————だから、柊 魔異は、『俺を殺してくれ』と言った。

　殆ど、反射的に、有城冬華は二人の間に飛び出していた。

「……いいよ」

　沈黙が、あった。
　それを破ったのは、少年の声。
　踏み出した、足。
　誰もが動けなかった中で、『呪術師』は、常と変わらぬ歩調で、一歩を踏み出した。
　それこそ、呪術師の足は、山中だろうと、水辺だろうと、平地を行く速さと変わらない。
　だから、冬花は彼を遮るように動く事が出来た。それが『当たり前』の事だったから。『一番聞きたくなかった言葉』に縛られた体は、それで動き出す事が出来た。

「……だめ」

　殆ど、反射的だった。
　遮るように、魔異の前に立った冬花は見た。
　見てしまった。呪術師の、灰色の瞳を。

「……嗚呼、それじゃあ駄目だよ。『アリシロ』？」

　人を、殺す心算の眼。
　冬花は理解する。今の冬花には『理解出来てしまう』。
　この呪術師は、今まで、一度だって冬花の目の前で『誰かを殺そうとしていなかった』事に。
　兵士にだって、野生のエンブリオにだって、最初に出逢った時にだって、それこそ、人斬りに襲われた時だって。

「……それじゃぁ、順番が逆になってしまう。君がマコトの前に立ったら、『天秤の向きが傾いてしまう』」

————『呪術師は、一度だってこんな眼をしていなかった』。
　同じ眼だ。
　今の呪術師は、『あの時の魔異と同じ眼をしている』。

「君がマコトを助けたいように。ねぇ？　『アリシロ』？　マコトだって『君を助けたい』んだ」

　ざり、ざりざりざり。瞳が痛む。足が震える。『これは何だ？』　眼前の少年の姿が、今までとは全く別のものに見える。『二つ目』。
ざり、ざり、ざり。『それ』が近づいて来る。『五つ目』。瞳孔。灰色。『裏切り』。足音。『切望』、『八つ目』。口元が、歪む。
『どうして私や先輩は、今までこれに気付かなかった？』　『七つ目』、『三つ目』、『冬花の眼では数えきれない』。

「君のその『愛情(のろい)』が、マコトのそれと『等価(トウカ)』なように。主観は幾らでも天秤に乗せるべき重さを変える」

　ざり、ざり、ざり、ざり、
ざりざりざりざりみつけたざりざりざりざりざりみつけたみつけたみつけたざりざりざりざりざり『一つ目』みつけたみつけたみつけたみつけたみつけたみつけたみつけたみつけたみつけたみつけたみつけたみつけたみつけた！！！！！


「————世界は、いつだって相対的だ」


————有城冬花は、その瞳で『それ』を認識出来てしまう。

　追われてる。呑まれてる。食われる。覆われる。埋もれる。殺される。殺される殺されるころされる。『眼が合った』。先輩は『これ』を怖がっていたんだ。先輩は『これ』を見て噛み付いたんだ。
　そうするのが当たり前だったんだ。
　視界が、霞(かす)み続ける。輪郭すら朧になる。『これ以上見ては行けない』『これ以上聞いてはいけない』『七つ目』『暴虐』『これ以上触れても』『これ以上知っても行けない』『みつけた』『見つかった』『見付けられてしまった』

　　　『これは、【してしまえる】眼だ』。

　それでも、

「……ソルト。私の『愛情(のろい)』を知っているのなら、ひいて」

「退かないよ。君の『存在(おもい)』を知っているから、退けない」

　少女は、震える足を踏み締めた。
　眼前の『其れ』はもう、知らない瞳ではない。
　有城冬花は、『繰り返さない』為に、此処に来たのだから。

「彼の死が、今の彼の望みなのだとしても」

　指先を、伸ばす。

「私は、私の命を、彼の『愛情(のろい)』に、命に、守らせるわけにはいかない」

　眼前の、『呪術師』を、見て覚えた形。
　これは、『戦う形』だ。拳銃を模した、『風』を使う形。
　冬花は指を伸ばす。指先、細い体。仲間に、銃口を向ける。

「その天秤を、釣り合わせるわけには行かない。——『あなた』を、呪わせるわけには、いかない」

　『呪術師』が、指を伸ばす。
　拳銃を模したような、指の形。小指、薬指、中指。折れ曲がる。残る、人差し指。……食指。冬花と向かい合うような、同じ『誰かを呪う形』。

「……成る程。君は、残酷だ」

　見つかった。
　もう逃げられない。
　逃げる心算は無い。
　今度は、私が、守る。

「————私は、私の絶対を、まもる」

　指先が、震える。呪術師の顔は、変わらない。恐ろしいくらいに、『この人の形をしたものは、微笑みを崩さない』。
　互いに向け合った拳銃は、心臓に向いている。
　けれど、この少年のそれは、私とは違う。彼は、『私を守る為なら私を呪ったって構わない』。

「……退いてよ、『アリシロ』？」
「どかない」
「君だって、『見えてる』んだろう？」
「見えていても、逃げない！！」
「やめなよ、それ以上は、『君が毀(こわ)れてしまう』。そうなれば、『マコト』は————」

　刹那、咆哮が響き渡った。
　人間の声では無かった。その姿すら、腕の先の半分以上は『改竄(か)わって』しまっている。それでも——

　走り去っていく、姿。
　『守ろうとしたもの』が、遠ざかっていく。

「————……待って、先輩」
　
　——それでも、有城冬花は、彼を『先輩』と変わらず呼ぶ事が出来た。
　重圧が、急に消えたように感じた。
　駆け出す。姿を追う。冬花には、それでも聞こえていた。

————そんな声になっても、柊 魔異は、まだ、『殺してくれ』と言っていた。