ENo.3378 ズィグナール=フォイアー

　平原の乾いた空気の中を、ゆったりと紫煙が流れて行く。
　美味そうに煙を吸い込むのは、茶褐色の髪の男だ。

「ズィーさんの煙草って、ちょっと変わった香りがしますよね」

「うん？」

　少し後ろを歩いていたピンクの髪の少女が、くん、と小さく鼻を鳴らして言えば、男はきょとんとした様子で肩越しに振り返る。
　タタっと軽い足取りで少女が男に追いつき、またくん、と漂う香りを嗅ぐ。

「なんといいますか……煙草っていうより、薬草のような香りがします」

「あー…うん、こいつは元々薬だからな」

「え…？ズィーさん、どこか悪いんですか？」

　急に心配そうな様子でオロオロしだすマールに、ズィーは笑いながら「違う違う」と手を振った。
　ズィーが懐を探り、取り出した箱をマールに見せる。
　緑の地に金色で葉をモチーフとしたエンブレムと、銘柄らしい異国の言葉が刻まれた、なかなか洒落たデザインだ。

「俺の故郷は昔、長いこと戦乱が続いててな…煙草みたいな嗜好品はとんでもなく高かったのさ」

　一時、煙草を生産する地方が戦火に飲まれ、煙草の値段が跳ね上がったことがあった。
　稼ぎの少ない若い傭兵が高級な嗜好品を手に出来る機会など滅多になく、その代替品として広がったのが、魔術の儀式などに使われていた
栽培が容易で比較的安価な薬草の数々である。
　戦が長引くうち、それらは嗜好品として様々な調合のバリエーションが考え出され、戦乱の終結した現在ではすっかり煙草の一種として定着していた。
　ズィーが愛飲しているのもまた、そうした類のものなのだ。

「はー…そんな事情で生まれたものだったんですか」

　渡された煙草のケースの側面には、タールとミリ数の他に、使用されている薬草名と思しき文字が成分表になって載っている。
　あまりマジマジと煙草の箱など見たことはないが、確かに普通にはない表示だ。

「そ。まぁもう慣れちまったからなァ…今更変えるのも面倒だし、禁煙に至っては出来る自信が欠片もないしな！」

「ズィーさん、それ胸張って言うことじゃないですよ…」

　笑いながら、穏やかに言葉を交わす傭兵の男と悪魔の少女。
　会話には加わらずにその少し後ろをついていく研究者の口元にも、ほんの少し笑みが浮かんでいる。
　この世界に来て以来、日常といっても差し障りのなくなったいつもの光景。
　いつもの旅路。

　だが、『旅』というものには往々にして、予想だにしない出来事も起こり得るものだ。
　そしてそれは、唐突にやってくる。

　今日、たまたま他の冒険者とすれ違った。
　ズィー達にとっても、それはさして珍しくもないことのはずだった。
　ただ、それが『彼』であったという事を除けば。

「あれぇ？」

　その声は、不意にズィーの耳に飛び込んできた。
　一瞬肩が震える。
　それは、真の姿を隠して行動しているズィーには致命的なミスとも言える反応だった。
　しまったと思ったときにはもう遅く、ちらりと目をやった声の主とは、ばっちりと視線が合う。

　声を発したのは、一見長い黒髪の少女のようにも、少年のようにも見える人物だ。
　女物の可愛くコーディネートされた衣装に身を包み、驚いたような、それでいてちょっと何かを迷っているような顔でこちらを見つめている。
　だが、ズィーが視線を合わせたことで、その表情がぱぁっと明るくなった。
　花が咲くような笑顔…そんな風に形容されるのは、きっとこういう顔なのだろうと現実逃避しかけた思考が呟く。

「やっぱり！こんな所で会うなんて奇遇だねェ！アマｎ―」

「だぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

　ガシィィィィ!!!っと効果音がつきそうな勢いで、ズィーの無骨な手は『彼』の口を塞いでいた。
　一瞬の早業。
　双方のPTMが呆気に取られて固まっていると、『彼』は自分の口を塞ぐ手を迷惑そうにペシペシ叩く。

「むぐぐぐ、むぐむぐぐぐぐ」

「何するんだ、じゃねェよ…！察しろよ！こういう時は事情があるんだなーとか、そういう風に思わねェのかお前は!?」

　『彼』は口を塞がれてモゴモゴとしか喋れないにもかかわらず、ズィーにはその言わんとすることが正確に分かるらしかった。
　しかも、少し離れたそれぞれのPTMたちにはギリギリ聞こえない程度の声で怒鳴るという器用さとの合わせ技である。ズィーのその剣幕に、
口を塞がれた『彼』も何か思うところがあったのか、きょとんとして首を傾げた。

「む？むぐぐぐむぐむぐぐ？」

「違ェよ！何でイメチェンになんだよ！」

「むっぐ、むぐぐんむぐ、むぐぐぐむぐぐぐぐぐ」

「…………はぁぁぁぁぁぁぁ…ゆきお、お前ほんっと変わらねェのなー…」

　深い溜息を吐いたかと思えば、ズィーの口元に笑みが浮かぶ。
　若干呆れたようなそれではあったが、表情が和らいだことで（一方的にだが）張り詰めていた空気が和むと、ゆきおと呼ばれた『彼』は
口を塞がれたまま胸を張った。

「むぐぐぐむぐぐぐ！」

「はいはいはい、ゆきおう様におかれましてはご機嫌麗しゅう。……俺の今の名前は『ズィー』だから、そう呼べよ」

「む？むぐぐんむぐぐぐぐぐぐ？」

「離婚してねーよ!!!縁起でもねェな!!仕事なの！オ・シ・ゴ・ト!!……あー…クソ、あいつがいねェと突っ込み全部俺の役目になんのか…!!」

　口を塞いでいたのとは逆の手で、ポンポンとゆきおの黒髪を撫でるズィーだったが、別の名を名乗っていることに関して、ゆきおが寄越した
言葉（？）に再び柳眉をつり上げることとなった。
　ゼイゼイと息を荒げる傭兵に、ゆきおは労わるような視線を向ける。

「むぐぐぐむぐ」

「大変なのはお前の相手してるからだ！……ったく、ホント疲れる。とにかく！諸事情で今はそういう名前だからな。分かったか？」

「むぐっぐむ！」

　元気よくゆきおが頷くと、長らく口を塞いでいたズィーの手が漸く離れる。
　どこからともなく黒子が現れ、乱れた髪などを手早く整えて下がると、ゆきおはキラキラ輝く極上の笑みを浮かべた。

「やぁ！こんな所で会うなんて奇遇だね！ズィー！」

「……そっからやり直すのかよ……」

　ガックリと膝を着くズィー。
　少し離れて成り行きを見守っていたDr.マクスウェルが、つと指先で眼鏡の位置を直しながら呟く。

「ふむ。勝負あったようだな」

「今の勝負だったんですか…？」

　こうして傭兵は、気ままな王様との再会を果たしたのだった。