ENo.1267 陽雛・ヘリオライト

「めすいぬー、めすいぬー」
「……だから、めすいぬはよせと、なんどいえば」

ここはフリストの街の安宿。石造りの、よく言えば簡素な作りの建物だ。
その一室にて滞在しているパーティだが、そこでイグニが唐突にひびなに声をかけていた。
いつもはエシャロットと一緒だが、今はひとりだ。

「………ひび…めすいぬ」
「なんでいいなおした！？なんでいいなおした！？」

イグニはエシャロットの影響で、ひびなのことを雌犬と呼ぶことが板についてしまっている。
それは今や修正しようのないところまで来てしまっていた。

「だって、こっちで呼ばないとへんなかんじするのー」
「……わるぎがないだけ、しまつにわるいな」

ひびなは小さくため息をついた。
雌犬呼ばわりもすっかり長くなり、彼女自身もあきらめかけているようだ。
完全なる雌犬への道も、きっと近い。

「で、なんだ？こえをかけたからには、なにかようじがあるのだろう？」
「めすいぬーひらがなばっかりで読みづらいー」
「そんなにかわらないだろうが！？」

話が一向に進展を見せない。

「だから、ほんだいにはいれ、ほんだいに」
「んとねー？剣みせてー？」

イグニはひびながいつも背負っている大剣を指し示した。
現在は休憩中のため、鞘に入れたまま横に置いてある。

「けん？このけんがどうかしたか？」
「いいからみせてー！」

いぐには少し手をばたばたさせてそう言った。
その様子にひびなは少し眉をひそめながらも、剣を手にとってゆっくりと抜剣した。

「あぶないから、あまりちかよるなよ？」

ひびなが抜いたその剣の刀身は、半ばから軽く波打っており、両刃のパン切り包丁のような形をしていた。
色は金属の銀色だが、光の加減により燃えるような紅をその銀に宿しているようにも見える。
それら二つが併さって、まるで炎そのもののようにも見える剣であった。

イグニはその刀身に、何の恐怖も見せずに近寄っていった。

「おい、だからあぶないと…」

ひびなは刀身を引こうとしたが、イグニはふよふよと飛びながらさらに近寄って、その抜き身の刃に軽く手を添えた。
そうなってしまうと、迂闊に剣を動かしたら逆にイグニを傷つけかねない。
ひびなは剣を動かすのをやめ、そのまま静止させるように努めた。

「んー…やっぱりいるー」

イグニは刃をやわらかく撫でながら、そう言った。

「い、いるってなにがだ…？おい、さわるな、てがきれるぞ」

ひびなは小さな体に似合わず、この大剣を片手で扱う膂力を持っているとはいえ、剣を静止させたままでいるには少々骨が折れる。

「ねぇー、出てきてー？おはなししよ！」

イグニが剣に向かって語りかけると、唐突に刀身が大きく燃え上がった。

「う、うわぁ！？イグニ、なにをした！？」

眼前に掲げるように持っていた剣から発する炎に驚き、ひびなは身を引いた。

ひびなの剣は、先ほども述べたように炎を模した形をしているが、その実まさに炎を宿した剣である。
持ち主が強く念じれば炎を発して敵を焼き尽くし、逆に危害を加える者、剣を奪わんとする者などは逆にその火に身を焦がすこととなる。
エペなどはしょっちゅう食べようとして焼かれている。

「おい、おさまれ、ほのお！どうした！？」

ひびなは必死に剣に念じて火を収めようとした。
だが、普段ひびなの心に忠実な剣が、今回は一向に火を収めようとしない。

「なんていう名前なのー？あたしはイグニだよ！うん、うん……ふーん」

炎の勢いにあまり目を開けないひびなだが、その炎の中でイグニが何やらと会話している声は聞こえていた。
イグニは炎の精であるので、このような炎に焼かれてもなんということはないようだ。

「んー、わかった！じゃあね！」

少々の時間話した後にイグニがそう言うと、先ほどまでまったく収まる気配のなかった炎が、ゆっくりとその勢力を落としていった。

完全に火が刀身から消えた後、そこには呆然としたひびなと、多少火を取り込んだのか、なんだか少し勢いを増して燃えるイグニが残った。
宿の天井にも、うっすらと黒く焦げた跡がついてしまっている。

「イグニ……おまえ、わたしのけんになにをしたんだ？こんなこと、はじめてだ」
「んとねー？めすいぬの剣の中にいる子と話してたのー」
「けんのなかに…？」

ひびなは自分の手の中にある剣を見た。
剣はすっかり静かになっている。再び燃え上がる気配も見せない。

「でもねー、あんまりお話できなかった。まだ生まれてないから、なにもわからないみたいー」
「……いったいどういうことだ？」

ひびなは要領を得ないイグニの話に、疑問符を浮かべることしかできない。

「あとねー、あたしとは違うからはっきりとはわからないけど、そっちにもいるよ？そっちにも、そっちにも」

イグニはひびなの刀やマント、ブーツなどを指差しながらそう言った。

「だからねー、生まれてからまたゆっくり話そうって言ったのー。それじゃねー」

一方的にそう言うと、イグニはまたふよふよとその場を離れていった。

ひびなの大剣、刀、マント、ブーツはひびなが故郷を離れる時から身に着けているものだ。
ひびなの里に伝わってきた、地水火風の四大属性を宿す、由緒ある装備である。

「なにか……いる……？うまれる……？」

理解できるようなできないような、微妙な気持ちで、ひびなは自分の装備をまじまじと見つめながらつぶやいた。

＊

「なんだかシリアスな香りがしたですのー！めすいぬにはそんなの似合わないですの〜！」

「な、なんだー！？」

「さあめすいぬ、めすいぬらしく四つんばいになるですの！ワンと鳴くですの！このソーセージをいやらしく頬張るですの〜！！」

「いいかげんにしろー！？」

パコーン、と大剣の鞘で殴る音が高らかに響いた。