フェニール辺境伯領から遠く離れた、都市同盟軍泊地に補助汽船に曳かれた艨艟が入港してくるのが見える。
　深い朝霧に艦影が霞んで見えるとはいえ、主力艦級の大型艦艇である事には疑いない。
　外套を羽織ったファースティアは双眼鏡で艦影を見据える。

　艦艇史を塗り替える劇的な設計であったイデア（理想）艦ドレッドノート。
　その設計思想を継いで設計されたのが、《自由諸島同盟》の通称で知られる西方都市同盟の標準戦艦アーベント級である。
　国力が限定される各同盟都市国家が共通の艦艇を運用する事で、統一化された艦隊運動を実現する。
　四半世紀近く前に始まった艦隊整備計画により、西方都市同盟は海洋の盟主に手が届くだけの地位を確立する事に成功した。
　青の一番艦と呼ばれるブラオ・アーベントはそのネームシップである。
　今日では新艦隊旗艦級戦艦の試験運用が始まったとはいえ、いまだ第一線級の性能は維持されている。
　姉妹の中では旧式艦とはいえ、近代化改装を施した主力艦を派遣する以上、リオ・アーベント市は新王への武装蜂起を重く見ているのだろう。

　数万トンの艦体がゆっくりと静止し、軍港に接岸した。
　投錨され、巨艦が固定されると、乗降の為の搭乗橋が艦体に手際よく固定される。
　海洋都市国家の精兵だけに練度は非常に洗練されているのは疑いない。
　艦橋側面のハッチが開き、白い礼服に身を包んだ将校の一団が列をなして近付いて来る。
　先頭に立つ男はまだ中年とも言い難い若輩なのだが、軍服に付けた階級章や身なりが最上位の高官である事を証明している。
　覇気に欠けた、どこか頼りない風貌は、身分で高官を継いだ貴族然とした青年将校の雰囲気とも異なる。
　なんであれ、彼が派遣艦隊の最高指揮官である提督の身分である事は疑いなかった。

　周囲とあまりに服装が異なるので見逃したが、近付いて来ると従卒とは思えない民族衣装に身を包んだ少女を提督が連れているのが見える。
　西方協会からの派遣員なのか、なんらかの要員なのかは判断が付かないが必要なスタッフなのだろう。
　やや強い海風に礼服の肩当てを揺らしながら、提督は危な気もなくタラップを降りてくる。
　頼りない風貌の割にはどこか隙がない。ファースティアはそういう人物を一人よく知っていた。
　なるほど、わざわざ呼び出すだけあって、この提督と兄は共通した何かを持っているようだ。
　歓待用の微笑を浮かべながら、隅まで観察を見逃さない。
　確かに手紙にあった通り、かなり前の話であったが、どことなく見覚えはある容姿だ。

　将校の一団が静止し、敬礼の形を作る。
　辺境伯と第一子が虜囚の今、辺境領姫は国家元首の代行に等しい。
　士官学校入学早々に軍事史に残る一大理論を公表し、近年稀に見る規模の軍革を生んだ張本人。
　普段は中央大学で教鞭を振う歴史家でもある変人とは経歴を読んでいたが、やはり、ただの軍人ではないらしい。
　物腰こそ柔らかいが、飄々とした底の知れない部分がある。
　一見すれば参謀なり後方要員に見える風貌ではあるが、先の大戦では最前線でも活躍した名指揮官。
　小娘の身で測り知るには経験が圧倒的に足りないのだろう。

　リオ・アーベントの辺境調査艦隊と言えば、艦隊とは名ばかりで過去は調査用の巡洋艦が一隻所属するだけだったと聞く。
　今回の遠征派遣では旧式の一隻とはいえ主力艦が増強され、護衛艦も戦隊単位で編入が行われている。
　本格的な陸上部隊の派兵こそないが、正規艦隊級の戦力が持つ陸戦隊の戦力は侮れない。
　それに西方同盟の盟主とも呼べるアーベント市の陸上部隊は教練の近代化が進んでいる事でも定評がある。
　訓練不足の徴兵を主体にした陸軍国など歯牙にもかけぬ、非人道的とも言える効率化が進んだ教練内容——
　それらは全て戦史の解析から導き出されたものだという。

　この日、西方同盟派遣艦隊を率いるユベール・ヤオ・フェッセンデンが客員提督としてフェニール辺境伯領に着任。
　調査艦隊の名の下に派遣された麾下の艦艇群と共に、圧政を敷く新王への威圧を開始する。
　海上封鎖と砲艦外交の支援の下、フェニール辺境伯領は王国への反攻作戦を水面下で進めていく事になる。
　それは叛乱軍新興部隊が王城正門に突入する数週間前の出来事であった。