（16日目日記の続き）

　それから、俺は自分の事を二人に話し始めた。

　生まれて物心ついて間もない頃に、両親を事故で亡くしたこと。

　施設に預けられ、妹と二人で肩を寄せ合って暮らしてきたこと。

　その妹が、チンピラに殺害されたこと。

　俺がそのチンピラを殺したこと。

　その後も、沢山、沢山、沢山沢山沢山、人間を殺したこと。

「殺人か。そんだけ殺しゃ、そっちの法じゃ死刑は免れんじゃろうの」

「ほんで、こっちに逃げてきたっちゅうことやの？　鉄雄はん」

「……いえ」

　自分でも分からない。別に捕まって死刑になるなら、それでもよかった。

　ただ、あまりにも自分の前に立つ人間たちが、貧弱で。

　脆くて。

　壊しやすかったから。

「後悔はしとるか」

　手にした酒を置き、男——ハガネが聞く。

「……わかりません」

　最初に殺した相手は、今でも死ぬべき下衆だったと思っている。現状の法では、あいつを死刑に処すことはできなかっただろう。

　しかし、それ以外の867人に関してはどうか。言うなれば八つ当たり、己の我儘で死なせた人間達だ。好意も悪意も持たず、ただ路傍の石のごとく蹴っ飛ばしただけの存在。

「……償えるのであれば、償いたいとは思います」

　未だにふわふわとした認識の中で、それだけを言うのが今の俺にはやっとだった。

「ほうか」

　ハガネはギンコと目配せをし、次に俺の方へ眼を向けた。

「飯ば食い終わったらちぃと付き合え。散歩ついでにの」

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　その村は、いわゆる日本の農村と言われる場所とそこまで大きく変わる光景ではなかった。畑や水田、築うん十年は経つであろう建築物が飛び飛びに並んでいる。トラクターや軽トラックなんかも停まっていた。

「ここは丁度、並行世界の交点になっとる場所みたいでのお」

　ハガネが歩きながら、山林の奥の方を指差す。

「ちょうどあそこ——黒い花が咲いとる場所じゃ。時たまあそこから、別の世界からの人間が現れよる。きさんみたいにの」

「ここの村人達は、みんな元は別世界からの移民なんよ。勿論、うちらもね」

　ギンコがふんわりとした微笑を浮かべながら、首を傾ける。

「このへんでええんとちゃうの？　ハガネ」

「じゃな」

　たどり着いたのは、周囲を畑に囲まれた広場だった。サッカー場の半面程はありそうな、そこそこ広い敷地だ。

「まあ、楽にせえよ。食後の運動じゃ」

　俺より少し前を歩いていたハガネは、腕組みをしたままこちらに振り向いた。その前につかつかとギンコが歩み出る。自然と俺と彼女が対峙する形となり、無意識のまま俺は構えをとった。

「そいじゃ、いくよ」

　変わらぬ微笑のまま放たれたそれは、殺気などという生易しいものではなかった。こちらへ指向的に向けられた叫び声、狂気のまなざし——そんなものを思わず幻視してしまうような、雰囲気。

　思わず両腕でガードの構えをとったが、既に手遅れだった。明らかに常人の脚力とは思えないスピードで俺に飛び掛かったギンコの腕は、既に頭部を両手でがっちりと掴んでいた。

「遅いよ」

　ガードごと打ち抜く膝蹴り。片腕の骨がひしゃげ、頭部にめり込んだそれは勢いそのまま俺の眼球をほぼ全て露出させる。数回転しながら後ろへ飛ばされ、首から地面へと着地した次の瞬間、

「……！」

　数秒前と変わらぬ姿で、俺はその場に立っていた。ハガネが人差し指を立て、こちらを見る。

「鉄雄。きさんは今、ここで一度死んだ」

　そう。死んでいた。疑いようもなく、先ほどのギンコの一撃は致命傷だった。

「オイにはちぃと変わった力があっての。今のは『時操術』、一定領域の時間を巻き戻す力じゃ」

　目の前のギンコを見ると、彼女も先程と変わらない姿だった。こちらからいくらか血も噴出したはずだが、彼女の割烹着には染み一つ無い。

「鉄雄はん、さっき言いはったよね。『償いたい』って」

　その微笑みから、数瞬前までの狂気は感じられない。今度は逆に、それが不気味だった。

「なら、シンプルにいきましょ。目には目を、歯には歯を」

「きさんには、あと867回程死んでもらう。っちゅうわけじゃ」

　がはは、と豪快に笑うハガネ。さっきから、二人の言動と表情と行為がまるきり一致しない。狂っている。いや、狂っているのは俺の方なのか？

「夜は長くないからねえ。さくさく済ませましょか」

　ばぁん、と右頬に衝撃が走る。今回は近づかれたことすら勘付けなかった。俺が横に吹っ飛ぶのと同じスピードで大地を蹴ったギンコの追撃は、あっさりと俺の頭と胴体を2分割した。勿論、次の瞬間には再び俺と彼女が対峙している。

「さて、次は」

　高々と跳躍し、月を背にこちらに飛び掛かり——頭突き。頭がぱっくり割られた記憶を持ちながら、なお生かされている存在など俺くらいではなかろうか。

「お次は〜」

　姿勢を低くし、細かいピッチで地面を蹴りながら接近。十分に距離を近づけた後に——股間部への蹴り上げ。痛みだけで人は死ねるのだということを、おぼろげながら理解させられる。

「おいギンコ、それはやめぇて！！　見とるこっちが耐えれんわ！！」

「えー。これかて貴重な体験やろ？　何百回も死ぬなんて経験、滅多にできんやろしねえ」

　少なくとも俺の世界では、俺が初めてだと思う。

「さて——あと864回、かな？」

　夜は続く。

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「はい、これで——ラスト」

　でこぴんが俺の額を深々とえぐり、大量出血により意識が途切れたところでそれは終わった。

「おーい、鉄雄。生きとるか？」

　死んでは巻き戻されを繰り返し、肉体的な損傷はゼロであるものの、精神的なショックは到底耐えられるはずもなかった。200回目を数える時には既に膝立ちの態勢をとるのがやっとで、半分を超えたあたりからはその場に倒れ込む前にギンコの一撃が俺を屠るという一連の流れの繰り返しだった。

「返事のできる状態やあらへんよ。わかっとるでしょ、ハガネ」

　その場にうつぶせに倒れ込んだ俺に、二人の話声が聞こえてくる。

「まあ、人間じゃそうなるかのお。——しかし」

　思いついたようにハガネが、ギンコに言う。

「……よう考えると、今のは鉄雄の殺した人間の分をなぞっただけじゃな」

「せやねえ」

「償いというには、少し不足じゃなかが？」

「かもしれんねえ」

「——あれじゃ。『やられたらやり返す』」

「『倍返し』？」

　ギンコの足音が、こちらへ近づくのが分かる。

「……まだ足りん気もするが、そんなもんか」

「時間的にもそんなもんやない？　それじゃ」

　胸倉をつかまれ、ギンコに無理やり立たされる。その微笑は、未だ崩れることはない。

「869回目、いこか」

　こめかみへの一撃。