その日の星屑の山には風が吹いていた。頬をこすり・顎をなぞり・髪を逆なでる。
——そんなまとわりつくような風が。


ポポロと彼女のエンブリオであるアルルーンは、その風の元で会話を交わしている。
そこから15メートルほど離れた位置に1つ小さな影があった。

それは社長のエンブリオだ。



社長の日記27日目

正しく言うならば、その小さな影は社長のエンブリオ（名前：フェアリーくん）の部下である。
ややこしいので、以下は社長のエンブリオを「フェアリーくん」と、その部下を「部下くん」と表記する。


社長の目的は——ポポロとアルルの会話を盗聴することにあった。
しかし、社長はタンポポ莊のロビーにいる。では、どうやって遠く離れた位置の音声を聞くのか？
仕組みは簡単である。

まず、現場にいる部下くんが、ポポロとアルルーンの会話を聞く……と言っても、標的から15メートルも離れた位置では、会話を聞き取ることは不可能である。その問題は、風を操るエンブリオの特質性が解決した。


ポポロとアルルの付近に流れている「まとわりつくような風」の正体——これは部下くんの能力によって出現した風であり、それには「空気の振動」を大きくする仕組みが施されていていた。2人が会話をするたびに周囲に発生する「音の振動」を風にのせて自身のところまで運ぶ。しかし、2人から15メートルほど離れた部下くんの位置では、この風を持ってしても今にも消えそうなほど小さくなって、途切れている部分もあった。それでも標的が見つからない位置を考えると、今の位置がベストだったのだ。


次に、届いた風を部下くんが自身の中で増幅させる。これで今にも消えそうな音声が元の音量程度に戻る。欠けた音声までは戻せず、その部分にはノイズのようなものが発生する。これが社長が聞こえにくいと言っていた理由である。

この増幅した音声を、指向性のある風に乗せて大気中に流す。この風にも「音の振動」が消えにくくなる仕組みが施されている。その効果は部下くんが直に触れているため大きくなっており、有効距離も1kmほどまで伸びる。


星屑の山とタンポポ荘の間には1km以上の距離がある。そこで、1km間隔で別の部下くんを配置し、風が消えぬように増幅をする。これを繰り返す事で、遥か離れた位置の音声を盗聴できるというわけだ。例えるならば、エンブリオ式トランシーバーと言ったところだろう。




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盗聴し始めてから数十分が経過した。
それまでは、黙って会話を聞いていた社長が

と、吐き捨てる様に言う。

それが、ポポロとピアの物語に対しての、社長の感想である。

……それはありきたりな話だった。2人の会話を要約するならば、ポポロとピアは、互いを想い合っていながら、とある出来事がそれを眩ませという話になる。それは神らしい規模の大きい話ではあったが、本質は思春期の少年・少女たちの悩みと何も変わらない。ただのボタンのかけ間違えというだけの話だった。

社長は力なく笑い、椅子にもたれ掛かるようにして天井を見上げた。

何もかもが馬鹿らしく思えた。乾いた笑いがいつの間にか口から漏れている。

ポポロを神だと崇拝していたのは、実に自分勝手な妄想だった。……いや、そのことにはとっくに気づいている。

どうせなら、もっと理解できない話だったのならばと思う。
なぜこんな、ありきたりな話だったのだろうかと思う。
せめて、彼女が神であるが故の、まったく理解できない摂理に縛られているならば、ただ興味を失うだけで済んだのにと思う。


彼女は外見年齢の応の少女と何も変わらない。ただ、あまりにも巨大な力を持った普通の少女だった、というだけの話であり……その事実が何よりも許せなかった。


その力を持っているのが、なぜ自分ではないのか。
不完全な少女が、なぜ神という絶対的な力を持っているのか。
わしと彼女の違いは何だ？　神すらを作る創造神という存在に、選ばれたか選ばれないかの違いか？　……ああ、そうなんだろうな。


この世は不条理だ。自分はいつもその不条理に苦しめられてきた。その不条理を正すには、絶対的な力を持ったものが正しくそれを運用するしかない。それが鬱屈した人生の果てに得た結論であり、このメルンテーゼでならば、その力を得ることもできると、心のどこかでわしは感じていた。


ポポロ自身もその力を持つ故に苦しんでいたようだが、そんなことはどうでもいい。不完全な存在が絶対的な力を所有しており——そして、自分の手の届く範囲に居るという事実が感情を騒ぎ立てる。それを表に出したところでどうにもならないことは頭ではわかっているが、どうやっても制御が効かない感情を。

社長は、這い上がるようにして椅子から立ち上がる。そして、体を引きずるようにしながら自室に戻り、ベットにどっかりと体を落とした。

体から力を抜けていくのを感じるが、そうのんきな事は言っていられない。……もうすぐポポロがここに戻ってくる可能性がある。彼女と対面したら、誰にとってもろくなことが起らない。だから、早々に行動を移したほうがいい。


しかし、「もしかしたら」という可能性もある。自分はポポロの話を聞いただけであり、ピアの話を聞いたわけではない。2人の和解が失敗し、決定的な亀裂が生じたら……このタンポポ莊は地面に叩きつけられる可能性が高い。


だから、三時間だけ待とうと思った。
——このタンポポ莊から去るのを。



………………


…………


……



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そして、三時間が経過する。

……タンポポ荘は飛行状態を維持している。


社長は、立ったままの姿勢で、左手にメモ用紙を乗せて、右手それに何かを書いていた。それを書き終えたら、右手でメモ用紙を掴み机の上に乗せる。その上には文鎮代わりにしては多すぎる量のPSを置く。

メモ用紙にはこう書かれていた。


『　今までの家賃分だ　世話になった　』


入居するときに家賃は要らないと言われている。
だから支払う必要はないのだが……借りは作りたくはなかったのだ。恨んでる相手には特に。



最後に、部屋の中を見渡す。

わしがタンポポ莊を去る意志があることは、信頼のおける住民には伝えてある。数日姿を見せなければ、周りに上手く伝えてくれることだろう。

また、一揆の協力関係にあるものに対しては、フェアリーくんと部下くんを使えればいつでも連絡をとれる。……だから、もはやここにいる必要はない。


社長はポケットから自室の鍵を取り出した。それをしばし見つめた後——机の上に放り投げる。鍵は「カシャッ」と音を立て、メモ帳の付近に落ちる。


それから視線を外し、自室のドアノブに手をかけ、ゆっくりと回す。
少し鈍いを立て、ドアは開く。


社長は部屋の敷居をまたぎ、ドアから手を離す。
ドアが重い音を立てて閉まる。


部屋の前から遠ざかっていく足音が聞こえる。
……社長の部屋から持ち主の気配が消えていく。二度と戻ることはないとでも言うように。

チハヤも卓内も、ネクターを用いてエンブリオと契約することで特殊な力は扱えるようになっている。
が、まだ化け物や人外と言えるような領域ではなく、人間の範疇で留まっている──はずだ。
話題の発端である重曹が人間の範疇を逸脱しているのは置いておこう


それを安易に飛び越えてしまったであろう新王の真意は、
一揆に参加するものなら考えておかねばならないことかも知れない。

メルンテーゼのアイドル、トキサメ──安心と信頼の不安感である。