

　何となく白虎を抱いたまま横になり、軽く上に毛布を被る。
　たったそれだけで、自然と瞼が降りる。

「はいそこ、おすわり。ラズが寝てるから、声落としなさい」

　すとん、と何処かに落ちていく感覚の中。そこからさらに続くかれらの声を、聞き続けていたような気がした。

（双眸を細め、柔らかく笑う）

（手袋を着用する