歩を進める全員の口は言葉少なだった。
尤もルドは肩にソルトを、片方の腕でトウカを支えているから当たり前だし、
自分以外の仲間の傷も、疲労も、酷い。最後まで皆に守られていた自分だから。
癒し、癒し切れず皆が倒れて往くのを少し後ろでただ見る事しか出来なかった。
気力も何もかも尽きていたって、こうやって自分の足で立って歩ける。

だから大丈夫かというルドの言葉には、大丈夫だと笑って答える。
安心させるよう、きちんと笑えているだろうか。無理、ではないと聞こえた少女の声も確かに耳に届く。
彼女だって大丈夫じゃない事は、分かる。けれど自分に支える力は無いから、ただ、唯歩を進める。

「……ねぇ、『ルド』？　僕を置いて行きなよ。君になら解るだろう？
僕が倒れた時に、君の動きが鈍ったのは、偶然じゃあない。
僕が意識を手放したら、『ああいう風になる』んだ。僕を『追い掛けて来るもの』は、そういうものなんだ」

最初に口を開いたのは、ソルト。

「……俺には解らないな。喋ってないで寝てろ」

言葉短かに返したのは、ルド。

二人の会話は確かに、微かな声だけれど己の耳に自然と、聞こえていた。
それは森という領域故、自分の五感が研ぎ澄まされていたからなのか、
別の理由なのかは、分からない。
水の匂いがする、と問われ。辺りへ視線をめぐらせ——感覚を研ぎ澄ませる。

音、匂い、風。

間もなく森は教えてくれる。森は自分の領域。呼吸をするのと同じ。
だから迷いなく一つの方向を指し示し、先導するよう歩きだす。
今の自分にできる事はこれしかない。一刻も早く彼等を休める場所へと。それしか無かった。

「……君達は、間違っちゃいない。『詰め路(クロック)』は通っていた。『瑕疵(クラック)』があるとすれば『僕自身』だ。
だから、僕を置いて行け、ルド。魔物ならまだいい。今の状態じゃ『人狩り』からは逃げ切れない。
君なら、『二人までなら護り切れる』だろう？」

ソルトの咳き込む声。

「お前は」

——少し苦しげな声

「俺達を呪いたいのか？」

——何故か、何かを押し殺す様な声に聞こえたのは何故だろう

「言う通りお前が『瑕疵』なら、捨てても連れてても、同じだ。
どっちにしたって呪われるなら、俺は『目星』を取る」

——表情は、わからない。見えない。

「……『呪いたい』か。考えた事も無かったな。
僕にとって、それは、『手段』であって、『目的』では無かったから」

——ソルトはいつものように笑っているのだろうか。けれどその笑みは

「……ははは……っ、君は、残酷だ。
そんな事を言われたら、僕は、『僕と君達の間にあるもの』を、もう『縁』と呼べなくなってしまう」

——いつもと違う、自分を笑う様な、声に、聞こえる

「……捨てていけばいいのに……『絆』が、出来てしまった。
もう、君達が僕から逃げられないように、僕は君達から逃げられない」

——声から、表情は、窺えない

その言葉を最後に、ルドもそれ以上言葉を直ぐには返さない内に、
水の音と匂いが強くなる。目に見える清流にほっとする。
無事に導く事が出来たと。そこでようやく振り返れば、ルドがソルトをそっと下ろしていた。
二人を無理せぬ程度に看てくれ、と棍を支えにしながら、ルドが言う。
本来であれば此処まで二人を支えていた彼の方だって急いで看るべきだが、確かに目をやればソルトが一番重体だ。

「……『俺の分』は、言ったからな。
他人のそれを背負うつもりもその権限も俺にはない、
あると思わない。自分で決めろ」

——灰色と、翡翠が交差する。その言葉に込められた、意味は。嗚呼。

「自分の手当もしろよ？」

自分だって随分と酷い状態だと言うのに。やはり彼は優しい。
己とトウカの髪を撫で、その言葉を最後に少し離れた木の根元へと向かう。
その姿を見送りながら二人の方へ向かえば、ソルトを、とトウカに促される。
指、という言葉の付け加えと共に。見れば、腕も、指もあらぬ方向に曲がっている。
彼女の表情も放っては、おけないけれど。今は。成すべき事を。そして。

