「さんだぁ〜ばーどぉ〜。ふふふーふふっふふーんふーん♪」

険しい山岳の道を往くイリス達の周りには、ほとんどひっきりなしにシェリナの鼻歌が響いていた。

「……何回目だよもう、それ」
「１８４回目だな」

律儀に数えていたアエレアらしき何かの答えに、フィンは軽くため息をつく。

「さんだぁ〜ばーどぉ〜。ふふふーふふっふふーんふーん♪」
「ずーっとそこばっかじゃないか！　その先はどうした！」
「知らなーい」

シェリナ曰く、本当はきちんと歌詞のついた歌らしいのだが……。

「ったく……」

『飽きた』と言わないのはフィンの良心、ではない。
そんなことを言うとシェリナに頭を目の前に星が飛ぶほどぶん殴られるのだ。
どういうわけか彼女はフィンを殴るときだけはやたら豪腕なのである。
少し機嫌を損ねるとやってくるので、迂闊なことが言えない。
ましてや暴力でやり返すなどもってのほかだ……とフィンは考えているので、黙って聞くしか無いのだ。

「それも力を発揮するための衣装なのよね、シェリナ？」

やっと道が平坦になってきたのもあり余裕を取り戻したイリスが、汗で張り付いた前髪を手で整えながらシェリナに問う。
シェリナはその問いに胸を張って答えた。

「そーよ！　サンダーバードの力を発揮するにはこれっきゃ無いわ！　……あ、今はシェリナ、じゃなくてシェリナ・トレイシーだからね、そこんとこ忘れないでよ！」
「えぇ、わかったわ。シェリナ・トレイシーさん」
「えへー」

今のシェリナは何やら蒼い制服にサンダーバードのマークつきサッシュを身につけている。
サンダーバードの服らしい。これで彼女は今、シルフではなくサンダーバードの能力を発揮するそうだ。

「それにしても不思議ね。服を着替えると力が変わるエンブリオ……」
「あたしぐらいのもんよ！　激レアなんだから！」
「フィンも知らないぐらいだったものね」
「もともとそこまで詳しいわけじゃないけどね。……ただ、シェリナの能力はエンブリオとしては間違いなく異質だ。どういう偶然か知らないけど、そんなのと契約してるなんてすごいね君」
「全くね」

辺りに自分たち以外の気配はない。しばらくはこうして雑多な話を続けながら道を行く事になるだろう。
鼻歌から意識を反らせたことを感じ、横目でホッとしたようにため息を吐くフィンに密かに笑みをこぼしながら、イリスは昨日の出来事を思い返していた。


「あたしはね、そのエンブリオをモチーフにした服に着替えるとその力を行使できるのよ！　今のこれはエンジェルね。翼の作成にはほんっともう……苦労したんだから！」
「……すごい。痛みがすっかり消えたわ……」
「見た目も綺麗なもんでしょ？」
「えぇ……」

いつもの緑髪をカツラで金髪に変え、真っ白な天使の翼を背中に付けたシェリナはその格好をエンジェルだと言い、そしてその力を行使した。
エンジェルの力、それは『治癒』。
右腕を抉られたイリスの凄惨な傷跡が、時間こそかかったものの完全に消え去ったのだ。
戦いで鞭を振るう時はもちろん、その他様々な日常動作でじくじくと痛んではイリスを悩ませた怪我は、もはや何の痕跡も残せていない。

「こうしてイリスの前に出てこれたし、教えてあげる！　これから先もイリスが契約するエンブリオの力は、あたしが全部引き受けるわ！　まっかせなさい！」
「それは嬉しいけど……大変じゃないかしら？」
「服を作る手間はちょっとあるけど、別に苦じゃないわ。力を使うのだってへっちゃら！　だから大丈夫！」


自信満々の笑みを浮かべ胸を張るシェリナに、イリスはとても心強く思ったものだった。

「ほらロイ！　男の貴方が真っ先にへばってどうするの！」
「記憶はないけど……私は多分……アウトドア寄りなんだ……」

自分のエンブリオが視えるようになった途端、仲間の契約エンブリオの姿もまたイリスの前に姿を見せていた。
杖に寄りかかるように歩くロイを叱咤する艶やかな長い黒髪を持った、一見亜人のようにも視える少女は、ロイの契約エンブリオ、ユフィだ。

「少し休憩しましょう。一番つらいところは越えたはず……。辺りもまだ安全のようだし、此処で体力を取り戻しておくほうがいいと思うわ」
「さんせー。ちょっと一息入れようよ、喉乾いちゃった！」

シェリナとはまた少し容姿の違うシルフに、風を送るようにお願いしながら座り込むのはマオだった。

「やれやれ、人間は不便だねぇ」

ふよふよと浮いているアエレアのような闇色の生物は、エンブリオなのか定かではないが……。
自分の周りだけでも、こんなにもたくさんの仲間がいることに気づけて、イリスの旅路は彩り満ちたものになったと言える。

「（これで……アリスがいてくれたら）」

鮮やかな冒険のイメージの中央の１ピースは、未だに欠けている。
彼女は今、どこに居るだろう。
山岳から見上げる空は、平原や水辺、砂地で見たそれより、ずっとずっと蒼かった。

気配に気付いて無視しているのか、それとも鈍感なだけか、全く意に返さない。

イリスの言葉でようやく気付いたようだ。

無知とはそれだけで罪である。

間違いなくずぼらである。

しかも変な勘違いをしている。

熱く語る彼女の話を聞いて、ふと湧き上がった疑問を口にする。

イリスの言葉を繰り返して暫し考え込み。

そう言うと少年は今までと違う感情の欠けた笑みを浮かべた。

→情報交換（エンブリオ）

突然の申し出にびっくりしつつも興味津々で乗りかけ。
冗談よという言葉になーんだという少しほっとしたような残念そうな表情を浮かべる。

彼女の言葉に大きく目を瞬き。

感動を隠し切れないイリスの顔を見つめて、興奮気味に話の続きを促す。

→情報交換(城内）

くすくすと笑ってイリスに同意し。

そして彼女から漂う血の匂いが強くなった気配に、少し心配げな顔でイリスを覗き込む。

あまり気を使わせないようにする為か、少しおどけた様子で返している。

最後は冗談っぽく言うが、傷に関しては割と真面目に対処を考えているようだ。消毒液と包帯の予備の量を確かめている。

＞あなたの言葉に頷くでも安堵するわけでもない、機械的な声色だが、
　機械人形は機械人形なりに、あなたの安否を案じているのかも知れない。
　それは効率的な打算からくる行為なのかも知れないが。

＞言葉が途切れる。
　次に発せられる言葉が、暗色とうかがわせるには充分な間であり。