ENo.96 トレニア＝フロイントリヒ

　訪れる合図は、扉のノックから。
　在室を確認した後、フィリーディス君は私の了承をとって部屋に入り、まずは大量に抱えた荷物を置く。
　最初にちゃんとおとなしくしていたかどうか様子を確認して、持ってきた花を飾って、部屋を整える。

　ここ最近、私の部屋を訪れるフィリーディス君の行動はそんな感じだった。
　私が彼の目の前で倒れて以来の話だが、実に甲斐甲斐しいこの上ない、半分は私が無茶しないようにと監視目的だろうけれど。

　何を毎回そんなに持ってくるのかと思えば、薬剤類といくらかの差し入れ。
　思わず目を逸らしたくなるが、すぐ目の前につきつけられる事くらいは分かりきっている。
　掃除くらいは自分でやろうとしたら、怪我人なのだからおとなしくしてくれないかと、お小言より懇願に近い形で頼み込まれてしまった。
　心当たりはある、恐らくは私が傷を負ったことに対する責任感だろうと内心で苦笑する。
　そうなれば流石に無碍にする事も出来なかったから、ここ最近はおとなしく好きにさせていた。

　彼がお見舞いに花を持参した当初、思わず吹き出してしまった事位は許してほしい。
　当然の如く彼はそれを受けて憮然とした表情をしていたけれど、私はそれ以上は何も言わず、笑みを噛み殺したまま有難う、と花を受け取った。
　信仰に花は付き物だけど、花は騎士にも似合う。
　彼にはまだ早すぎる気がしたけれど、私の傷を放っておけないという高潔さには、やはり花を持つのがふさわしいのだろう。

「……とは言え、飾るにはこの部屋は殺風景すぎますね」
　実用品以外は持ち歩かないのだから、当然とも言える。
　棚の類があろうが殆ど持ち腐れに近い、武具は別の形で保管しているし。

　ひと通り用意が済んだのか、フィリーディス君が私が寝ているベッド越しにカーテンを引き開ける。
　部屋に日差しが降り注ぎ、寒くないですか、と彼が尋ねるのに首を横に振ってみせた。

　ちゃんと食事は摂っているか、と尋ねられて不本意だけど頷いて見せる。
　術式で済ませれば早いだろうと口にすれば、お小言が飛んでくるのはとっくに経験済みだった。
　食べたくないんですけれど、とわざとらしく拗ねてみせた事もあったが、そんな事を言うからそれほどまでに顔色が悪いのだと彼は逆に悪態をついていた。
　フィリーディス君も割りと色白ではあったが、そうであるからこそ、並べて見る時に私の肌色が際立って見えてしまう。
　色白という次元を通り越して蒼白に近い。
　これは育ちの都合であって、私の体調とは関係ないのだといつも通りに言い張っては見たが――最早彼に取り合うつもりはなさそうだ。
　復帰を早くしないと貴女にとっても不都合ではないのか、と正論で畳み掛けられれば黙り込むほかない。
　早く元気になってほしいんです、と最後に呟かれるのが私にとってのトドメだった。

　当の傷の具合については、悪くないとだけ答えておいた。
　襲撃の晩に目撃された分、私の身体状況についてはほぼ確信しているだろうが、私としてはまだ口にしたくはなかった。
　心配をかけない、というのが私にとって最も優先されるべきことだったはずだ。
　それが見られたものは仕方ないのだと、ここまで世話を許してしまう羽目になってしまっている。

「……フィリーディス君に渡しておくものがあります」
　なんなのか、と訝しむ彼に用意してたペンダントを一つ渡した。
「ペンダントに格納した、携帯式の移動魔方陣です」
　フィリーディス君に渡したのは、移動用の“鍵”の方。
　もう一つ扉の方を私が持っていて、私側の魔方陣が展開されていれば、フィリーディス君の方から此方に通じるゲートを開けるようになる。
「間もなく、オルゼから離れようと思うので」
　勉強会を続けるというのなら、その辺に不都合が生じてしまう。
　行き先はスティルフ方面の樹海の中だ、街近くなら移動手段も色々とあるのかもしれないが、流石にフィールド先はそう易々と来れるものではない。
　移動を終えた後に展開しておけば、それが来てもいいという合図になるだろう。
「必要ない、というのならこのペンダントも不要なのですけれど――」
　どうなのか、と一応確認はとっておいた。

　後の時間は、ひたすら世話を焼かれていた。
　無防備な姿を晒さないように務めてはいたけれど、傷による疲労もあって、時折まどろみに引き込まれそうになる位は仕方がない。
　休んでもいいと彼は相変わらずお小言を口にするが、いいんです、と苦笑しながら首を横に振った。
　戦闘を意識し続ける事が反応速度に繋がる、だから気は抜けないし、抜かない。
　フィリーディス君がいるといっても、保護者はやはり私の方だろう。

　フィリーディス君の学校の方では試験があったのだと聞いて、ごめんなさい、と小さく呟いた。
　間違いなくここ最近の彼は多忙だ、疲労も私と比べ物にならないほど重いだろう。
　大丈夫だと示せば彼の負担は減るだろうか。
　体を起こそうとしたら制止され、自分も少し休んでいくから大丈夫なのだと告げられた。

　自分にも渡すものがある、と。
　呼びかけられて視線を向ければ、フィリーディス君の手の中には、ケースに納められた細い指輪があった。
　銀の台座に、目を引く青色のアクアマリン。
　もしかしてと思ったけれど、やはり私に渡す魔術媒体なのだと彼は言う。

「……私には不釣り合いに思えますけれど」
　フィリーディス君の審美眼が悪いとかそういう話じゃない。
　ただ、戦う身であり、騎士である私には装飾が過ぎるという話だ。
　元々の指輪は真鍮の台座にハウライトの飾り、指輪というよりリングに近く、無骨かつ粛然としたものだった。
　それに比べればこれは余りにも女性的にすぎる。
　戦いで身に付けるものなのだから、無骨なくらいでちょうどいいのに。

「気に入りませんか？」
「……いえ」

　私が騎士でなければきっと喜んでいた。
　だからこそ複雑であり、作ってくれたものに応えられない自分に気が重くなる。

「私は騎士なのですよ？」

　知っていますと頷かれる一方で、それとこれとは話が別なのだと一蹴された。
　……そう、思われる分には確かに勝手だ。
　だから苦笑して、了承の意も込めて右手を差し出した。

「つけてほしいと願うのは我儘ですか？」

　少しの意地悪と、意趣返しと、面白がる気持ちを混ぜて問いかけてみる。
　案の定彼は動揺を見せてくれたが、直後、私の手を取ったまま、ベッドの傍らに膝をついた。

　……私は姫なんかじゃないけれど。
　きっとこれは彼がどれだけ本気か示すためのもの。
　だから行為を止める事なく、そのひたむきさにだけ目を向けて見守った。
　私とは異なった体温と、緊張でこわばる指。

　少しでも躊躇いを見せれば逃げられるとわかってるかのように、持ち上げられた手に指輪が通された。

　無機的な感触がきっちりと指にはめ込まれる。
　指輪を通された瞬間、確かに彼は私を捉えたのだと悟った。
　彼を悲しませないために、きっと私は力を尽くす。
　指輪という人質を取られた時点で、私の半分は彼の手の中にあり、代わりとする半分が私を捕まえている。

　今後、私が駆け抜けるような事があっても、この枷はきっと私を止めてしまう。
　――行くなと、手を掴んで引き止めるかのように。