「アナタ、風みたいね」

さらさらと流れる清水のように、涼やかな声で水の妖精は言った。
「そうかしら」
「そうよ。アナタ、色んな処を渡った風のにおいがする」
「確かに、メルンテーゼに来てから随分色々行ったかしらねえ」
「エンブリオの調査で？
「ええ」
「なるほどね」

妖精は得心がいったとばかりに頷いて、ふわりと宙に腰掛けた。
よくよく目を凝らせば、宙に霧の塊のような何かがある。空気中の水を固めて椅子代わりにしているのだろうか、と考えながら、その姿を追うように顔を上げる。

「随分たくさんのエンブリオと出逢って、契約して、そして手放したのね」
沈黙。
妖精は意に介した風もなく、此方をも見ない。
「アナタ、ここにはいないエンブリオのにおいがするもの」
「そんなに？」
「ええ。いくつ手放したの？切り捨てたの？」
「…9つ、ね」
「違うでしょ」

ぴしゃりと、妖精は言った。視線が絡む。流れるような清水は一筋の波紋も無い程に、酷く冴えていた。

「ええ。10になるわ。今日。あんたで」

暫しの沈黙。
やがて妖精は双眸を細めて笑った。

「でしょう」
「これは。多いのかしらね」
「知らないわ、でもアナタほどいろんな匂いの混ざった風を、私は知らない」
「そう」
「夜咲く月、アナタは風みたいね」
「……」
「19のエンブリオと出逢って、9つを手放したアナタが。20番目のエンブリオを手に入れて、10番目に手放すのが、私」
「……」
「アナタはどこまで渡っていくのかしら」
「…さあ、ね。わからないわ、あたしにも」

妖精は笑った。そうでしょうね、と言った気がする。



妖精が言うように、自分は多くのエンブリオを手放してきた。
メルンテーゼへの来訪がそもそもエンブリオの調査目的とはいえ、契約と解約を繰り返してきた数は他の調査隊のメンバーより圧倒的に多い。中には一週間もせず解約した者も、いる。

全てを、憶えている。
別れ際の声も。
解約に伴う脱力感も。
新たに得た力の高揚感も。
言い知れない寂しさも。



「アナタの風は、アナタが歩いた後にしか吹かないわ」



そう言った声は、微かな残響を残して風に溶けた。

あなたの反応に気をよくしたようで、とても上機嫌になった。

拗ねているのか恥ずかしいのか、ぷいと後ろを向いてしまった。