ENo.2298 雛神由依

黒い赤子は弾丸のように一直線に私を目掛けて飛んでくる。
速い。どうしたものか、と思考している時間も取り返しの付かない未来へと繋がっているほどに。

結界で防げる程度なのか、それとも何か特殊な能力があって魔術的なものは無効化してくるのか。
呑気に試している暇はない。

まずは素直に回避。
黒い弾丸は通り過ぎ様にまた歯を鳴らす。
攻撃手段はあの口と判断する。
恐らく強靭なそれに噛まれれば剥がれない、なんて生易しいものじゃないだろう。骨まで砕かれれば幸い、きっとそのまま部位を食いちぎられる。

赤子は着地し、砂埃を巻き起こしながら滑り、器用にこちらへと方向転換する。

スピードを殺しきった後、再度の突進がくるだろう。

「まるで猪ね」

そう呟きながら地面に落ちていた木片を蹴り上げる。それを右手で握る。太さ、長さ共に申し分ない。それに少し魔力で付加をする。
これで強度は鉄に負けないくらいにはなった。

それを一度軽く振るう。風を切る音が大きく鳴る。

赤子は笑うように鳴くと四つん這いで滑走し、足で地を蹴る。
狙いは私の喉元、もしくは顔か。どちらにしても大人しくしているつもりなんてない。

右に持った木片に左手を添える。
両手に力を入れ――、

「ふっ！」

小さく、息を吐きながらフルスイング。
堅いものがぶつかり合い、小さな悲鳴が上がる。両手に電流を流されたかのような痺れが駆け巡るが、そのまま振り抜く。

ボールのように何度か地面を跳ね、赤子は動きを止める。

「いったー……」

痺れの残る腕を振りながら動き出さない赤子の下へ。
何があっても対応できるように慎重に近づき、距離を取り様子を窺う。

赤子は頭――人で言うなら顔の部分が目に見えてへこんでいる。木材を叩き込んだ場所だ。骨があるならだが確実に粉砕はしている。
白い歯は数本欠落し、自身の血で赤く染まっている。
口を開いたまま動かない。
絶命……しているようだ。

それを確認して小さく息を吐く。
思わぬところで思わぬものに襲われた。

いや……偶然ではない、だろう。

私のための舞台。
そのために犠牲になった者がいる。
私とはまったく無関係の者が残酷にも命を奪われたのだ。

おもしろいはずがない。

犯人探しをするつもりはない。
こんな事をしてくるのだ。そのうち勝手にあちらから出てくるだろう。
その時は然るべき行動を取らせてもらうだけ。

そんな事は今はどうでもいい。

「呼ばれたからにはちゃんとやらないとね」

視線を二つの骸に向ける。

さてと、どう処理したものかしら。
さすがに野晒しにしておくのもなんだし、埋めてあげるか、火葬するか。
これ以上何かに弄り回されるより――。

自分の直感が不味い、と声を上げる。
背中に悪寒が走り、振り向こうとした瞬間に足首に違和感を覚える。

視線を落とすと、そこには黒い紐のような物が左足に巻きついていた。

その先には頭部の拉げた黒い赤子が血に濡れた歯をむき出しに笑っていた。
へその辺りから伸びたそれはへその緒を連想する。

「まっ……！」

まずった、と言う前に強い力で足を引っ張られる。

「きゃっ！」

片足でバランスを維持できるわけがなく尻餅を付く。
体を庇おうとし、手に持っていた木片を咄嗟に投げ捨てたので転んで頭を打つ事はなかった。

「放しなさい！」

足首を縛るそれを両手で解こうとするがびくともしない。

「げひゃげひ！」

嫌悪感を覚える声を上げながら赤子が走り、飛び掛る。

巻き付いた紐は無視し、両手で赤子が覆い被さってくるのを阻止する。

「……くっ！」

ある程度予想してはいたけれど、その小さい体のどこにそんな力があるのかと思う。
押し返すなんていう立場じゃない。
目の前でガチガチと噛み鳴らされる歯が自分に届くのを阻止するので必死だ。

念のためにちゃんと止めを刺しておけば良かった、なんて思っても後の祭り。
これはやばい。気を抜いたら噛み殺される。
両腕が悲鳴を上げ始める。

両手が使えない。
これじゃあ武器を使うなんて出来ない。
この至近距離で魔術を使うのも危うい。
声を上げ、助けを呼んだとしても誰かが来る可能性は低すぎる。

どうすればいい。
状況を打破するために何かないか。

まだ動かす余裕のある頭と目をフル稼働させ、状況把握と突破方法を探す。

一瞬、視界の隅で何かが光った。

刹那すぎて確証はない。でも四の五の言ってられない。

「穿ちなさい！」

力一杯叫び、右足で赤子の腹を蹴り上げる。

赤子がくぐもった声を出した、次の瞬間、小さな破裂音と共に赤子の頭部の半分以上が消し飛んだ。

その狙撃の威力で強固だった紐は一度だけ大きく音を立てあっさりと千切れ、頭を失い今度こそ絶命した赤子は血に転がる。

それを見届け、安堵の息を漏らす。
さすがに危なかった。
もう少し遅かったら力負けして悲惨な事になっていたかもしれない。

それもこれも狙撃者を発見できたからだ。

座り込んだまま必殺の一撃が放たれたほうへ顔を向ける。

「助かったわ。さすが腕は確かね」

笑いかけると茂みの中から人がゆっくりと出てくる。

白い胴衣に金色の髪が風に揺れる。
その表情は硬いまま。

『教会』と呼ばれる組織の中でも五指に入る腕を持つ少女、
アルティア・デュラッハがそこに立っていた。