ENo.80 アル・グーラ

　　　　　　　　　　　
　黄昏時、空は紅くなり大地を染める。
　まるで血のような、炎のような、深い紅。
　新緑の木々も、そよぐ風も、眠る大地も紅く染まる、そんな時分。

　彼方に見えるのは、深い森に抱かれた古い洋館。
　そこにはお化け――いわゆる死者の想いの集合体――が、出るらしい。

　――ざわり。

　　暗闇の中、ふと目を覚ます。
　　普段は炎を灯すための油にもランプにも事を欠くからこの時分は誰も起きていることはない。
　　その筈なのに、暗闇の中で灯りが灯っている。
　　部屋を仕切るためのおんぼろの布、その向こうから灯りと声が漏れてくる。

　　気づかれぬようそっと布の先を見てみれば、そこには見たこともない豪奢なランプ。
　　普段の私たちでは目にかかることもないであろう壮麗な箱の数々、それらを見て、あるいは手に取っては感嘆のため息をつく親たち。
　　炎の灯りに照らされて、母が父に見せている品――紅い上等な布に金の縁取りの婚礼衣装が、赤々と揺らぎ、浮かび上がる。

　　『まさかあの娘が、あの宗主様に見初められるとは……』
　　『どこで知り合ったのかしら？　奉公に出した覚えもなければお屋敷へ上がれる身分でもないのに』
　　『まあ良いじゃないかそんなことは。これほどめでたく喜ばしいことはない』

　　宗主様？
　　あの御方は確か御年……私とは曾祖父と曾孫程も離れていた筈、当然妻も大勢居られます。
　　どこで知り合ったか？
　　閑散とした街道で品を売る、その時に遠目に見る程の縁しか無い筈です。

　　いったいこれは、どういうこと？

　　漏れる声、口々に誉めそやす親たちの顔に憂いはない。
　　宗主様がどんなお心であらせられるかは、私には与り知ることはできない。
　　だけど、少なくともその日を生きることすら困窮する私たちには、賜った結納の品々や金品はまさに神からの賜りもの。
　　これで親兄弟たちが日々の生活に困窮することもないだろう。

　　……そうか、そういうこと……。
　　私はこれから、曾祖父と曾孫程に年離れたあの御方へと、嫁ぐことになるの、か……。
　　私の与り知らぬ先で決まり進む私の将来、その一端を見、知り、私の表情は翳っていった。

　　この国では“未亡人”という言葉はない。
　　夫が常世に向かうとき、妻はその道案内として、あるいは常世の国で夫の世話をするため、夫と共に向かう。
　　それがしきたりであり、是であり、当たり前のこと。
　　だから、それほどまでに年の離れた御方との婚礼とも、なれば――。

　　家族皆が明日も知れぬ暮らしよりは、ただひと瞬きのみでも憂いなく生を楽しめる、その方が幸せなのだろう。
　　親兄弟たちも余程のことがなければ、こんな暮らしからも脱し生を謳歌できる。
　　だから、きっと、その方が、みな、は、良いのだろう――。

　　実際がどうであれ、何にしたって、女であり子である私には、これを拒否をする権利などないのだから。
　　顔も良くわからぬ、年も離れすぎている相手との婚礼、遠からずに見える先。
　　そんな婚礼は心の底からいやだ、そう声を大にして喚いても、私には拒否をすることはできないのだから。

　　遠からぬ死と共に契るこの婚礼と未来が喪われるとするならば。
　　宗主様が心変わり為されるか、もしくは――婚礼の前に、宗主様が旅立たれる事くらいしかないのだから。

　　私は、自分に“皆が幸せになるのだから”と何度も何度も言い聞かせた。
　　だが、その一方で、願ってはいけない願いを内に灯していた。
　　何度もそれを消そうと努力をしても、それは日に日に心の内で、暗く淀む中ますます強くなっていた。

　　神様は全知全能であり、須らくを見、聞き、感じ、そして手繰って下さっている。
　　おそらくそんな私の想いを、心を聞き届けてくれたのだろう。

　　果たして、その願いは現実になった。
　　髪を漉き身を清め、深紅の婚礼衣装を纏い、贈られた金と宝石に飾った私の、そのすぐ横で。

　　――最悪の、時と、形で。

　ガタガタガタッ！

　「ノックくらい……しなさいよ……」
　大きな物音と、その家主の言葉に現実に引き戻される。
　ごもっともと、依頼人は頭を下げている姿が見える。

　……本当に、予期せぬ来訪とはいえど、知らせること位は、して欲しいもの……。
　何となく、目の前のお化けたちの想いと気持ちが、今の自らの心と合致した。