「……ソルトさん。パーティーから抜けるつもりだったんですか？」

先程のルドとの会話で、ようやく、合点がいった。
遅い認識。多分自分以外の——トウカはきっと、
その意味をもっと早く会話から察していただろう。
自分の言葉が場違いだろうとは分かるものの、口を開かずには居られなくて。

「呪うとか呪われてるとか……難しいことはわかりません。
でも私は自分の感覚を、直感を疑ったことはないんです。今も」

ソルトの傍へと跪き、そっと腕を取る。
大丈夫、移動の間に少しずつでも力は戻ってきている。
呼吸、一つ。
念じれば、エンブリオの力を借りた淡い光が腕を中心に緩やかに彼を包む。
視線は腕へ落としたままに。

——ソルトとルドの会話の真意など、きっと自分は欠片もわかっていない。
彼等が——それこそ、先日のトウカさんや、彼女の言う『センパイ』が抱えるものの重さも、知らない。
だからきっと場違いなんだと分かっている。それでも。

私は自分を疑わない。
否。
自分の感覚を、疑わない。

それは私が森を焼かれ、外へ出て。彼に最初に出会ったあの日から。今まで。そしてきっとこれからも。


「私は逃げられなくて構いません。逃げる気もないです。
……でも、逃げないでくださいな。ソルトさんが仲間と、友達と思ってくださるなら」

私が彼等と共に居たいから。まだ一緒に旅をしたい。ただそれだけ。
わからない事が余りにも多すぎるから。それが彼等と一緒に居る上で知りえるべき事なら、触れてもいい事なら。
知の無い自分でも、少しずつでいいから知って行きたいと思うから。
他者に対して、こんな風に思うなんて、遠く忘れていた感覚——

——違う、他人じゃない。仲間で、友達。

最後、そっと色白い、細い手を取り、小指に微かな光を残し、消えていく。
そこでようやく顔をあげて、笑う。灰色の瞳は逸らされなかった。
ああ、大丈夫。きちんと、笑える。

「最初の、時。何も知らないまま、ソルトの手に、手を伸ばしたわけじゃない。
……『視えて』いなかったものも、『視た』けれど、
あなたが悪いもので、悪いものじゃないという認識は、変わらない」

——彼女は私と違い、最初からわかって、いて。それでも。

「……だから、……ソルトが寂しくなる事は、ないと思う」

——少し涙の音が混じるのは、痛み？それとも

灰色の瞳は青の瞳へと移り。そして。

「……全く、君達は、本当に、どうしようもない『お人好し』だ。
これじゃぁ、どちらが『呪われてる』のか解らなくなってしまうよ」

肩を揺らしながら笑い声混じりに言われる言葉。その表情は、声の色は、いつもと違っていて。
難しい事は分からないけれど、ただ目の前のその事実を、瞳に映るものを、何故だろう。嬉しいと、感じた。

「……知ってるかい？　この世界で一番強い『呪い』はね、君達の言葉では、『愛情』って言うんだ」

　言いながら、胸元を押さえる。ペンダントが変わらずある事を確認して、自身のすぐ脇に浮遊する小さいものを見やった。鉄の色、もう片方、大地のそれは未だ見えない。
　

　『消滅』した、などということは、ないだろうが——
　

　呪術師は、暫くの間、口を噤んでいた。
　少なくとも、もう「僕を置いて行け」とは言い出さない。
　ひたりと、仲間の青年の背に体を寄せ、大人しくその歩調に揺られている。

　顔を眺めれば、常の微笑みは、貼り付いたままで。

ルドの言葉に頷く。
先程の様なケースもあるし、人狩りがどこに潜んでいるかもわからない。

自分の知る姿とは違う森に、内心驚きを隠せないのは事実だ。そして。

浮かんだ疑問を緩く首を振り打ち消し、少しでも道を探す助けが出来ないかと
視線を仲間へと向けた。

青年の言葉に頷き。付け足した言葉は、…途中で小さく、頼りなげに。

途切れた言葉を拾い、首を傾げる。
眠る前の姿が嘘のように、彼も、彼の纏うものも、いつも通りに見えたから。
そも、掴みどころがなさ過ぎて、正しく捉える事は難しいのだけれど。

