微睡み。
　記憶。反芻。夢。
　獣の牙の如き風の刃をその細い躰(からだ)に受けた呪術師は、森の中で倒れていた。

「……どうした？　お前の手番<ターン>だぞ、ソルト？」

　呪術師は、遊技盤に向かっていた。
　銀髪の青年が、その向こう側で、不敵な笑みを浮かべている。
　嗚呼、これは、『呪い(ゆめ)』だ。

　呪術師は、『夢と現実との境界』を、はっきりと認識出来る。
　彼は『忘れる事が出来ない』。故に、彼は、『夢を夢として認識してしまう』。

「……嗚呼、少し、考え事をしていたよ。ごめんね、『ミスト』？」
「おいおい、随分な余裕じゃあないか。それとも、もう『手詰まり』か？　お前らしくもない」
「僕だって、考え事くらいはするさ」
「葡萄酒が回り過ぎたんじゃあないのか？」
「真逆(まさか)。君の前で酔い潰れる程、僕は怖いもの知らずじゃあない」
「殊、知能戦に於いて飲酒など、言語道断だが。ソルト、お前との『遊戯盤〈コレ〉』に関しては、そうだな。思考の制限を解除できて有効ではある。が」
　掲げた、グラス。片手間に揺らしたそれと同じ、紅色の瞳をした青年は、ふ、と息を漏らす。
　展開された盤上。幾つかの駒。傍らには、金貨と、天秤と、針の止まった時計。魔術めいた札が数枚。
　古い遊戯だ。ルールが複雑過ぎて、普通の人間ではゲームが成立しない。戦略が多岐に渡り過ぎて、決着が付かない。何度も間を開けて、この一局だけで既に一年と半年以上は続いていた。
「それを口に含むことさえ知恵を要求される以上、俺がこれを嚥下するのは、勝負が終わって何分後かな。悪戯な話だ」
「当然、それも『呪って』あるからね。馬鹿が飲んだら死ぬようにさ」
　少年が、駒を進める。時計の長針が、三つ進む。青年はそれを眇めた視線で眺めながら、大義げに葡萄酒を口に運んだ。
「７-８-D15」
「……おや、変わった手を打ってきたね。何か、思いついたのかい？」
　少年が、盤上の『何も無い場所』を片手で振り払う。代わりに、手元の砂糖菓子を盤に乗せる。
「……流石。口に出さずに、しめたものと乗っかってくるほど甘くはないな」
　青年が、指を鳴らす。盤上の砂糖菓子が、甘い芳香と共に砕け散る。
「……それ、『君の本当の感想』なのかな？」
　少年が、盤上の駒を天秤の上に乗せる。天秤が独りでに東側に回る。時計の秒針が七つ戻る。
「どうだろうかな。……おっと、『偏執〈パラノイア〉』だ。其方も通らないと知っていて、悪戯に気を惹こうとする。正に女々しいもんだ」
　時計の秒針が、一周する。青年が盤上に置いたグラスが、指輪の形に折れ曲がる。三つ前進。
「……褒めたって、何も出ないよ、ミスト？　なら、『尖兵』を奈落に堕として、『妥当(ヒューリスティクス)』を３つ。……通すかい？」
「……おいおい、えげつない。こちらの茶目っ気には全力で『嫉視〈ジェラシー〉』か。そうだな、お前が女だったら、冗談抜きに『通したかもな』。『管理識別〈マネジメント〉』だ。手痛いが、『君主』の『忠臣』を『冤罪』で落とす」
「……そりゃ、通らないよね」
　棋譜は、全て頭の中に入っている。だから、呪術師は、『覚えているままに』、砂糖菓子を一つ摘み上げ、口の中に放り込んだ。
「だったらさ、ミスト？　僕が女なら、君の態度も、少しは変わったのかな？」
「まさか、お前みたいな女と俺じゃあ、相性が悪すぎるだろう。それとも、女だったら油断させる自信があったか？…『遷都』だ。少し押されているが、必要な資源は確保した」
「……そうかな？　案外、『相性の好い』組み合わせだとは、思うけど。君、こう見えて、『甘い』からさ。通すよ。フェイズ移行。こっちは『砲台』を三つ落として『鉤猫』と『妖火』を『城下街』に放つ。……一手足りないね。時計は17の倍数だ。『暗殺者』を１つ減らして、君の『諫言』を飛ばす」
「……そういう、『気がなさそうに見えて尻尾をちらつかせるタイプ』が好き、と、見切った上で、コストを無駄に支払って、この局面での勝利を譲るか。確かにな。やっぱ狐だよ、おまえは」
　一字一句、覚えている。
　呪術師は、忘れられない。この後、自分が何をするのか、この後、青年がどんな顔で笑うのか。
　この半年後、青年がどうなるのか。
「……『ねぇ、ミスト』」
　声が、出ない。呪術師の記憶力は、卓越している。彼は『記憶を間違える事が出来ない』。
「嗚呼、次に会う時の、酒の用意は、お前に任せるさ、ソルト」
「……『僕は、知っている。君は、半年後に死ぬ』」
「何だ？　誘って欲しそうな素振りを見せる割には、実際の要望は韜晦する。素直に酒を酌み交わそうと言えばいいものを」
「……『君だって、もう解ってた筈だ。自分の命が長くない事くらい』」
「おいおい、やめろよ。お前の見せる可愛げの何処までが本心なのか、見誤ってしまいそうになる」
　嗚呼、これは、『夢(のろい)』だ。
　何を言おうとしても、少年の口からは、『記憶通りの言葉』だけが溢れ続ける。
　返す青年の言葉も、寸分違わぬ、追憶。
「……『ねぇ、お願いだ、ミスト』」
「やれやれ。そしたら俺は、折角手に入れた収入で、酒の肴でも用意するとするかね」
「……『行かないで。僕を、置いて行かないでおくれ』」
「嗚呼、また、来月にな」　
「……『君は、もう何処にも居ない』」
　紅色の花弁が、舞い散る。視界を埋め尽くす。日付はその半年先へ。
　同じ部屋。少年の眼前には、遊技盤がある。
　その向こうには、青年の姿が無い。
　決着の、その直前。ゲームは、そこで止まっている。
　
「……僕は、まだ生きているぞ。早く僕に『王手(チェック)』を刺しに来い、ミスト」

