次に向かうべき地下牢を思い、ひとつ、息をする。
　あの閉塞感と冷たい格子に慣れるものなどあまりいないだろうが、一度向かったその先で見た景色は、いつかの自分が見た世界にとても似通っていたような、気がする。
　先を行く女性陣がこちらを見ていないのを確認し、昏い輝きを宿した瞳をゆっくりと伏せた。
　つらつらと、思い浮かんでくる記憶を己の内側に留めようとするように。




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　ぼくはとても、あたたかいところにいた。
　抱きしめてくれるあたたかい腕、名前を呼んでくれる澄んだ声、この身体いっぱいにあふれるようなやさしさたち。

　　　大好きだよ、愛してる、可愛いね、幸せに。

　やさしい言葉だけが降りそそいで、ぼくの心は、あったかくなる。
　ちいさなちいさな世界のなか、ぼくの手が届く全ての世界が、やさしく、あたたかかった。
　だからこそ、それを守りたくて。
　ぬくもりを与えてくれた人たちに、何かをかえしたくて。
　どうすればいいか、聞いてみた。

「カンタンだよ。あなたも同じように、だれかにやさしくすればいい」

　なるほど、その通りだ。
　やさしくしてもらえて、これほどあったかいのだから。
　ぼくもだれかに、やさしくしてあげればいいのか。



　　——それは、ただひたすらに正しくて尊い、決意で。
　　　　だからこそ、決定的に、間違えた——



　それは他人が見たら、きっと何より幸福で、誰より不幸だったのだろう。
　苦界の片隅で生まれ落ちた赤子は外の世界を一切知ることなく、小さな箱庭の中、いっぱいに愛されて育った。
　たとえそれが遊女たちのお人形遊び的な代償行為なのだとしても、それは赤子にとっては幸福な話だった。
　ただこの小さな箱庭の中での生き方だけを覚えれば、優しい世界でずっと生きていけるのだから。

『ねえさま、ねえさま』

　自分の姿を見ると舌足らずに名前を呼んで走ってくる子供に、ある遊女は幼い日の自分を、ある遊女は産むことができなかった己の子供を重ねては甘やかし、愛し、優しく接していた。
　そもそものこの廓の主も元遊女だったからか、もしくは赤子の母となった遊女がこの界隈を代表する太夫であったお陰でその稼ぎがそっくり残されて廓に余裕があったからか、赤子は産まれてすぐに間引かれることもなく、むしろ将来の稼ぎ手として大事に育てられ、いや仕込まれていた。
　流石に主に使用されるであろう手練手管は年齢的に無理としても、細々とした芸事は幼い頃からそれに触れていれば身につくのも早い。ひとつ出来る度に皆に褒めてもらえるとあって、子供は目の前で様々に繰り広げられる艶やかな芸に目を輝かせ、教えて、教えて、と強請っては拙い真似をして遊女たちの笑みを誘っていた。

　しあわせに満ちた箱庭は、だがそれだからこそ脆く、崩れやすい。
　それはまるで、硝子細工が地面に落ちて粉々に砕けるように。



『やあ、君はここの子かな？』



　もう顔も覚えていない、そんな男の問いかけ。
　それが、箱庭が崩れ始めるきっかけ、だった。




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「……やれやれ、年をとると昔ばかり思い出してしまうねえ……」

　沈みそうな思考を引き戻すようにふるふると首を振り、顔を上げる。
　そもそも、対外的にどう見られているかはさておいて、おそらく皆が思うほどに年寄りというわけでもないのだが。
　今の『己』になってからさて、三十余年ほど。己よりも年嵩な人間など、幾らでもいるだろう。
　まあ仕事をするには好都合なので、わざわざ訂正したりはしないが。

「カレンちゃんなんて、油断するとサクロのと似たような扱いされそうだし、気を付けないとねえ」

　首を飛ばしたり腕をもがれたりは、もう勘弁してもらいたいものだ。
　傷一つない身体を思いながら、小さく肩を竦める。
　どれだけこの『身』が持つのかは、己も知らないのだから。

System Message : M.E.E.駆動...出力...30%...40%...50%...M.E.E.戦闘出力確保......