再び彼の微笑みを見つめ直してから、思い出したように歩み始める。
もう、逸れるわけにはいかなかったから。

　流石に、そう簡単には抜けさせてくれないか。思いながら得物を手繰る。
　

　疲労もある、怪我も癒えていない。何より荒事には欠かせない存在の片方が、まだ戻らない——思った、時。
　

　唐突に目の前に飛び出して来たそれに思わず身構える。すぐに『それ』だと分かった瞬間に安堵と弛緩、しかし柔らかい色をしたその背に何かを見つけて。
　

　包まれたそれに眼を瞬く。だが検分している暇はない、後でと、敵に向き直った。
　

　とん、と。
　数度、少年は、背負われた青年の肩を叩いた。
　親指の付け根。薄く、残る傷。

　少年は、笑った。
　常と変わらぬ、薄っぺらい微笑み。

ルドの声にはいつの間にエンブリオが消えていたのだろうと目を瞬かせ。
それをちらりと視界におさめ安堵の息を小さく吐くものの、
直ぐに気を取り直し、前を見据え。

すい、構える杖。やはり浮かぶ瞳の感情の色はいつもと少し違う。
そう。ここは森。長年慣れ親しんだ、いうなれば己の領域。
ならばもう仲間を傷つけさせまいという、確かな意思を持って。

最も場に溶け込んでいる青年のエンブリオを一瞥すれば、安堵に頬緩めて。
生き物と呼んで良いかもわからない動く白骨に向き直れば、溜息。

『痛み』は、良くない。……保てなくなるから。
鞄を地面に下ろし、流れた横髪を背に払う。
深い深呼吸と共に、風精と妖精を、傍らに呼び寄せた。

己の手を見下ろし、落とす声は、小さく。
何かに追い詰められたように、震える息を吐き出して。

　ああ、と零した。殆ど吐息と変わらないそれで、改めて認識する。
　鉢合わせか、あるいは捕捉されていたか。どちらにせよ、ここでこうしてという事に、それ以上の意味は無い。

　得物の感触を軽く、確かめて。意識して静かに大きく肺の中身を入れ替える。連戦は避けたかったが、仕方ない。
　
　——仕方ないと思った、それを読んだかのように、背負った『呪術師』がごくごく自然に、何の疑問を挟む余地もなく、背から降りて地を踏んだ。

　『常のように』その動作に対する認識が遅れる。遅れて、視線を向ける。既に自分より先へと立った呪術師の背が視界にある、表情は、窺えない。
　

　————ぱきり。

　『常と何ら変わりのない仕草で』、呪術師は背負われていた仲間の背から、ふらりと降りた。

　森林。
　相対した、四人。
　一見すれば、それは先日の戦いの再現にも思える。
　戦う。それ自体に、違いは無い。

　違いがあるとすれば、向かい合った相手は、『本当に人を狩ってきた』と言う事だけだ。

　『呪術師』は、一歩を踏み出した。
　緩く掲げた、腕。戦う前から、少年の姿は満身創痍だった。
　今にも倒れそうな細い体。ひらりと、振った指先から、ぱきり、と。何かが折れる音がした。

　また、一歩。

　また、一歩。

　仲間に振り返る事すらせず、構えを取る事すらせず、少年が、敵へ向けて歩き出す。

現れた人達は明らかに『今まで見たもの』とは違うと、何かが言う。
そして先の二人の言葉で疎い自分でも、気づく。
ああ、これが。彼の言う

会いたくは無い分類。先へ向かうソルトの背は、いつもの事。
けれど。

止めようと、出した声は言葉にも声にもならなかった。
掠れた声だけを残し、彼の背を何故か『当たり前』の様に見送る自分を
声が出せなかった、もう一人の自分が見ているようで。

足音は、聞こえていた。背も、見えていた。
なのに、気付けば彼は、人狩りの前にいた。

夢から覚めたように頓狂な声を上げながら、精霊が応じる。
風を手繰りながら、混乱する。

…何故自分は、彼がひとりであそこまで進む事を、許してしまったのだろう。