ENo.288 プシュケ・ブランシュ

　今回の日記にはEno1000フリアミスタさんをお借りしてます。
　あと、名前だけですがEno3199伊藤パナドさんもお借りしてます。

「えへへー。えへへへへー」

　大層ご満悦な表情の少女がいる。自分よりもやや背の低い少女に背中からかぶさるように抱きついて、やたら楽しそうにしている。

「どーしてこうなったですかね…」

　腕の中の少女は、疲れと諦めの入り混じった様相でされるがままになっていた。否。少女と呼ぶには、実際はいささか年齢が嵩んでいる。外見的には“少女”と言われても何ら違和感はないが。

　　　　◆

　ことの起こりは、とある街角だ。バレンタインデーの習いに従い、パナドにチョコレートを渡したプシュケは上機嫌で帰途についていた。
　バレンタインデーというのは、女性が男性に気持ち――とりわけ好意にチョコレートを添えて告白する日だと漫画で読んだことがある。その漫画では、意中の男性にチョコを渡したヒロインが逃げ帰るように振り向き走り出そうとした所で男性に抱き締められ、予想外に男性からの好意を告げられ、両想いだったことが発覚する。二人はその日の内に愛を確かめ合いめでたしめでたし、となったわけだが、果たしてプシュケにはそういうハプニングは訪れなかった。パナドは一瞬驚いたように見せたが、何事もなく受け取ってくれた。胸の高鳴りを感じたが、特にそれ以上何かが起こる風でもなく。プシュケは逃げ帰る必要もなく、普通に別れてきたのだった。

（ううう、どーしよどーしよう…。渡しちゃった…。女の子いっぱい来てたなあ…）

　そうは言っても、心中は穏やかでいられない。特に考えもなく、他にチョコレートを渡す異性がいるわけでなく。安易にパナドに渡しに行ったわけだが、彼女がチョコを渡した後。何人もチョコを持った女性とすれ違った。振り返ると、パナドの前には女性の集団が出来ていたのだ。
　別にパナドを想い人として意識しているわけではない。元の世界に戻りたいプシュケは、顔の広いパナドを頼り、親しくしているだけだ。言ってみれば、最も世話になっている男性、それが伊藤パナドなのである。好きかと言われれば、確かに好きだ。でもそれは、まだ恋愛の対象という域には至っていない。一人の人物として、パナドに好感を持っている。ただそれだけだ。
　一方で、プシュケとすれ違った女性達はどうであろうか。本気でパナドを想い上げ、気持ちをチョコレートに託して伝えた者もいるかもしれない。パナドがそれにどう応えるか、それはプシュケにはどうにも出来ない問題だ。自分のような、ただ感謝の気持ちと一抹の好意を伝えたのとは違う、明確な意志を持って働きかけたであろうそれらと比較してしまう。
　答えの出ない思考が頭の中をぐるぐる駆け巡る。そうして路地の曲がり角に差し掛かっていたプシュケは、前方などまるで見ていなかった。

　ゴッ

「ぎゃあっ！？」
「いひゃあっ！？」

　プシュケの鼻っつらに、小気味よい頭突きがクリーンヒット。片手で鼻を押さえながら尻餅をついた彼女が慌てて前を見ると、そこには白衣を着た小柄な少女が同じように尻餅をついて倒れていた。両手で額を押さえている。ミニスカートへの防御は疎かで、パンツは丸見えだった。

「いたたた…どこに目ーつけて歩いてるれふか！　ちゃんと前見て歩けってーんれふよ！」
「ひゃあああ、ごーめ゛ーん゛ーな゛ーざーい゛ーっ！」

　凄みを利かせたつもりの怒声はどこか頼りなく、怖さよりも何となく微笑ましい。だが、プシュケはすっかり萎縮していた。鼻も痛い。とても痛い。涙が滲んできた。

「って、だいじょーぶですか！　何かとてつもないクリティカルヒットをおでこに感じたです。こう、やっちゃった的な……おわ！？」

　少女の言葉に警戒を緩めたプシュケは、片手を鼻から離した。やおら、鼻血が水道の蛇口を捻ったかのように溢れ出てくる。その勢いに、白衣の少女は完全に引いていた。

「うえええええんっ、い゛ーだーい゛ーよおー！」
「え、えっと……翼人さん？　の一種なんですかね？　で、でも翼人さんは鳥っぽいですし、そういう人らとは全然違う感じがしますけど…と、取り敢えずこれで治るですかね！」

　少女は何やら装置を取り出すと、それを操作し始めた。プシュケは自分が何をされているのか把握できなかったが、鼻血の勢いが弱まりやがて止まった辺りから感動に転じ、貧血気味な気分があっさり良くなった所で目をキラキラさせていた。よく分からないけど、すごい！

「まだですよ、もうちょっと大人しくしていてください。あとはこいつで…」
「ふがごっ」
「あっ、ごめんなさいです。ちょっと乱暴でした」

　綿棒に薬液を染ませてプシュケの鼻の穴に突っ込んだ彼女は、勢い余って少し奥に入れてしまった。まあでも、どこに傷があるか分からないしなるべく広く塗っておいた方がいいか、と思い直して、今度は優しく薬液を塗り広げていく。

