ENo.1383 キキウス・ヅーベング

前回からの続きです。
不定期連載。前回までの日記はコミュニティ・ページに保管されています。たぶん。
暇な人は読んでみよう。
ついでに、小説に出てもいーよって人は伝言下さい。
キャラ名を考えるのが面倒くさい筆者が、キャラ名拝借致します。

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【パスワードを入力してちょんまげ】
　がん、とビュコックはコンソールに突っ伏した。
“あ、ああ、あ、あのおっさんは…っ!!”
　叫び出さなかった自分を誉めてやりたいくらいくらいに、沸々と怒りが込み上げてくる。
　自分がこの地下へ降りてきて三十分近く経つ。そろそろ引き返すことも検討しなければならない時間帯だ。
“くっ、一か八かに賭けるか。無駄とは思うが…”
『パスワードを忘れた場合』
　という項目に指で触れ、新たな画面を呼び出す。
　何でこんなことに苦労しているのだ、と少しずつ自分の行動が情けなく思えてきた。
【キキウスのオリジナルカクテル［Leaving the nest］に使用する柑橘類は何やろ？】
【ヒント　他にはジン・ソーダ・グラナデンシロップを使うんやで〜】
「そんなもん、わたしが知るかっ!!」
　とうとう怒鳴ってしまった。
　だいたい、ビュコックは酒を飲める年ではないのだ。よしんば、酒を嗜む年であったとしても、他人の考えたオリジナルカクテルのレシピなんぞ、判るわけがない。
　まぁ、判らないからこそのパスワードなのだが。
“もう、今日は諦めよう。こんなやりかたでＡ・Ｇを手に入れたとしても、この先やっていけるかどうか不安になる…”
　こんな好機が再び巡ってくるかどうか判らないが、今日は験が悪い。
　ビュコックが起動ソフトウェアを立ち下げようと指を伸ばしたその時だった。
　外部副眼《サブ・サイト》がセキュリティ・パッチに反応し、地下倉庫へ降りてくる人影を捕らえる。
　夜着に身を包んだ女性。場所が場所なら色っぽい光景だったろうが、今は喜ぶ時ではないという分別くらいビュコックにだってあるのだ。
“ポルポリカ――気付かれたかっ”
　ポルポリカは半起動状態にあるスナークＫに視線を移し、そっと近付いてきた。
　中に誰が入っているのか、確かめる為なのかも知れない。
「ビュコック」
　そう考えていたのに、名指しされてしまっては、どうにも誤魔化しようが無かった。
　こんな現場を抑えられては、もう二度とＡ・Ｇを奪うことなどできないだろう。いや、そもそも最初から無理のある計画だったのだ。計画と呼べる程のものですらないのが現実だが。
「パスワードのヒントに気を取られすぎです」
　凛と言い放ったポルポリカの目が青く光っていた。
　暗視モード。
　人間にはない能力。
　何を言っているんだ、こいつは。
　じっとりと掌に汗が噴き出す。
　思えば、この女も謎に満ちていた。
　自分とキキウスが食事を取る際、彼女はいつも水だけを口にしていた。最初はダイエットか何かだろうと気にも留めなかったのだが、思い返してみれば、自分は彼女が水以外を口にした記憶がない。ああ、自分はどうして今更そんなことを思い出しているのか。
　ポルポリカが迷うことなくシャッターの開閉ボタンに手を伸ばす。
　まったくの暗闇だというのに、彼女の行動には一切の迷いも、逡巡も無かった。
　下水道に溜まっていた温く湿った風が、ごうと地下室に流れ込む。
　ポルポリカの前髪が吹き付ける風に舞い上がり、その下に隠れてあった使用者認証端子《ユーザーズ・エントリーシール》が露わになった。
　それは、機械人形である証。たぶん、ずっと彼女が隠してきた秘密。
　人間ではなかった、ポルポリカ。その彼女が、本当の意味で人間になろうとしている自分に行けと、言うのか。
“この場合のヒントは解を解きやすくするものではない。あのオヤジが考えつきそうなことと言うと…なんだ…？”
　考え方を変えよう。画面に表示してある西方辺境語ではなく、連邦標準語を頭の引き出しから探り当てる。
　Leaving the nest――新たな旅立ち…違う。少なくともヒントに「嘘」は混じらないから、柑橘類に関係しているもの――そうかっ!!
　キキウスは、まるでパスワードを解かせる為に設定していたような答えを用意していた。
　まさかな、とも思うが、今は迷っている時ではない。
　ビュコックはパスワードを入力する。
　今の自分が、まさに“それ”だ。躊躇うな、と自分の中にいる誰かが囁いたような気がした。地方の植民惑星にて僅かに生産されている稀少な果実の名だが、あの男の性格からして、“らしい”答えではないか。
［SUDACHI］
　カチリ、と音を立てて何かがあるべき姿に合致した。　
　――グン。
　この地上に生まれ落ちたことを誇るかのように。
　低く唸りを上げる鉄の巨人。熱核融合マグネットが起動し、Ａ・Ｇにとって血液に例えられる冷媒と、それに冷やされたHeガスとが全身を駆け巡る。
　冷たい鋼の塊に、熱い命が吹き込まれた瞬間であった。
　関節の節々よりパージされた水蒸気が、地下室を白く煙らせる。
　一瞬、手摺りに捕まっているポルポリカと目が合った。
　――行きなさい。
　唇は、そう動いたように見えた。
「動けぇぇええ!!」
『よっしゃ、スナークＫ発進や！』
「なっ、えっ!?」
　いま、背中の方からキキウスの声がした。幻聴とか聞き違えなどではなく、確かに。
　ビュコックは一度立ち止まって、周りの様子を主眼《メイン・サイト》を通して調べる。
　人影らしきものは、ポルポリカ以外に見あたらない。
　何だ、今のは。
　気を取り直して、再出発しようとすると、
『よっしゃ、スナークＫ発進や！』
　後ろを覗き込むと、シート裏に取り付けられたスピーカーから、その声は聞こえてきた。
“サンドロップ機能…！しょうもない改造しやがって…”
　わざわざこんな改造をしているということは、よほど他に売り込む要素のないＡ・Ｇなのだろうか。
　そこで、ふと目に留まる。
　マイナスドライバーか何かで座席の裏に刻まれた誰かの名前。
　それは最も多く目にしたことがあるであろう名前。自分がその正体を追い求めていた名前。そしてそれは、かつてどこかの辺境で潰えた男の名。その名を借りた男が、この座席に背を預けている。
“あの親父め…”
　大きすぎる餞別が胸にのしかかる。
　喉の奥がひくつき、素直な呼吸ができない。鼻の奥につんとした痛みが走った。
“とっくにお見通しだったか”　
　もはや、後ろを振り返りはしない。大きく背中を押されてしまったから。
　この下水道を辿れば、やがて鉱物毒にまみれた小さな海へと出るだろう。
　二度と帰ってはこれないかもしれない旅路ではあったが、ビュコックは浮き立つ自分の心を抑えることが出来なかった。

