ENo.9 ツィエルアーシャ・エロ＝サヴァーレン

エミル「………さくらって、なんだったんだろ……」

ジュコ「んー？なにかかんがえごとー？」

場所は図書室。勤勉なエミルと本を重ねて遊ぶジュコがじゃれあっている。
本が傷むというのは保存用魔術を掛けてある以上可能性は0で、つまり子供の勉強も遊びも止める必要はない。

ふとエミルが読んでいた本に視線を移せば様々な辞典が積み上げられていた。
手にしているのは植物図鑑。呟きを鑑みるにまだ『桜』には辿り着いていないらしい。

ツィエル「興味ある？」

エミル「あ、はい……街でその、ちょっと聞いたから……」

ツィエル「エミルの世界にはなさそうだしね。といってももう散っていそうだしなぁ」

桜というものは散るのが早い。少なくとも見よう見ようと思っているうちに散っているものだ。
咲いたらすぐさま予定をたてるくらいがベストである。…予定を立てるより前に連れてってくれてたけど。

ツィエル「んー…この世界の桜は夜中にしか咲かないって聞いたし、咲いてても見に行くのは止めさせてたけど」

エミル「あう……」

ジュコ「しょーかんとかあれば、ごえーに出来たんだけどなぁ」

ツィエル「夜はどうしたって危ない。暗闇は襲う側には有利だからね」

ロリコン、人拐い、変質者。間違いなくアンジニティ存在するだろう。特に一番最初。
かつて旅した世界の中に夜中に花見ができる場所もあったが、そこがどれほど平和だったのかは推して知るべしだ。

エミル「…………」

ツィエル「そんなにヘコまない。んー……ああ、普通の桜ならあったかもしれない」

ジュコ「おにわー？バラの木がいっぱいあるとこの」

ツィエル「いや、そっちじゃない。もっと奥の樹木用だね。あっちは花用だから」

なんで分けたかと言えば、見た目の諸々もあれど主に管理上の諸々である。
そもそも枝の剪定を出来るような者がここに居ないこと、花だって魔法でどうこうしてるという事実は横に置いておく。

エミル「そんなにいっぱいお庭があるんですか？」

ツィエル「主に食用の果実が生る樹ばっかり生えてるけどね」

ジュコ「くいいじ！くいいじー　ぎゃん！」

ジュコに机飾りの林檎をぶん投げる。シリコン製の林檎はべにょんと額を打ち据えポトリと落ちた。
扱いに抗議するかのように遠くへ転がっていく。
何度でも言うがジュコは私より年上の化け狐である。見た目はロリだけど。

…ともかく、この『部屋』では大半の食材（肉、野菜、魚）はある程度処理・加工したものを幾らでも用意できるようにしてある。
が、そうではないものもある。主に果物とか。
理由は果物の匂いがふわふわ漂ってくるのが好きなのと、気分でもいだりすると楽しいから。

ツィエル「景観用に桜も生えてるよ、健全な普通の桜がね……誰も見に来ないけど。見に行く？」

エミル「は、はい！！」

ジュコ「おぉおぉぉいてかないでー」

※*※*※*※*※*※

すごくどうでもいい話だが、金木犀の匂いはきついと思う。
エミルの金糸雀色のワンピースを見て庭の隅に追いやられた金木犀を思い出したというだけだが。

エミル「さくら、は、どれですか？」

ツィエル「そこでブワーッと咲いてる白とかピンクとかの木がそうだよ。名前は知らない」

エミル「ふわー……大きいのと小さいのが……」

ツィエル「花が大きいのは八重桜、普通の花の形してるのが一重桜。それくらいしか知らないなぁ」

無造作に一輪引き千切る。もっさりと花弁がついた、八重桜の花。
エミルに手渡すと興味津々な様子で弄り始めた。ジュコは大きな木の一本に登って昼寝の体勢だ。

お弁当でも持ってくればよかったな。

エミル「やわらかい……さわってもこわれないんだぁ」

ツィエル「散りかけだとポロッと取れちゃうらしいけどね。ここの花は風でしか散らないから」

言いながらひょいとエミルを持ち上げる。
途端に風が吹き荒れスカートを力強く巻き上げた。
私の腰布は微動だにしていないけど。

エミル「か、風っ！つよい！」

ツィエル「この花が咲く頃の風を再現してあるんだ。花びらが散った方が風流だからね」

エミル「わっわか、わかりましたからっ！おろおろおろしっ」

ツィエル「はいはい」

地面に降りたエミルは大きく溜め息をついた。どっちかというと深呼吸か？
パンパンとワンピースをはたいていたが髪の方が大惨事になっている。

ツィエル「髪もセットしたほうがいい。花の妖精みたいになってるよ」

エミル「あうあう…ツィエルさんのいじわる…」

ツィエル「酷い言い種だなぁ。ほらおいで」

長い金髪に絡み付いた花びらをむくれながら丁寧に取り除く。
私は手頃なイス（ベンチではない）を引き寄せてエミルを座らせ、自分もその後ろに座った。
懐から櫛を出し優しく髪を梳かす。洗うだけじゃ花びらは落ちないだろうし。

