音を立てることなく、ゆらりと動く癖がある。
　足音や気配を殺すといったことは、多少は学んだことの成果でもあったが、学ぶ前からそうしていたように思う。
　わずかな息も音もなく、小さくなっていたような気がする。
　それがどうしてだったのか、薄らと想像はするものの、確信してはいない。あの頃の自分には思考というものがなかったからか。何故、といった部分は特に難解で、今でもよく思い出せない。

　それとは別な静寂も、好ましいと思う。
　紙をめくる音だけが響く、塔の書架の片隅。
　ここに来て知った、夜が明けきる前の静かな水辺。
　森の中で過ごす、夜から明け方までの時間。

　それは、安らぐ静寂だった。
　何故静かにしていたいのか、自分でもよくわかっている。好ましかったのだ。そこに居られることが。


　誰も居なかった、静かな地下牢。
　そこに、居た。

　いざ相対してみれば、誰にも何にも似ていない。
　司教、という名乗りを考えれば、位は高く、かつ、その服もお飾りではないのだろう。
　死霊術を正式に教義に取り入れるような教えも、世界にはあるという。
　なにも不思議なことはない。
　調査隊にとって障害である、ただそれだけだ。

　それだけであるのに、どうしても。
　これがここに居るのが、我慢ならないのだ。
　何か劇的なことが起きることもない。
　何かの気が済むこともない。
　調査隊の助けにはなる。そんな大義はある。それだけしかない。

　今の自分の感情は、理不尽だ。

　戦場の輪郭を捉える。鞘を外して必中の一撃を当てるのに、二秒もかからないだろう。呼び出した取り巻きが動き出すより早く、槍が捉えればいいだけのこと。威力は二の次で、必中を意識する。




　ここに来るまでに、たくさんの声を聴いた。
　多くのものを拾った。
　これほどの、勝てるという確信を得るまでになった。

『ラズ坊や、逸るでないぞ』

　誰かがそう言った。
　逸る前は、諦めていた。諦めながら、何かを燻らせていた。
　それとも諦めきれていなかったのか。だからこそ、機が熟した今、こうしてここに居るのか。

『かえりたい』

　誰かがそう言った。
　恐らく、自然と口をついて出た言葉。ここではない何処かへ。自分も、同じ感覚を覚えた。
　だが、それは何処だ。
　問いが生まれる。帰るという言葉にふさわしく、他でもない自分自身が心から喜べるそれは何処だ。

　あの川べりではない。あそこに居るべきなのは、世界の多くを知らない、料理が取り得の、どこにでもいる男であるべきだ。
　そうであって欲しいのだ。



　何処へ帰るか。答えははっきりしている。
　自分は、そうあるべき時に、そう動ける。苛立ちが収まってしまえば、いつもの穏やかな務めを、いくつも思い出せる。

　だから。ただ事実を告げた。


「ここを、通ります」

[>土人形のような機械が三拍子のリズムを刻んでいる。