■森林にて：単独行動中

　目前、小さな家を眺める。
　山小屋と呼ぶのが適当だろうか。
　聞くところによれば、老夫婦が慎ましやかに暮らしているそうな。
「…柴刈りと、洗濯、かな…」
　一瞬、生活の様子を想像するものの振り払って。
「頼もー」
　呼び鈴が見当たらないので、扉を叩く。

　花屋敷の出張所。
　本来、そう呼ばれるべきは、この小屋のことだ。
　自分達が世話になるには、あまりに小さく、そして少々不便なゆえに。
　サルが用意した屋敷に身を寄せているものの。
　ここ、メルンテーゼにおいてその働きをしてきたのは、ここに住まう老夫婦。
　であるはずだ。
　せっかく近くにまで寄ったのだから、挨拶に。
　ただ、それだけだったのだが。

「…本当に、すいません…」
「うちの人が、本当に…」

　対面、机に額をつけるかつけないか。
　椅子に座ってさえいなければ、土下座じみた二人のその姿勢を、横目で見やりつつ。
　机に肘をつき、後頭部を押さえ、逆の手で腹を撫でる。
　腹が空いたわけでも、満たされたのでもなく。

「うっかり、道場破りかと…」
「すいません…うちの人がうっかり…」
「…道場破りや言うなら、看板掲げときぃな…」
「木が腐ってきたもので、今、下げておりまして…」
「うちの人、昔は用心棒で名を上げたものですから…」
「…あるんか、看板…」
　とはいえ、自分が迂闊だったとは言えまい。言うまい。言うてたまるか。

　まさか、扉を開けて相手も見ずにどつかれるとは思いもせなんだわ！！

「まぁ、エエ…よォないけど…話進まんから、とりあえず置いとくわ…」
「はぁ…、えーと…サクロ様でしたな、どういうお話で…」
　恐縮しきりから少しは上向きの態度に向き直り。
　出された茶にやっと手をつける。
　何の葉だろうか、薬草のような匂いがする。
「話っちゅーか、屋敷の手配のな。渡りをつけてくれた礼をと思て」
「礼だなんて、私どものお役目ですから…」
　夫と妻とが、順に口を開く。
　申し訳なさそうな苦笑に、やや、誇らしげなものが混じる。

　ここしばらく、何の問題もなかった世界。
　異形、異能が極端に害されることもなく、屋敷は組織としての体裁を必要としなくなった。
　それでも、いざという時のために。
　こない方がよい、必要とされる時のために。
　そんな風に引き継がれてきた、それがこの小さな山小屋。

「…もうちょい、町に近いほうが便利なんとちゃうん？」
「市政に近すぎると、馴染んでしまいますので…これくらいが、ちょうどよいのです」
「必要なお買物があれば、町に降りますけど、だいたいのことは手近で済みますし…」
　暮らしのほとんどが自給自足なのだろう。
　小屋の中、あちらこちらに保存処理のための様々が目に入る。
　金銭による礼を望まないのも頷ける。
「何ぞ、できることはないかね」
「…といいましても…」
　夫の困惑の眼差しを受けて、妻は目を逸らす。
　どこかへと視線をやって、夫の目を見返す。
　何事か、あるらしい。
「…あの、サクロ様。一つ、お預けしたいものが」

　慎重に申し出た言葉と品。
　一体の人形。
　服は綻び髪は痛み目はいずこか。
　形そのものも一部は汚れ、一部は壊れ、一部は欠け。
　むごいザマだ。

「娘の可愛がっていたもので…」
「…この子だけが、返ってきて…」

　謝罪の時とは違う、二人が項垂れる。
　二人の言葉は、私に頷く以外のことをさせないだけの重さがあった。


■砂浜経由：帰り道

「あっつぃ…あつい…」

　山の中が涼しかっただけに、照り返しも相まって、酷い暑さに感じる。
　預かりものを落とさないよう、汚さないよう、濡らさないようにと、着物で包む。
　一つ脱げば随分ラクに。
　と思ったのもつかの間。

「…アカン…あつい…」

　ネクタイを緩め、外し、首に引っ掛け。
　汗に視界を遮られる眼鏡は胸元に。
　挙句、シャツで頭に日陰を。

「あーっ！　さっきゅん、見っけーー！！」
　これははたして、天の恵みか。
　いや、鉄砲玉ならぬ、鉄砲水か。

　むごいザマなのは、誰のことやらだ。

自分とは違う着こなしに驚きながら、
似たような着物を着ている事に親近感を覚え、声をかける。