「う゛う゛う゛ー…じーみ゛ーるーうー！」
「我慢するですよ！　ほら、もう片方も塗るです」

　そうして、少女はプシュケの手当てを終えた。自分よりも大きいくせに、子供みたいな人だ…などとも思う。その言葉が自分にある意味ブーメランのように返って来て、少女は沈鬱な気分になったりしていたが、プシュケはそんな様子に気付く素振りもなく、少女の手を取って笑顔で言った。

「ありがとーございますうー！　こっちの不注意でぶつかったっちゃったのに、怪我まで治してもらっちゃってえ！　もう感激ですよおー！」
「あっ…いや…まあその、どういたしましてですよ。それより、ちゃんと前見て歩かないとだめですよ！　私だからよかったものの、こわいおにーさんとかだったら、今頃どうなってるか分からねーですからね！　ほら、いつまでも地面に座ってないで、立つです」

　少女はプシュケの手を引いて立ち上がった。白衣についた土埃を払うが、中々落ちない。

「ぐぬぬぬ…しつこい汚れですね…って、おわわわわ！？」

　プシュケの方を改めて見た少女は、そのあまりのひどさにうろたえた。チアガールの衣装が血まみれなのである。先ほどあれだけ出血したのだから、当たり前だろう。

「このまま表を歩くのは、なんてゆーかかなりヤベー感じがしますね…。あなた、おうちはどこですか？」
「えっ、あっ、おうちっていうか……20分くらい歩くんですけど…」
「20分もその格好でうろうろしてたら、間違いなく大事になるですよ。私が泊まってる宿がすぐそこにあるから、取り敢えずそこへ行くです。服を洗いましょう」

　そういうと、少女は自分の白衣を脱いで、プシュケに着せた。前を閉じれば、血まみれチアガールも目立つまい。少なくとも、土汚れの白衣を後ろ前に着て目を引く方が百倍はマシだった。プシュケの背中には羽がある。普通の白衣を普通には着れないのだ。

「本当にありがとー。何か沢山お世話になっちゃって…。あっ、私はね、プシュケっていうのー」
「あ、んと、私はフリアミスタってゆーです。ま、まー、テキトーに呼んでくれていーですよ」
「じゃあ、ふーちゃんだねえ。私のことはー、ぷーこって呼ぶといいんじゃないかなあ。一番呼ばれ慣れてるのは、ぷーちゃん、かなあー。えへへー、ふーちゃんとぷーちゃんだよお。えへへへへー」

　何が嬉しいのか分からなかったが、プシュケは笑い続けていた。初対面の人に優しくされたのが嬉しかった。最初に激しく怒った人が実はとても優しかったのも嬉しかった。何より、この少女が悪人でないということが嬉しかった。人間の善性を妄信するプシュケには、実際に人間が優しくしてくれることが、とにかく嬉しくてたまらないのだ。

「何かややこしくねーですかそれ……まあいいですけど」

　少女は目をどよんとさせたが、すぐにプシュケの背中の羽を見て言った。

「さっきは翼人さんって言ったですけど、どっちかってと身体が大きい妖精さんって感じですね。や、妖精さんのことも、翼人さんのことも殆ど知らねーですけど。ゲームとか小説とかで見たことあるだけで。あ、んと、見た目が変だとかどーこー言ってるつもりはねーですからね！　むしろ、綺麗でいいと思いますし」

　フリアミスタにそう言われて、プシュケは一瞬きょとんとしていた。そして、すぐに満面の笑顔でフリアミスタに抱き付く。

「わっ、何するですか！」
「えへへへー！　ふーちゃんだーいすきー！」
「ちょっ…いきなりなんれふか！？　一目ぼれとかそーいうのは別にとっとけばいーんれふよ！！　いくらなんでも衝動的すぎれふ！！」

　フリアミスタはペースを握られて、かなり動揺していた。というか、このプシュケという少女はあまりに壁がなさすぎやしないか。簡単に人を信じて、その様には危うささえ覚える。大方羽を褒められて気分をすこぶる良くしたのだろうが、自分とまるで異なる少女に対し、フリアミスタはどうにも扱いに困っていた。こんな真っ直ぐさ、まるで子供である。自分がどこかに置いて来たような。ちくりと胸の端っこが痛む。

「あーた、今何歳ですか」

　失礼とかそういうことは思い浮かばなかった。思わず聞いてしまった。聞いてから、初対面でいきなりこれは失礼だったと後悔した。だが、プシュケは全く気にした風もなく、にこにこしたままうーんと唸ってから答えた。

「確かあー……じゅうななさいだったと思いまーす！」
「私より５歳年下なだけじゃねーですか！！」

　呆れた。この歳で……これなのか？　いいのかこれ。フリアミスタの頭は今、常識で埋め尽くされていた。いや、年齢のことはもうよそう。深く考えるとドツボにはまりそうだ。

「もう…いいです…。とにかく宿に向かうですよ！　話はそれからです！」

　フリアミスタはこの空気を取り払うべく勢いよく告げると、プシュケの手を取って歩き出した。

　Eno1000の日記に続く！　かもしれない！

「ってーいうか地の文！　いつまで私のこと少女って形容するですか！！　いーかげんどーにかしやがれですよ！！」