　――ポルポリカはノックもせずに室内灯の落とされた寝室の中を覗き込む。
　わざわざ暗視モードで確認を取るまでもなく、汗の臭いの染みついたベッドの上には、シーツを頭から被り胎児のように丸まったキキウスが寝ていることであろう。
　幼少の頃から、こんな姿勢で眠るのが癖になっているのだ。
　独り寝に慣れていない、と言えばいいのか。
　彼がまだ幼かった頃。身寄りのいない二人の生活費を捻出する為に、ポルポリカは深夜になるまで働かなくてはならなかった。
　その間、暗い部屋の中でたった一人。キキウスはこんな姿勢で耐えていたのだと今にして思う。
　大人になったいまでも、彼は夜になると独りで震えるように眠る。
　人間の言葉を借りれば、「後悔」していた。こんな眠りしか知らぬ男に育ててしまったのは、ポルポリカ自身なのだ。
　だから、自然とキキウスには後悔しない生き方を教えるようになったのだろう。だが、そのせいでキキウスも他人を縛るような言動ができなくなっていた。
　ビュコックが自ら望んでここを出ていくというのなら、せめてこの厳しい世界でも生き長らえることができるよう、わずかな力を貸してやることくらいしかできることはない。これからのことを考えるならば、自らの庇護下に置いておく方が絶対的に安全だと知っていたとしても。
「――行きよったんか？」
　心拍数で眠っていないことは判っていたが、声をかけられるとは思っていなかったというのが正直なところだ。ポルポリカは珍しく動揺を憶えながら肯定を返した。
「はい。たったいま」
「そか」
　それっきり、キキウスは黙り込んでしまう。
　二人の間に、言葉はいま必要ではない。
　ポルポリカはとうに汲み取っているのだから。キキウスがまだあのビュコックに拘っていることを。彼を手助けすることが、自分達の当意だと思い込んでいることを。そうする為に、いま、この星にいるのだということを。
　秘匿された情報をかき集め、危ない橋を渡っても、失敗の方が多かった。執拗なまでに慎重になる理由は、奴らにこちらの尻尾を掴ませないためだ。自然、行動は基本的に隠密となる。そんな小さな活動を通して、四人目にして、やっと一人助けることができたのだ。
　キキウスは恐らくシーツの中でそのことを思い出しているのだろう。
　ビュコックがいずれここを出ていく行動を起こすであろうことは、二人には容易に予想できたことだった。彼は、二人がよく知る「本物のビュコック」の容姿と記憶とを引き継いでいる。ならば、騎士の本能に従い行動を起こすはずだ。彼が騎士の血脈を持つ以上、その呪いから逃れることはできない。
　いわゆる、騎士道原則に挙げられる「義務」「忠義」そして、「矜持」からは。
　一般人と比べ、その価値観が根幹からして違っている。己の誇りを踏みにじられ、虚仮にされてまで生き延びようとする人種ではないのである。
「もう寝て下さい」
「起こしたの、お前やんけ」
　悪びれるキキウスに作り物の儚い笑みを残し、ポルポリカは寝室の扉をそっと閉じる。
　明日から暫くはまた二人だけの日常に戻るのだと心の奥で深く噛み締めながら。