エミル「あ、ありがとう…ございます…」

ツィエル「だからそんなに畏まるなってば…」

粗方取り終わったのだろう、エミルは顔を上げ改めて桜を見た。
黙々と髪を梳かしていた私には特に止める理由もない。ふと、思い出したようにエミルが声を上げる。

エミル「ジュコがねてる……頭がさくら色……」

ツィエル「ああ、説明したか忘れたけどジュコは獣だからね。あんな野性味ある寝方もするよ」

エミル「そうなんだ…ふあ……」

ぽかりと欠伸を一つ。春眠暁をなんとやら、快適な気温に保たれたここの空気にやられたらしい。
偽物の太陽も心地好い温度を振り撒いているし昼寝に丁度いい環境だ。

こっくりこっくり船を漕ぎ始めたエミルをそっと抱きしめた。もぞもぞと丸くなった所に引っ張り出したブランケットを掛ける。
そのままそっと、抜けだす。ちょっとした環境破壊のために。

※*※*※*※*※*※

「ここであってるのかなぁ」

瓶から這いでて辺りを見回す。森の中だ。地点はH……なんとか。そんな記号で解るわけがない。
ちらほら見かけるゴミが、残念ながら？幸運にも？目印になっていたようだ。

「狂い咲き桜？だっけ。とりあえず持ち帰ろう」

立派な枝に手を添える。
桜折る馬鹿　梅切らぬ馬鹿…という言葉があるがその辺はぬかりない。
ぐ、と力を込めれば僅かな抵抗を感じた。構わず捻る。

手の中には折れた枝、樹には折れたはずの枝。まじまじと見比べた。
綺麗な切り口なわけもないが心配は無用。とりあえず動き出したりしないことだけ確認し、懐に刺し込んだ。

「一応お薬を出してあげよう。魔法って便利」

入っていた瓶から軟骨をとり枝に塗り込む。魔術でクローンの枝を作ったとはいえ、諸々の痕跡を消しておくに越したことはない。
念のため枝の根元に手をあて力の流れを確かめた。大丈夫、ここから腐ることはないだろう。

「それじゃ、お邪魔しました。……人喰い桜なのかわかんなかったね」

小瓶に這い入り移動魔術を発動させた。
足跡が残した僅かな水滴はゴミに入らない、と思う。

再び瓶から抜け出せば庭が広がっていた。私の体が椅子で寝ている。
のそのそと砂を落とし足から左手まで上り、枝を置いて体へ戻った。

ツィエル「さて、ガーデニングなんてしたことないけど…可愛い幼女のために頑張るか」

手元の枝は元気に生きている。足下の小瓶を拾い中の軟骨を枝の根元に塗りつけた。
あとは適当な切り株に差し込んでおけば育つはずだ。育たなくても育てる。
地霊術が使えないことを少しだけ残念に思った。主にこの、切り株を作るための伐採用に。

ツィエル「……そもそもあの桜って何の種類なのかな。一重か八重かも知らないぞー…？」

解らないものは仕方ない。だって花が咲いてなかったから。蕾で判別できるほど桜に明るくもないし。
切り株なんてないから一重か八重か、切り倒して選ぼう。庭の奥の数本に目をつける。入り口よりは奥だ。ラスボスっぽく。

比較して見た目が一番微妙な桜を根元だけ残して溶かし尽くした。
切り込みを入れて、枝を差し込んで、水霊術を使った膜で包み込む。
…現在時刻は昼もだいぶ過ぎた頃。さて、どうしようか。

エミル「………ふぇっ！？」

ツィエル「おはよう」

ジュコ「おはよー」

椅子から転げ落ちかけたエミルをそっと支えた。
庭に備え付けたテーブルまで運んでも寝こけていたのに、解らない子だ。

ツィエル「夜桜を見ながら食事もいいと思ってね。ここで夕飯だ」

ジュコ「今日はツィーエもてつだったんだよー。めずらしく！」

ツィエル「そもそも家事全般ジュコの仕事でしょ。そういう契約。
…ささ、食べちゃおう」

エミル「あ、は…はい…」

テーブルの上にはオードブルにケーキ、お寿司にファーストフード。
見慣れない物も多いのか、忙しなく動くエミルの目に思わず笑った。

エミル「いただき、ます」

ツィエル「はいどうぞ」

ジュコ「まだアツアツだから気をつけてね！」

エミル「あふっはふっはふふぇ」

ツィエル「だから言ったのに…」

ジュコ「オレンジジュースとぶどうジュース、どっちがいー？」

エミル「ほひへほひひはひゃ」

ツィエル「訳しよう。『どっちでもいいから』だな」

ジュコ「じゃあオレンジ！はい！」

たまには賑やかに。今まで二人きりだった私は苦笑した。
なんだかんだで、エミルは大事な『家族』、のようなものだと、悟った。

…でも。時々寂しくなることがあって。
それはこの時間が長く続くことはないってこと。

…呪い。

桜の寿命は数百年にも亘ることがあるとかなんとか。
止まったこの世界では、時の流れなんて感じられないけれど。

歪に繋がった桜は答えない。
ただ赤い赤い一輪を咲かせて。