ENo.1082 キータ

\x87@キータｖｓ林檎

「…………お腹すいたなぁ」

　お腹をポンポンと叩いて、深く息を吐きながら呟く。
　この大陸の端にある大きな街、スティルフまであとほんのちょっとの辛抱。

　そう思ってみても、お腹に空いたおっきな穴は埋まってくれないわけで。

「やっぱり節約は大事だよね、うん」

　あんまりセルフォリーフが豊かだから、食べ物の大事さを忘れちゃっていたんだろう。
　果実や野菜をもったいない使い方でなくしてしまって、今のわたしは大絶賛断食中なのである。

「街に着いたら、たくさんくだもの食べよ……」

　街の外れにある果樹園や作物畑、それに綺麗な水のとれる井戸は、旅人達に解放されている。
　もちろん、この世界を危機から救うために活動をしている旅人への支援なんだけど。

「……わたしって、できることより、できないことの方が多いなぁ」

　『この世界を危機から救う』は、わたしが出来ない事の最たるものにちがいない。
　野盗さんすらやっつけられないわたしでは、救えるのはせいぜいお祭りの金魚さんくらいだろう。

「あー……お祭り、わたあめ、林檎焼き…………」

　年に一度のお祭りで、村に訪れる行商人さんが開く屋台で食べた、夢のように甘くて美味しい食べ物の数々が頭に浮かぶ。
　スティルフに着いたら贅沢して買ってみようかな。
　お仕事して、少しだけどこの世界のお金ももらったから、ちょっとくらい買っても――――

「だ、だめーーっ！　お金は、ちゃんと材料費に当てないと……っ」

　わたしはふわふわと頭の中を侵食する幸せな妄想を振り払った。

　ここのところ戦いで負け続きなので、ろくに材料探しもできていない。
　今のわたしは深刻な材料不足に陥っているのである。

「うぅ、くだもの……たくさんのくだものを食べるの……それでお腹いっぱいになるもん…………」

　街の果樹園は取り放題。お腹いっぱい食べても誰にも怒られない。しかもタダ。
　こんな恵まれた世界で贅沢なって考えちゃダメだと頭の中で繰り返す。

　わたしは荷物入れのリュックサックを探った。
　水筒にはまだ水が十分に入ってる。のどを少し湿らせたら、少しは空腹もまぎれるだろう。

「よいしょ……っと！？」

　リュックサックからつかみ出したものは、水筒じゃなくて果物だった。
　しまった、うっかり間違ってつかみ出してしまった。そう気付いたときにはもう遅い。

『ほら、僕を食べてごらんよ。お腹がいっぱいになるよ？』

　手にした果物が、そう訴えかけているような気がする。
　それほどまでに、手にした果実はは々しくて美味しそうで、思わず口の中に唾が溢れてしまう。

　…………でも、果実の表面には角ばった頬骨も眩しいいチンピラ顔が浮かび。うつろな視線を虚空に向けていた。

　その表情を見て、わたしはゴクリと唾を飲んだ。

　この果物は、かつて街の依頼で討伐した、動き出して暴れていた果実『アップルさん』の頭部である。
　喋ったりメンチきったり殴りかかってきたのをやっつけて、良い食材になるという頭部をありがたく頂いたのだ。
　でも、良い食材になるとはいっても、そのままだと、生首みたいで地味に怖い。

「……顔を後ろにしたら、食べれるかも…………」

　そっと１８０度回転させて顔を真後ろに。おお、ちゃんと顔が見えない。

「あー、ん……」

　大きく口を開いて、そっと口を近づけていく。
　果実の後頭部に……じゃなくて、果実の果肉……肉……にく……。

　ゆっくりと口を閉じて顔をそろそろと果実から離す。

　果実は何も言わない。ただ、手の中に掴んだこの果実の、今は見えない顔が……どんな表情をしてるのか、すごく気になる。
　アップルさんから離れた果実が動くはずはないから、表情変わっていないはずだけど、もしかしたら……。

　白目を剥いたり、舌を出したり、あまつさえ……穏やかな笑顔を浮かべていたら！

「いっ……いやああああああっ！？」

　わたしは急いで果実をリュックサックの中に詰め直した。

「はぁ、はぁ、はぁ…………あ……あぶないところでした……」

　額の汗を拭って、わたしは一人呟く。

　スティルフまであとほんのちょっとの辛抱。
　ほんの少し、ほんの少しだけ我慢するだけなのだ。

\x87Aキータｖｓお猫さま

「おぬし、すこし匂うぞ」

　上品な毛並みのお猫さまにそんなことを言われて、わたしは衝撃を受けた。

「えーーーっ、水浴びしてからまだ三日しか経ってないですよっ！？」
「もう三日じゃ。馬鹿者」

　ぽふんと軽い音を立てて煙を上げると、上品な毛並みのお猫さまは、上品そうなドレスを着たお嬢様に変身した。

　彼女は、化け猫のみたらしさんである。
　スティルフの街で綺麗な猫さんだとフラフラついていったら、逆にネコさんから声をかけられた時はびっくりした。
　そのときにお知り合いになって、たまにお話したりしている。
　長生きした猫さんはそういう不思議な力をもつようになるそうで、わたしよりもずっと長生きをしている人生の先輩さんなのだ。

「まったく、若い娘が何日も体も拭かずに……。こんな匂いをプンプンさせておったら、雄もよってこんぞ」
「そ、そんなに匂うんですか？」
「匂う匂う。わらわの鼻は今にも曲がりそうじゃ」

