ENo.1082 キータ

　わたしの育ったのは、険しい山の谷間にある小さな村だった。

　家の数はは四十軒足らず。物心つくころには村人の顔はみんな覚えてしまって、それが当たり前になるような平和な村。
　だから、隣村が山賊に襲われて、消えてしまったと聞いたとき、わたしはまるで現実感がなかった。

　山賊が、おとぎ話の中に出てくるような無害なものじゃないのだと知らされたのは、隣村から逃げ延びてきた子がきっかけだった。

　逃げてきた隣の村の人たち。
　大人はすぐに畑の手伝いをすることになって、子供は長老様の家に引き取られることになった。

　今思うと、隣村の人がたくさんいたら、わたしの村においておくことはできなかっただろうと思う。
　でも、逃げてこれた隣村の人の数は片手の指で数えるほどしかいなかったのだ。

　『気の毒な子なんだから、仲良くしてあげるのよ』。そんなお母さんの言葉もあって、わたしは隣村の子と仲良くしていた。

「いいなぁ・・・。じぶん、お母さん死んじゃったんよ。・・・うらやましい」

　わたしがお母さんに怒られたことを彼女に愚痴ってしまったとき、そんなことを言われてドキリとしたのを今でも覚えている。

　◆◆◆

「……っけ！小銭しか持ってねぇのかよ」

　力尽きたわたしと腐乱さんの荷物をぎょろりと見ると、お頭と言われていた大柄な男の人は舌打ちした。

「おい、てめぇら。いらねぇおせっかいが入らないうちに、とっととズラかるぞ」
「え、ほっとくんですか？」

　三下のうちの一人が驚いた声を上げて、倒れたわたし達を見回した。
　だけど、その頭にお頭の男が拳骨を振り下ろす。

「乞食じゃあるまいし、こんなガキ共の懐なんて探れるかよ！　ゴチャゴチャ言ってないでさっさと行くぞ！！」
「へ、へい！　すいやせんでした！！」

　ぺこぺこ謝る三下さんを引き連れて、野盗達は去っていった。

　その後に残ったのは、力尽きて草原に転がってるわたしと腐乱さんの二人だけ。

　　　・
　　　・
　　　・

「…………あ、れ？」

　痛くて動けないでいるうちに、いつの間にか意識を失っていたみたいだった。
　気が付いた時には、陽はとっくに落ちていて、星と月の灯りの下でわたしは寝転がっていた。

「うー？」

　ひょい、と。
　腐乱さんの顔が、月の明かりを遮ってわたしの顔を覗き込む。

「……負けちゃったんですよね」
「ん」

　いつの間にか手足のあちこちに包帯が巻かれていた。腐乱さんが手当てをしてくれたのだろう。

「すいません、腐乱さんも怪我してるのに」
「………んー」

　腐乱さんは、大丈夫とばかりに軽く手を振り回す。
　それでもやっぱりあちこちに痛々しい傷跡が残っていて、わたしは急に寝転がったままの自分が恥ずかしくなった。
　慌てて、自分も大丈夫だと伝えようとして、わたしは立ち上がろうとする。

「あっ、あの、わたしも、もう大丈夫で…………あいたたたたたっ！？！」

　けれど、立ち上がろうとした途端、刺すような痛みが体のあちこちを撫でて、思わずみっともない悲鳴を上げてしまった。
　なんとか上半身まで起こしたところで、背中の傷の痛みに耐え切れずにぽてっと草の上に倒れる。

「〜〜〜みぎゃぎゃッッ！？！」

　それはそれで傷のあるところが地面にぶつかるわけで、生まれたての小鹿のごとくプルプルと震えるしかないわたしだった。

「…………？」

　不思議そうに首を傾げて、わたしの珍妙な動きを見ている腐乱さん。
　しばらく後、何かしら思い当たるところでもあったみたいで、わたしの頭をポンポンと撫でてから立ち上がった。

　見ていると、少し離れた場所まで移動してから、腐乱さんはもくもくと自分の傷の治療をはじめている。
　余計な気を遣ったことまでお見通しだったのが恥ずかしくて、わたしは大人しく草の上に転がっていることしかできなかった。

　しばらく、ぼーっと、今日の戦いのことを思い出す。

　季節のせいか、虫の鳴く声も聞こえない。

　空に浮かんでいる月は、とても綺麗だった。
　思い出してみると、わたしが育った村で見上げた夜空は、いつも曇っていたように思う。

　◆◆◆

　山賊に隣の村が襲われてから、二週間ぐらいが経った頃のことだ。
　都の方から国の兵隊さんがやってきて、あっという間に山賊をやっつけてしまった。

　村に立ち寄った兵隊さん達は、立派な剣と盾、それに頑丈そうな鉄の鎧を着ていて、とても強そうで。
　彼らが縄で引きずっているのは、傷だらけの貧相な男の人達。

　大人の人から、隣村を襲った山賊だと聞かされても、まるで実感がわかなかった。
　木の枷で手と首を繋がれて引きずられていくその人達のことを、わたしはかわいそうだとすら思ったのだ。