　夢は、いつだって、そこで終わる。

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　ぱちり、と。
　森の中で、呪術師は灰色の瞳を開いた。
「……『ルド』？　其処に居るかい？　動けないや。僕を起こすのを手伝っておくれ？」
　見えるのは、木々の間から見える、空だけだった。
「……『クロ』？　君も、無事かい？　……ねぇ、『アシリロ』？　君は、『まだ君のままで居られる』かい？」
　順番に、呪術師は仲間の名前を呼んだ。
　一人、ひとり。返事が、帰ってくる。草の上で倒れていた体が、立ち上がるような音が聞こえる。
　ばらばらに倒れていた仲間が、集まり出す。
　要望通りに、呪術師の体が、青年によって引き起こされるまで、大した時間は掛からなかった。

「……ねぇ、『ルド』、『クロ』、『アリシロ』？ ……『マコト』を、『怨まないで』居てあげて、くれるかい？」

　呪術師は、立ち上がりながらそう言って、常の笑顔を貼り付け直した。

　
　左手も空くから便利で良いし見た目通り軽いからこっちは全然負担ないからそれは良いんだけどと、抱えた彼に向かって言って。
　

　——女役に。
　ごく自然と首に回された腕に、流石にどういう顔をしていいのか分からずに、憮然と言った。
　

　自然である。
　周囲の風景の話でない。手首を重ねるように、青年の首の後ろに手腕を回した、呪術師の仕草が、である。　
　見事なお姫様抱っこであった。

　しゃなり、と。
　首を傾げれば、墨色の髪が、揺れる。

青い髪の青年が、華奢な黒髪の青年を抱きかかえる。
名乗り出てから抱きかかえるまでの流れも余りにも自然すぎた。
そしてさながら今は少女向けの絵本に描いた様な理想的な図だ。

トウカに立ち上がる手伝いをして貰いながら
目の前の光景にとても微笑ましそうに告げる。
羨ましいですね、なんていう言葉さえ笑顔で付け加えて。




何故目の前の姫抱っこが『男子二人』によるものという疑問を持たないのだ

徐に顔を上げ、思うままに呟いた少女に、悪気は無い。
少年が少女よりも華奢な為、体格の差に全く違和感がなかった。なちゅらる。

折角だから、互いに綺麗に着飾った格好で。きっと似合う。
彼女に寄り添うように歩み始めつつ、そんな事をぼんやりと考えていた少女は、
結局最後まで、絵になってしまっている二人の性別に疑問を感じる事は無かった。

板には何も書かれていない？
否、書いているのだ。膨大な量の『それ』を、感じるままに案山子は書き記す。
しかし、それと同じだけ、同じ速度で同じだけ、消していく。消えていく。
今、案山子に吐ける口が有ったのなら、流せる血が有ったのなら、それら全てが、全てから流れ出ていたことだろう。
ざ
ざり
ざ　が　がりがり
『水面』から『それ』が滴る。稲藁の身体を浸し、その腸へ、その羽根へと滴る。
ざ
ざり
ざ　が　がりがりがり
ざ
ざり
ざ　が　がりがりがり
が　が　が　がががががが
——ぐちゃり。

————届いた。

————ざり、ざりざり、ざり。
————————————————————————！
————————————————！
————————！
————！
——！
—！
————————ｚ<F>＿＿＿＿</F>ざ　ざ　ざりざりざりざり！！！

尋ねる声が聞こえる。ねぇ？と、疑問を浮かべている。

　あ、と声を漏らす。
　

　ここはいろんなモノがいるなと、骨と鳥を見。そしてどこかで見たようなもう一つに、眼を留めた。
　

　するり、と。
　抱えられていた少年は、自分の足で地を踏んだ。
　こうなってしまえば、常と何ら変わりが無いようにすら見える。

ふわり、笑った。

声は、固く響く。
いっぽ。歩み出る少女を守るように、精霊達もまた、躍り出て。

言い聞かせるように紡いでは、ひとつ、深呼吸をした。