　鼻をつまんで手でパタパタされた。
　何も、そこまで匂うってアピールしなくても……ほんとにそんな匂うのかな。

　すんすんと自分の匂いを嗅いでみる。

「そんなに匂わないような」
「当然じゃ。自分の匂いというのは分からぬものだからの」

　そういうものなんだろうか。

「化粧しろとは言わぬがの。せめて毎日体はちゃんと洗え。汗やら何やらの匂いがプンプンしておるぞ」
「え〜……でも、川の水は冷たいですし……」
「湯を沸かして体を拭くなりなんな利すればいいじゃろ」
「でも貴重な飲み水が」
「かーっ！　水ぐらい街に着けばいくらでも手に入るじゃろ！　清潔が第一じゃ！！」

　がーっと吠えるみたらしさんに思わずのけぞる。わ、尻尾がおっきくなってる。

「は、はいっ！　ちゃんと体を拭いたりします！！」

　片手を上げて宣誓すると、みたらしさんは、うむ、と頷いて納得してくれた。

　面倒くさいと思っちゃうけど、本当に匂うんだったらしょうがない。
　武器つくりのお仕事をしてるから、打ち合わせとかでお客様に顔を合わせなきゃいけないし、あちこちで知り合った旅人さんとお話しする時とかも、やっぱり変に匂ってたりしてたら困る。だって、ものすごく恥ずかしいし。

　一緒に旅してる腐乱さんだって…………腐乱さんは匂いとか気にしないような気がするけど。

「そういえば、みたらしさんはどうしてるんですか？」
「む？　もちろん、わらわも毎日のブラッシングは欠かしておらんぞ」

　化け猫さんってずるい。

「わたしもブラッシングだけがいいですよ〜」
「ふふん、おぬしが猫に化けられるようになったらそうするが良いぞ」

　わたしが猫になったら、どんな猫になるだろうか。
　きっとみたらしさんのような上品なお猫さまじゃなくて、灰色のクセ毛だらけのちっちゃな猫だろう。
　ああ、でも猫になってブラッシングしてもらうというのはなかなか魅力的な想像だと思う。

　毛皮を梳いてもらうのってすごく気持ち良さそう。膝の上でそんなことされたら、そのまま昼寝したくなっちゃうにちがいない。

「きっと今のおぬしが化けても、せいぜいノミだらけの野良猫じゃな」
「もー！夢ぐらい見させてくださいよ〜っ！！」

　からからと笑うみたらしさんに、現実に引き戻されてふくれるわたしだった。
　でも、ちゃんと今日は体を拭いてキレイにしよう。

\x87Bキータｖｓ冬の寒さ

「ワンピースだと、そろそろ寒いですね〜」
「んー・・・」

　セルフォリーフにも冬はある……ような気がする。
　もしかしたらこの周囲だけかもしれない。近年の異変で気候もおかしくなってるそうだし。

　とにかく村から着てきた一張羅のワンピースでは切実に寒いのである。

「腐乱さんは大丈夫ですか？」
「ん」

　こくこく、と力強く頷き返してくれる腐乱さん。
　素肌を包帯でぐるぐると巻いただけなのに、ぜんぜん寒くなさそうだ。

　というか、寒さとか感じないのかもしれない。
　一度、暖を求めて後ろから抱きついたらすごく冷たかったし。

　しかも無言で背中に手を突っ込まれて、背中が凍りつきそうになった。あの技はドレインタッチと名づけよう。

「いいなぁ……わたしも、寒さに強くなりたいですよぅ」
「むー」

　腐乱さんは特に何も言ってくれない。
　ときどき。例えば本気で戦ってるときとか、そういうときには普通に喋ってるのを何度か聞いたことがあるけれど、こういう時の腐乱さんはいつもぼんやりとした顔で唸るだけだ。

　それでも、なんとなくどう思っているかは分かるもので、ちょうど今の腐乱さんの声は『知らないよ』という感じである。

「せめて、なんか代えの洋服を用意しておけば良かったです……」
「うー」
「メイド服ですか？　でも、あれは余所行きですし」
「む」
「……ごめんなさい。この前みたいに凍えて幻覚見たりしたらアレですし、贅沢言っちゃダメですよね」
「ん」
「でもスカート丈が短くて、ちょっと足元がスースーしちゃうのが」
「ん〜……」
「あ、作業用のエプロンですか！　確かにアレなら丈は長いです！！」

　そんなわけで、着替えることしばし。草原の真ん中だけど人影もないので気にせずに着替えます。

　ワンピースすぽーん！メイド服しゃきーん！エプロンしゃきしゃきーん！！

「しまった！　メイド服ってそもそもエプロンとセットでした！」

　エプロンとエプロンでダブってしまった。まさかのダブルエプロン。
　でもメイド服が長袖なのは正解でした、腕の温まり方もちょうど良くて、エプロンづくしの中ですっごく暖かい存在です
　これなら寒空の中だってどこまでも歩いていける気がします。

「……どうですか腐乱さん！！」

　長いエプロンをくるりと舞わせたりしながら、わたしは勢い込んで尋ねてみました。
　でも、腐乱さんはちょうちょを追いかけてフラフラとあさっての方向に行っちゃってたわけで。

「ああっ、腐乱さん！？　待ってくださいよ〜」

　そんなわけで、スティルフまで、あとほんのちょっとで辿り着けそうな今日この頃なのでした。