　だから、隣村から逃げてきたその子が、男達の列に駆け寄っていくのに気付いても、わたしは何も分からずに見ているだけだった。

　その子は男の一人の腹に鎌を突き立てた。

　血が地面に散った。
　兵隊たちが慌ててその子を止めたけど、その時にはもう、何度も鎌を繰り返し男に突き刺した後で。

　そこから先は、お父さんに目を塞がれて見ていない。
　ただ、あの子の口から出たなんてとても信じられないような、恐ろしい呪いの声が上がるのを、わたしはたしかに聞いた。

「ごめんね。こわいもの見せちゃったね」

　何日かあと、そう言ってわたしに謝るその子は、わたしが知っているいつもの彼女だった。
　結局、兵隊さんはその子のやったことを咎めなかったし、村の大人たちもその時のことを責めたりはしなかったと思う。

　村はすぐにいつもの生活に戻った。
　いつまでも終わったことを蒸し返していられるほど、村の生活は楽なものではなかったからだ。

　わたしもその子も、畑仕事を忙しく手伝ったりしているうちに、嫌な思い出を忘れて楽しく笑い合えるようになった。

　だけど、わたしは知ってしまった。
　恐ろしいものだと思っていた山賊が、ただの痩せっぽちの怯えた大人で、村を襲われた子となにも変わらないのだということを。
　村を襲ったモノも、あの山賊を殺したモノも、山賊やあの子よりももっと恐ろしい、ぜんぜん別のモノなのだ。

　この世界には、本当に恐ろしい、どうしようもないモノが、確かに存在するのだ。

　◆◆◆

「お金とか、いろいろ取られたり、ひどいことされるかなって思ってたんですけど」
「うー……？」
「なんだか、何もしないで行っちゃいましたね、野盗さんたち」
「ん」

　なんとなくだけど、そうなるような気はしていた。
　お頭って言われていた大柄な人は怖かったけど、配下の人たちはどこか間が抜けていてあんまり怖くなかった。

　なにより、武器を打ち合わせて戦っていても、ずっと昔に感じた、“本当に恐ろしいもの”をどこにも感じなかったからだ。

「あのお頭ってヒト、強かったです……」
「う」
「きっと、戦ってる相手をイジメるのが好きなヒトなんですよ！　いかにも意地悪そうな顔でしたし！！」
「ん〜ぅ……」

　あの人たちは、隊商とかお金持ちからお金をとってるだけで、それ以上に酷いことはしてないんじゃないかと思う。
　だって、“本当に恐ろしいもの”に追い立てられている人たちは、あんなに楽しそうに戦ったりしない。

　セルフォリーフは、とても幸せな世界なのだ。
　食べ物がなくて飢えて死ぬような人もいないし、わけも分からない理由でたくさんの税金を取られて苦しんだりすることもない。
　この世界にくるときにお世話になった商人さんは、この世界を『躍動の世界』と言っていた。

　セルフォリーフは、肥沃な大地の元で住人達が行き来と暮らす美しい世界なのだ。
　それこそ、野盗をするような人たちにまで、その恩恵が与えられるほどに。この世界は恵まれている。

「次、戦う時は、ぜったい勝ちましょう！　わたしも今から倍ぐらい強くなりますから！！」
「…………ん」

　そしたら、少しはこの世界の助けになるかもしれない。
　まだこの世界で旅をはじめてから数日しか経っていないのに、わたしはこのセルフォリーフが大好きになったいた。

　◆◆◆

　翌朝である。

「んで、なんでまだこんなところをウロチョロしてやがんだテメェらは？」
「…………うー」
「えへへー、なんだか休みすぎて寝過ごしちゃいました！」

　うっかり休みすぎて、また野盗さんたちに遭遇してしまったわたしと腐乱さんだった。
　あまりにも間の抜けた遭遇に、前に会ったときには怒声を張り上げていた三下の人たちも戸惑いの色を隠せないでいる。

　もちろん、わたしだって困る。
　次は勝とうって言ってたのに、まさか翌朝には普通に顔を合わせちゃうなんて想定外だし。

「えーと……そうです！　お互い見なかったことにするというのはどうでしょうか！？」
「アホか！」

　わたしのナイスアイデアは、お頭さんに即却下された。やっぱりこの人は意地が悪いと思う。

「……ったく、しゃーねぇ、今度はウロチョロする気もしなくなるように、もう一回、痛い目を見させてやるかぁ」

　分厚い刃の剣をベロリと舐めると、お頭さんが不気味にニタリと笑う。
　舌切っちゃえばいいのに、とちょっとだけ思ったけど、ホントに切っちゃたら痛くて見るのも怖いのでそれはそれで困る。

「「「「覚悟しやがれ！」」」」

　上司のＧＯサインを受け取って、おんなじ顔した４人の三下さんが揃って声を張り上げた。
　この人たちの雰囲気が、お頭さんの凄みとか怖さとかを打ち消しちゃってるのだけど、ご本人たちは気付いてるんだろうか。

「ダメですかぁ……ホントは、逃げちゃいそうだったんですけど」
「……ぷー」

　じりじりと距離を詰めてくる野盗さんたちに、腐乱さんが諦めたように構えをとったのを見て、わたしも覚悟を決めることにする。

「それじゃ、えーと……よろしくお願いしまーす！」

　なんだか間抜けかな、と思いつつも、そんなことを言ってから、わたしは自作の剣を構えた。

　たぶんまた負け戦になっちゃうだろう。
　だけど、わたしはちっとも怖くなかった。

　何故なら、どうしようない、本当に恐ろしいものが、まだこの世界にはないと知っているから。